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深く掘り下げるための方法。

ぼくは日々このようなブログを記しているけれども、
なぜ、ぼくがブログを記しているか?
ってえのはじぶんでもよくわかっていない。

いつぞやのブログでも申していたと思うですが、
ぼくとしては、文章を書くのが
「好き」とは言えない。
文章を書く、って、そもそも
大変だし、つらいし、つまり、言ってしまえば
めんどくさいし、及び、めちゃくちゃむつかしいし、
なんにしろ、不器用なぼくとしては
文章だってもうまくしるせない。

ぼくがブログを記し始めたのは、
20代のころ、ある恩師の先生より薦められたから、
というのが理由なのですが、つまりはさ、
ぼくはたぶん、ぼく自身からの
自発的にはブログを始めてなかったと思う。
先生よりそうおっしゃられたからこそ、
始めた、というような、ある種の
縁によってスタートしたとしか言えないなあ。

このぼくのブログでは、主にじぶん自身の
考えていることを記しているけど、それは
考えていることをブログで記しているのか、それとも
ブログを記すために考えているのか、ってゆうのもね、
よくわからないと言えばよくわからない。
どっちにしろ、どうしても頭の中で
考えこんでしまうタチのぼくとしては、
ブログを記すことによって、ぼく自身が
救われる、というふうにも感じられるからこそ、
ブログを記しつづけているんだろう、って思うの。

そんなようなブログを記すぼくとしては、
たとえば、じぶん自身の
考える範囲みたいなことを、
広げられたら、というのは思ったりもする。

ぼくの考えることとは、ぼくの
興味があること及び好きなこと、
もしくは、トラウマ的な、つまり、ぼくが
いやだなあと思ったことであったり、
というその内容とは、いわば
じぶん自身に由来していたり、
じぶん自身に起因していたりすると思うけれども。
以前のブログの中では、たしか、
「浅く」や「浅める」的なことを書いていて、
それと矛盾しているとも感じるけれども、
じつは、そんな、じぶん自身を
「深く掘り下げたい」とも考えている。

地面を掘ることにおいて
「深く掘るには、広く掘らなければならない。」
ということばも聞いたことあるですが、
つまり、比喩として言えば
「深く掘り下げる」にしても、
広く掘らなければならないのでしょう。
とは言えども、広く掘るのも
案外、むつかしい、とも思える。

ぼく自身のイメージで申すと、
広く掘っているつもりでも、じつは一方向のみの
同じほうばっかり掘っている、
というパターンはおおいにありうる。
一方向のみだけでは、
「広く」はならないんだから。
なぜ、一方向のみにしか掘れないか、というのは
「壁」があるだと思うのね。
その方向には「壁」が無いから掘ることもできるけど、
別の方向には「壁」があるから、そっちを
掘り進めるのは大変であったり、もしくは
ある方向には「見えない壁」があって、
そっちのほうを掘る、ってえのは
じぶん自身も想像できてない、とか。
そしてまた、たとえば
「深く掘る」ことだってもね、あるところまでは
難なく掘れたとしても、ある地点からは
固い岩盤があって掘るに掘れない、とか。

なんにしろ、
「深く掘り下げる」のは、
困難である、と言えるやもしらない。

だからこそ、ぼくとしては
文章を記すのは好きとは言いがたいし、
得意だとも言えないにしても、そんなような
深く掘り下げるための方法を模索するようにして、
このブログを記している、
と言っても過言でない気もする。
むしろ、文章を記すのが得意だったらば
そんな模索とかしなくとも、
ブログの文章も楽に書けるのだろうし、そして
じぶん自身の考えていることを記すのも
ごく簡単にできてしまって、ともすれば
逆に、「つづける」というのも
できにくい、みたいなこともあるかもしれない。

そう考えてみるとね、そんな
不器用なじぶん自身だからこそ、ぼくは
ブログを記すことができているとも言える?!
とは思えども、あまりにも
不器用すぎる文章だから読むに耐えない、ということも
おおいにありうるとも思えるけれども。
いつか、その、もうすこしだけでも
深く掘り下げられるようになれたら、
って願っているの。

令和6年5月6日


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