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私なりの読書のSDGs。

ぼくは本を読むのが好きではあるけれども、
でも、これまでたくさんの本を
読んできているわけじゃあない。

読むのはおそいし、なおかつ
興味の幅もひろいわけでもないし、
どちらと言うと、けっこう保守的で
いろいろな本をどしどし読んでゆく、
ということもあんまりできない。
そもそも、以前のブログでもすこし申しましたが
ぼくは二十代半ばごろより読書をするようになったので、
現在42歳のぼくとしては読書歴も浅いし、
いまだ新参者、と申しますか、そんなぼくが
読書を好きと言うには、どことなく
申し訳なさを感じると申しますか。

でも、それでも、ぼくはぼくなりに
読書をしてゆけたいし、もっと、言うならば
本を、つまり、文章を
速く読めるようになりたい、とかは思わないな。

たとえば、
「一日に一冊読む人」と
「一週間に一冊読む人」がいるとして、つまり、
前者の人は一年で365冊、五十年で18,250冊、
後者の人は一年で約52冊、五十年で2,600冊、
(うるう年は計算していません!)という冊数の
本を読めたとして、五十年間で
18,250冊読んでも、2,500冊読んでも、
ぼくとしては18,250冊のほうがすごい、
とは思わなくって、どちらも
とってもたくさん本を読んでいる、と思えるから。

どんなことでも、大切なのは
「習慣」と申しあげますか、
もしくはね、読書で言えば
「今、読んでいる本」がある、
ということだとも思っている。
そして、さらにね、
「今、読んでいる本」を読み終えたら
「次、読みたい本」がある、という気持ちが
読書の習慣を作るのかもしれない。
もっと言おうとするならば、どんなことでも
「今」と「次」を思うことが、
あらゆる習慣を作る、とも言えるかなあ〜。

そんなような、でも、
本を読むのがけっこうおそいぼくは、
読みたい本も溜まっているんだけれども。
しかし、一冊を読み終わらないうちに
さらに読みたい本が増えてゆく、という
うれしい悪循環と言うべきか、それとも
私なりの読書のSDGsと言うべきなのか。

先日はね、図書館で借りてまいりました
川上弘美さん著『大きな鳥にさらわれないよう』を
読み終えてから(すごかった!!!!)、次、
ようやく購入していた本を読めるぅ〜、
って思っていたら、昨日よりWEBサイト
「ほぼ日刊イトイ新聞」にて連載スタートしました
『「国境なき医師団」は、かっこいいチームなんです。』
のなかで、糸井重里さんと対談なされている
「白川優子さん」の著書『紛争地の看護師』をね、
昨日、たまたま市内の図書館近くを訪れたので
その図書館にも立ち寄り書籍を借りてまいりました。
すこしばかり読み始めながら、でも、また
購入している本のほうは読めないんだな。
図書館の書籍は返却期限があるから、
どうしても優先的に読まないと、と思っちゃう。

それでもね、今、及び、
次、読みたい本がある、
ということはありがたいことだなあ!
って思いながら、こんなふうにして
ぼくはぼくなりに読書をしてゆけたいぜ。

令和6年4月6日


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