宗教としての天皇制

講演「宗教としての天皇制」

吉本隆明さんの講演フリーアーカイブ集
「吉本隆明の183講演」の講演を聴いてみようシリーズ、
更新はおそらく数か月ぶりなのですが、こんかいは
【A016 宗教としての天皇制】
という講演を聴いてみました〜。

この講演は、1970年5月16日、
学習院大学の教室にて行われたとのことですが。
そもそも、どうしてこの講演を聴いてみようと思ったかは、
やはり、元号が変わったし。天皇制とは何なのか? を、
吉本さんの講演で聴いてみたくって。
探してみれば、このタイトルがヒットした、
というのが理由なんでして。

でも、元号が変わってからしばしば経つし。
そのあいだ、何度かこの講演を聴いていながら、、、
ブログで書くとなると、もうちょっと聴き込まないとぉ、
って思いながら、数か月が経っちゃったわねぇ。。。

この講演【宗教としての天皇制】のなかでね、
ぼくがいちばん印象的だったのは、吉本さんが幾度も
「よくわからない」ということばをおっしゃることです。

たとえば、天皇制の起源の以前にも
日本列島には郡単位の国家が分立していたけれども、
郡単位の国家から天皇制の統一国家へと至る
その「継ぎ目」がよくわからない。また、
種族としての日本人の起源と天皇制との「関係性」が
よくわからない。はたまた、
統一国家以前の日本列島の国家にはどんな「法」があったか、
が、よくわからない。そしてそもそも、
天皇制の「起源」がよくわからない。そして、天皇が
(天皇のことを吉本さんは「天(てん)ちゃん」とおっしゃる
ばめんもあったですが。)
交代するときに行われる「大嘗祭」の儀式のなかでは、
なにが行われているかわからない。というような、
その「よくわからない」ということばを起点にして、
講演が進んでゆく印象がございました。

これらのお話しではさ、ぼくとしては、
むつかしい箇所もたくさんあって。
なかなかじぶんのことばでは説明できないんですが。

たとえば、天皇制の集団はどこからやってきたか?
というのは、大陸から水耕稲作の技術を持ってやってきた、
つまり大陸から、つまり、「朝鮮」からやってきたんだ。
もしくは、北九州からやってきた。もしくは、
言い換えれば、種族としての日本人というのは、
北九州起源でもあり、朝鮮起源でもあり、と、
さらにはもっと幾十にも混血していて、正体がわからない。
とおっしゃるのは、今は、時期が時期だし、
じぶんとしては聴いていておどろきを感じた。

また、このことと合わせまして、
天皇制には宗教的な「タブー」がある。というのも印象的でした。
たとえば、深沢七郎という作家の小説『風流夢譚』では、
「天皇の首がころりと落ちる」という表現が
頻繁に出てくるらしいのですが。
その表現に怒った人が、事件を起こした。とおっしゃるのも、
なんだか、このごろの『表現の不自由展』の問題のことと
リンクしているように思われた。

そして、「沖縄」のお話しのことも興味ぶかかったです。
この講演は沖縄返還以前の1970年に行われておりますが、
「本土復帰しても、行くも地獄、帰るも地獄というやつで、
あまりよいことがない。」と言う、それはつまり、
本土復帰したとしても、沖縄は、
本土から見れば僻地であり、辺境であり、離れ島であり、
後進地帯や不毛な県というイメージしか持ちえない。
しかし、もっとよくよく考えてみれば、
沖縄や琉球には、天皇制国家以前における
「日本国家」の本質や根底があって。
そこを考えないで、そこを踏まえないで、
政治家が本土復帰運動をするから間違えてしまうんだ。
とおっしゃるのは、なんだか、今聴いても、
そうなのかもしれない、
そういうふうに考えられたら、と感じました。

なんか、ブログ書いているうちに、
文章がどんどん長くなってしまったですが。
吉本隆明さんの講演【A016 宗教としての天皇制】を、
この今に聴けてよかったなあ。と思ったです。。。

つぎは、どの講演を聴こうかねぇ。。。。。

令和元年8月18日


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