ある日の駐車場

「焦る」というサイン。

だれかとくらべてしまって、
じぶんが「焦る」。
ってゆうのも、ときに感じたりするけれども。
でも、だからと言って、
「焦っても、しょうがない。」というのは、
このごろは、あんまり思わないな。

ぼくは、たとえば、
大学卒業後に入社した職場を半年くらいで辞めたあと、
そのつぎの4月から、
デザイン系の専門学校へ通ったのですが。
年齢的なこともあったし、その専門学校のときは、
じぶんで言うのもあれですが、
とてつもなく、焦っていた。と感じる。

それはたとえば、なんでしょうか、たとえば、
時間内にお豆をべつのお皿にお箸で移す
ゲームをしているときとかに、
「あと10秒ですよ〜!」という声が聞こえてくると、
焦っちゃって、うまくできなくなる。
みたいなことってあると思うけど。

専門学校のときには、おそらく、
そんなふうにひじょうに焦ってしまって。
それで、じぶんを精神的に
追い詰めるかのようにさせながら、
そして、クラスメイトや先生方へも
ご心配ご迷惑かけてしまったりもして(親にも…)、
申し訳なかったです。と想ったり。。。

ぼくは、このデザイン系の学校へ通って、
学科はグラフィックデザイン科だったですが、
でも、グラフィックデザイナーにはなれなくって。
だけれども、この専門学校で習って知ったこと、
とゆうのは、とてつもなく、
たくさんあったように感じる。

こう言ってはよくないやもしれないんですが、
焦っていたからこそ、
詰め込みすぎようとして、
だからこそ、知ることができた。みたいな???
そういうのもある気がしているの。

「焦る」ということばって、
よくないこと、というか、どちらかと言えば、
ネガティブな印象があるけれども。
ぼくは、あんまり、そう感じない。
「焦る」ときって、
「やることを、ちゃんとやろう。」と
じぶんが感じているときだと思うから、つまり、
「じぶんの『やること』を『やる』んだ!」
ってゆうサインなのかもしれないと思うのよね。

だからこそ、
焦るようなときには、ちゃんと
焦ったほうがよいかもしれん。と。

そうは言っても、わざわざ、
むやみに焦ろうとすることもないけれども。
焦らんければ、なんにもしなくって、
焦ることによって、体が動く。
みたいなこともあるかもしんない。

じぶんが焦っているときの
そのじぶん自身の焦るサインを、
見逃さないようでありたいな。

令和2年3月10日


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