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ある一貫した価値観。

ぼくは、Mr.Childrenが大好きなのですが。

ミスチルの魅力、というのもね、
いろいろあるとはぞんじますが。
それは、たとえば、
曲だったり。
歌だったり。
歌の歌詞だったり。
ライブでの演奏だったり。
桜井さんの歌声だったり。
CDやDVD等のパッケージデザインだったり。
そういうことが挙げられると思うけど。

ぼくが感じているのは、
うえでも挙げましたが、
ミスチルの「歌詞」には、
たびたび、べつの曲同士で、
共通の語句が登場することがあって。
たとえば、
「ドア」や、「ノック」や、
「靴ひも」や、
「口笛」や、
「ダーリン」や。などなど。

そういうのを聴くとね、
ミスチルを長年聴いているぼくらとしては、
おぉー! と思って、
この曲と、あの曲は
どういう関係があるんだろう???
みたいに考えちゃったり。
そこでまた、曲について、
あたらしい発見が見えてきたり。

そういうのが、また、なんだか、
うれしかったりするのよねえ。

この
「歌詞に共通の語句が登場する」
というのは、歌詞のことばが、
たとえば、作為的に、戦略的に、
描かれている面もあるやもしれないですが。
ぼくが思うには、やっぱり、
あえて描かれる、と言うよりかは、
自然的に、語句が思い浮かばれて、
そのことばが歌詞になる。

つまりはさ、
じぶん自身で嘘をつかなければ、
じぶん自身が考えるテーマは
共通するものが多くなるんだろう。
ってゆうのをね、ミスチルの曲から
教えられているような気がするのよね。。。

このごろのぼくのブログでは、
武富健治さんのマンガ
『鈴木先生』のことを書いているですが。
昨日のブログで書きました
「折りにふれて」
のことで言えば、一貫しているような
テーマや考えや価値観が無ければ、
折りにふれて、
物事を伝えることもできないやもしんないな。

『鈴木先生』のストーリーの中でもさ、
「鈴木先生」の生徒たち自身が、
鈴木先生が私たちのことを叱るのは
こういう時だけだった気がする。
と、気づく場面があって。
(第6巻「@鈴木裁判 その6」より。)

それも、ある意味では、
「鈴木先生」には、
ある一貫した価値観みたいなものがあって。
その価値観が、元になりながら、
生徒たちと接しているのかもしれない。

ぼくは、そういうようなことを思い出すため、
『鈴木先生』を読んだり、
Mr.Childrenの音楽を聴いたり、
しているんだろうかなあ。

折りにふれて。。。

ちょっとぐらいの汚れ物ならば
残さずに全部食べてやる

令和2年9月28日


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