見出し画像

折に触れて考えているとしても。

昨日のブログでは「頭がよい」ということについて、
学校の勉強がよくできる、及び、
よい学校(大学など)を出ている、というのも
そのうちのひとつだとは思うけれども、
それだけに限らないとも思う、
みたいなことを申しあげました。

このことをさらに続けて考えてみるとね、
学校の勉強がよくできる、とは、つまり
テストで高得点を取ることができる、
ということなのだとぞんじますが。
学校のテストで高得点を取るには、
理解力、記憶力、応用力、そして、試験問題によっては
独創力などなども必要なのやもしれないですが、
これら以外としてけっこう大事なのは、
時間内でたくさんの問題を解く力、なおかつ、
時間内で急いで解いたとしても間違えない力、
みたいなことだと思うのよね。

つまり、学校のテストには、
制限時間がある。
制限時間内により多くの問題を解き、
そして、正解する、このことがね、
テストで高得点を取るための鉄則だと思われる。
言い換えれば、学校の勉強のテストでは
素早さと正確さが求められる。

ともすれば、先述の「頭がよい」とは
学校の勉強がよくできる、なのだとするならば、
「頭がよい」というのは、つまり
素早さと正確さなのだとも言えるかなあ。

素早く、かつ、正確に、
正解へとたどりつく力。

そう考えてみるとね、その力って
ぼくには皆無と申しあげますか。
まずは、まったく素早くできないから。
そして、急げば急ぐほど焦っちゃって
ミスも多くなってしまうんだから。
さらには、その「正解」というものもね、
学校のテストの問題には、いわゆる
正解が用意されていて、この
正解にたどりつくことが必須なのだとしても、
世界には、必ずしも
正解が用意されている問題ばかりじゃあない、
と、感じているからこそ。
完全に正しい正解というものに対して、
疑心暗鬼になっているふしもあるから。

ぼくは、
「正しさ」とは何か?
ということがよくわからない。

よくわからないからこそ、
考える。
考えてもよくわからないから、
また、考える。そして、
今日もわからないままで終わる、的な?!
でも、今日はここまで考えられた!
のごとく、たとえば、
本に付箋をはさむ、とか、
ゲームで冒険をセーブする、とか、
家の柱に子供の背を記録しておく、とか、
みたいなふうにして、
考えごとが進めばよい、と思っている。

考えるって、ぼくには
時間がかかる。
それはおそらく、ぼくが
頭がわるくってばかだからだと思うけれど、
それならばそれでよい、とも思うの。

以前、吉本隆明さんが
【鈍刀のほうが、実はよく切れるんだぜ】
(吉本隆明さん・糸井重里さん共著『悪人正機』、
新潮文庫、26頁より。)
とおっしゃっていて、つまり、
カミソリでは大木は切れない、
みたいなことなのだと思っているですが。
このことを読んで以来、
「鈍刀」つまり
「鈍い」ということについて、
折に触れて考えている。

折に触れて考えているとしても、
案の定、よくわからないと言えば
よくわかってないけど、それもまた
「鈍さ」のうちのひとつなんだぜ、
と、ぼくは信じたい。

令和6年4月29日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?