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生活上のデフォルトのように。

じぶん自身と誰か、及び、
誰かと誰かとを比べることは、結局のところ
じぶん自身、もしくは、その誰かを
「蔑む」ことになるから、
他人と比べてもしょうがない、って言うよりかは
他人と比べるのは良くない、
とも言えるのかもしれない。
って、前回noteでは申しあげまして。
そうとは言えども、やはり、ぼくだっても
人と人とを比べてしまうとも思うけれども。

人と人とを比べることで考えるとすると、
その原初的なことで言うならば、それは
学校の試験の「順位」なのやもしらないなあ。
とくにはさ、中学校以後、
定期テストでの点数の結果によって、
学年における順位がはじきだされる。
この順位というのは、つまり、
人と人とを比べる、というものでもあると思うけど、
テストの順位とは、なぜ、あるのか?
というのはぼくはよくわかってない。

たとえば、成績優秀者は
この順位を下げないようにと思って、
闇雲に頑張らなければならない、
と考えるようにもなるやもしらないし、
そしてまた、成績下位者は
どれだけ頑張ったとしても無理なんだから、
勉強をする気も失せる、
と考えるようになるやもしらない。
つまり、テストを受けるどの生徒たちにとっても
苦しい気持ちだけがよぎるかのような、かつ、
勉強もつらいものになってしまう。
逆を言えば、テストの点数による
「順位」をつけることが、ほんとうに
生徒たちの勉強のモチベーションを「高める」ために、
存在しているのかどうか? というのは、ぼく自身が
かつて感じていた感覚で言えば、わからない。
そう考えるともすれば、たとえば
学校のテストの「順位」とは、
生徒側のためにあるのではなくって、
教師側が生徒の成績をつけやすくするためだけに
あるのではないか?! とも勘ぐってしまうけど。

ほかの方々はどう思われるかはぞんじないですが、
ぼくが思うのはね、学校の勉強をいやだと思うのは
学校の勉強には「テスト」があり、そして
そのテストには「順位」が出る。
「順位」とは、つまり
「人と人とを比べること」であるから、
前回noteで申しました理屈より言うならば、
人と人を比べれば、そこには
必然的に「蔑み」が生まれる。
だからこそ、いやだと感じてしまうし、
つらいとも感じられる。

いや、かと言って
「順位を出すのを無くせば良い」とか、
そういうことはわからないんですが、
つまり、どうすれば、子どもたちがみな
ポジティブに思いながら学校の勉強を行えるのか?
というふうに考えるときの解決策も、
ぼくはよくわからないけれども。

そして、でも、そこから
勉強だけでなく、あらゆることにおいて、
他人と比べることが、生活上の
デフォルトのようになってしまった。

他人と比べてもしょうがない、
と言われるときにね、たとえば
「じぶん」と「他人」を比べるのはなくって、
「今のじぶん」と「過去のじぶん」を比べる、
というのもよく言われるともぞんじますが。
つまり、じぶん自身を時間軸上でながめながら
今のじぶんはどのような状態にあるのか?
を把握することによって、
他人と比べる苦しみより逃れられる、的な。

ぼくは大人になってからこの考えを知り、
気持ちがけっこう楽になったたちなのですが。
学校の勉強においてもね、テストの順位は
出てしまうからしょうがないとして、でも、
そのテストの結果から、今のじぶんの勉強は
過去のじぶんよりどのように移っているのか、
を、見る、というのも大切なのかもしれない。

学校の勉強とは、
何のためにするか? ってゆうのは、
人それぞれなのだとも思うけれども、
それを「順位」のためにしようとするのは
けっこうつらいことだよなあ、って、
ぼくとしてはぞんじております。

令和6年4月27日


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