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鑑賞における情熱の灯。

ぼくは音楽を聴くのが好きで、そして、
今では売れなくなったとされるCDを
今もなお購入するし、はたまた、
ライブ映像作品のブルーレイやDVDもね、
購入して、日々、鑑賞をいたしております。
とは言えども、なかなか、たとえば
ぼくが10代だったころと比べると、
「ある作品を聴く」ということについては
その鑑賞の分量が減っていると思うのよね。

10代のころはさ、もう、無我夢中のごとく
大好きな作品を聴き続けていて、いわゆる
本当の意味での「ヘビロテ」だった。
それはでも、そのころというのは
お金も無くてCDやビデオもたくさん買えないし、
買ったらそれだけしか聴けない、と申しますか。
つまり、必然的に、
それだけを重点的に聴く、
となっていたふしもあるやもしらないか。
だからこそ、それらの音楽を
とてもよく聴いていて、そして、それから
二十年三十年経った今になってその音楽を聴けば、
懐かしいと思えたり、また、昨日のブログのごとく
それだけ聴いていたからこそ、じぶんの身体に
その音楽があまりにも馴染んでしまっていて、
もはや懐かしいとも思わない、みたいなこともあって。

このことより考えるとすると、たとえば
今、リリースされて聴く音楽もね、
ある将来のときになってから、あらためて
聴いてみたときには、今と同じく
懐かしいと思えたり、もしくは
あまりにも身体に馴染んでいたからこそ、
もはや懐かしいとも思わない、
みたいなことって、どれだけあるんだろう?!
いや、もしかしたら
あんまり無いのかもしれないよなあ、
って思えるし、そう思えば
ちょっとさみしくも感じられる。

逆を言えば、そういうふうにして
無我夢中に、一心不乱に、我を忘れて
情熱を持って鑑賞に没頭する、って、
とくに10代のころしかできないのかもしれない。

いやいや、40代と成ったこの今のぼくだっても
鑑賞における情熱の灯は全然消えてないと思うけれども、
それでも、やっぱりあのころのようには
鑑賞をできていないし、なおかつ、もう
そんな鑑賞もできがたいようにも思えちゃう。
そう考えると、やっぱり
10代、つまり、ティーンエイジャーの時間ってえのは
貴重だなあと思えるし、そしてまた
そのころ鑑賞して感じたこと、なおかつ、さらに
ぼくの場合は20代の半ばから後半にかけて
必死に読み物事を考えようとした書籍によって、
今のじぶん自身があると言っても過言でない、
とも言える気もするの。

そうとは言ってみても、まだまだ
じぶん自身が完成したなんて思えないから、
今、及び、これからの鑑賞に期待しながら
過ごしてゆけたい〜。

令和6年5月10日


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