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歌を「歌う」ようにして。(『エソラ』ver.)

音楽を聴いているとね、とくには、
大好きな歌を聴いていると、
その音楽には、なんとゆうか、
大事なものすべてが入ってるかのようで、
不思議に感じられたりもする。

音楽とは、LとRの
ヘッドホンやスピーカー等から流れてくる
「音」の連なりのはずなのに、つまり
「音」には形も質量も無いはずなのに、
そこでは、立体的な空間が
立ち上がっているようにも思えてくる。

たとえば、歌の場合では、
楽器の演奏の「音」だけでなくって、
歌われる「声」もあるだろうし、
歌われる歌詞の「ことば」もあるだろうし、
それらの要素が絶妙に合わさりながら、かつ、
絶妙に連なることによって、そこに、あたかも
形や質量や色彩や温度や匂いや風や光や、というような
「世界」が出来ているようだ。

そのときにね、この
「世界」とは、たとえば、
歌詞の「ことば」は、どれだけの割合で
その構築に関わっているんだろうか?
ってゆうのはぼくにはわからないけれど。
でも、ぼくの想像として考えるとすれば、
その歌詞の「ことば」だけでは
「歌」にはならないから。

おそらく、その「歌」には、
歌の「メロディー」があり、
歌われる「声」があり、そこに
歌詞の「ことば」が合わさり、そして、
曲の「演奏」があって、
音楽の「リズム」があって、
それらのあらゆる相乗効果によって、
そんな「世界」を感じられるんだろう。

でも、ぼく自身としては、
音楽の知識みたいなものは持っていないので、
音楽及び曲の感想を、とくにはさ、
歌の感想を語ろうとするときには、
どうしても、歌詞の
「ことば」のことを見てしまう。

歌詞の「ことば」とは、歌詞カードを見たりすれば
そこで記されているんだから、
目にも見えやすい、と申しますか。
ぼくは楽譜も読めないから、
あっ、でも、一応、アコースティックギターをね、
趣味の範囲でさわったりするので、
コード譜やタブ譜は多少はわかるですが、
でも、やっぱり、その
「ことば」をつよく見てしまうんだ。

ぼくのこのブログでも、
好きな歌について書くときには、その歌の
歌詞を引用して書くことも多いのですが、
これってば、ほんとうはさ、
音楽の感想としてどうなんだろう?
ってゆうのは、ちょっと考えたりもする。

音楽の歌詞のことばとは、
「論文」ではない、と思っている。

かと言いながらも、
歌詞のことばとは、
音楽における優先度がひくい、
とも思わないけれども。

そのあたりのことはね、つまり、
音楽を聴きながら感動したその感覚を、
ぼくは、どう表現することができるのか?!
ってゆうのはぼくにはわからなくって。
そんなぼくが想うのは、
歌詞の「ことば」を見るのではなくて、
歌は、歌なのだから、
ぼくはその歌を歌いたい。

小説やエッセイ等の場合では、ことばを
「読む」わけだけれども、つまり、
黙読だったり、音読だったり、
でも、音楽の曲の歌詞の場合では
「読む」ことよりも、そのことばを
「歌う」のほうが適切だと思うの。

ならば、ぼくとしてはね、ブログで
歌詞を引用するようなときにも、
「読む」ように、つまり、逆を言えば
「書く」ようにするんではなくって、
「歌う」ようにして、その
歌詞のことばをしるせたい。

音楽の知識も無くて、かつ、
演奏も出来ないようなぼくは、
でも、下手だろうが、なんだろうが、
歌を歌うことはできるから!

オー ロックミーベイベー トゥナイト
ほら もっと ボリュームをあげるんだ!!!

令和5年6月21日

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