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500年前の邪馬台国について。

「邪馬台国」の場所って、
じつはどこだかわからない、
というお話しって、なんとゆうか、
不思議というか、神秘的というか、
なんだか、好きなのよね。

「邪馬台国」とは、2世紀・3世紀ごろ、
日本列島に存在していた国であり、そして、
邪馬台国の女王・卑弥呼についてのことが、
中国の歴史書『三国志』における
「魏志倭人伝」と呼ばれる記述の中に記されている。
とは言ってみても、ぼくはさ、
「魏志倭人伝」の文書を見たことがないので、
詳しいことは何も言えないんだけれども。

でも、たとえば、
「魏志倭人伝」とは、
3世紀末ごろ記されている、とのことなのですが。
当時の日本列島においては、
邪馬台国の記述は残されていなくって、
はたまた、当時の町の遺構なども、
見つかっていなくって、なので、中国の
「魏志倭人伝」による記述のことばから、
邪馬台国があった、と、されているのでしょう。

日本最古の歴史書と言えば、
『古事記』と『日本書紀』なのですが。
『古事記』は和銅5年(712年)、
『日本書紀』は養老4年(720年)に編纂された、
とのことですので、日本列島には、その時代まで
ことばによる記録がなかった。
もしくは、記述はあったとしても、
なんらかの理由で記録が残されなかった。

そう考えてみると、
邪馬台国の時代から約300年後における、
「聖徳太子」もまた、
当時の記録は残されていなくって。
「聖徳太子」に関する記述は、
『古事記』や『日本書紀』によるらしい。
つまりはさ、当時、
「聖徳太子」に関することは、
リアルタイムで記された記録ではなくって、
100年前に起きた出来事を、
さかのぼるようにして記していたんだなあ、と思われる。

100年前ってさ、
けっこう昔だなあ、と思うんですが。

おそらく、それまで、
口伝によって伝えられていた
「聖徳太子」についてのことを、日本列島にて
ことばによる記述がなされるようになったころ、
このことも記しておこう、と思われて、
『古事記』や『日本書紀』にて記されたのでしょうか。

ならば、『古事記』及び『日本書紀』の時代から
約500年前における
「邪馬台国」に関することは、
どうだったんだろうか。
って思って、ネットで検索したりしつつ。。
500年前ってさ、やっぱり、
かなり昔のことだからさ。
『古事記』や『日本書紀』の時代の人たちは、
500年前の歴史の出来事であった
「邪馬台国」について、
どう思われていたのかなあ。

もしくはさ、たとえば、
『古事記』及び『日本書紀』の時代の人たちは、
「縄文土器」と「弥生土器」では、
どっちが好きだったんだろう?

どっちも、ドキ!

令和4年11月14日

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