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講演『「かっこいい」ということ』(前編)

なるべくならば、
2か月に1度ぐらいのペースでね、
「吉本隆明さんの講演を聴くシリーズ」を、
ブログで書きたいなあと思っていて。

そして、こんかい聴きました吉本さんの講演はさ、
『「かっこいい」ということ ─岡田有希子の死をめぐって』
です。

どうしてこの講演を聴こうと思ったのかはね、
2018年CDリリースされました
小室哲哉さんの音楽作品集
「TETSUYA KOMURO ARCHIVES BOX」の
「T盤 Disc1」3曲めには、
岡田有希子さんの『Sweet Planet』(1985年9月18日発売)
という曲が収録されていて。
ぼくは、この曲を小室さんの作品集で初めて聴きながら、
はじめはあまりわからなかったのですが、だんだんとね、
素敵だなあと感じまして。それからは図書館で、
岡田有希子さんのベストアルバムを借りてきて、
聴いていたのですが。。。

当時若い人の後追い自殺が相次いで社会問題ともなった、
岡田有希子さんの自死については、ぼくは、
すこしニュースを聞いたことあるくらいで。
岡田有希子さんの曲をこのごろ聴きながら、
このことも気になっていたですが。そうしながら、
吉本隆明さんの講演の一覧を眺めていると、
このタイトルの講演があったので、聴いてみたい。
と思ったのよね。。。

この講演は、1986年5月4日、
新宿・紀伊國屋ホールで開催されまして。
講演のなかでまず吉本さんは、
「岡田有希子はなぜ死んだか?」
という問いについてお話しされます。それはおそらく、
「本当の自分」と
「芸能界という役割としての自分」、つまりは、
「フィクションとしての自分」であったり、
「強いられた自分」であったり、
「自分が演じている自分」との切り替え方が、
うまくできなかったからなのではないか?
とおっしゃいます。そして、
その「役割としての自分」というような、
「閉じられた狭い世界」の場所から、
逃れることができなかった。と。

また、こういうような
「本当の自分」と「役割としての自分」のことについて、
たとえば「受験生としての自分」のように、
おなじように悩む少年少女が、後追い自殺という形で、
それに共感されたのではないか。

また、この
「本当の自分」と「役割としての自分」という問題は、
たとえば、
「文学者としての自分」や「音楽家としての自分」や、
「勤め人としての自分」や「労働者としての自分」や
「生活人としての自分」から、どう離脱するのか?
つまり、「役割としての自分」ではない
「本来的な自分」の場所は、どこに在るんだ?
と模索することは、これから(1986年当時)の
大きな課題になってゆくような気がします。

‥‥と、吉本さんは言っておられます。

講演を聴きながら、なんだか、
ちょっとうまくは言えないんですが、
この講演から30年以上が経つ今でもまだ、
こういうような問題や課題は、
社会にたくさん存在しているように感じられるの。

そして、この課題を考えるキーワードが、
この講演のテーマとなっている
「かっこいい」
とのことなのですが。このことについてはね、
また、次回noteで記したいとぞんじます。

小室哲哉さん作曲の
『水色プリンセス』もよい曲〜。
どの曲もね、岡田有希子さんの歌声が綺麗で、
すてき。。。

令和2年4月8日


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