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吉本隆明さんの講演を聴いてみたい〜。

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ほぼ日刊イトイ新聞「吉本隆明の183講演」より、吉本隆明さんの講演を聴きながら思った感想を書いてみるシリーズ。
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2016年6月の記事一覧

第22回 あなたの心のままに

【げんざい、吉本隆明さん講演『喩としての聖書−マルコ伝』を、ちょっとずつ一声ずつ聴いてゆ…

鈴木秀之
8年前

第21回 自分自身を信じてるか?

【「ほぼ日刊イトイ新聞」の「吉本隆明の183講演」より、吉本隆明さん講演『喩としての聖書−…

鈴木秀之
8年前

第20回 「考える」について考える。

【現在このnoteでは、吉本隆明さん講演『喩としての聖書−マルコ伝』を、ゆっくりじっくり聴い…

鈴木秀之
8年前

第19回 どう信ずるか?! のつづき。

【げんざい、吉本隆明さんの講演『喩としての聖書−マルコ伝』をゆっくりちょっとずつ聴くとい…

鈴木秀之
8年前
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第18回 どう信ずるか?!

【げんざい、吉本隆明さんの講演『喩としての聖書−マルコ伝』をゆっくり少しずつ聴くシリーズ…

鈴木秀之
8年前
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第17回 本当の信じかた

【吉本隆明さんの講演『喩としての聖書−マルコ伝』をすこしずつ聴くシリーズやってます。だい…

鈴木秀之
8年前
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第16回 何千年経っても古びない言葉

【前回noteよりつづきまして。吉本隆明さんの講演『喩としての聖書−マルコ伝』をちょびっとずつ聴く、的なシリーズをやっています。第16回め〜。】 こんにちはっ。ほんじつもさっそく。。 つまり、こういう認識が、それじゃあ例えば、千年なら千年、二千年なら二千年前にもうすでになされている。人間性についてなされている。っていうことが、誠に思想として見事だって言うより他ないわけです。(チャプター4 / 聖書の思想のいちばん大切なこと_9:49〜) このような認識、つまり「同信者(

第15回 誠に見事な「人間性」の洞察。

【前回noteよりつづきまして、ほんじつも、吉本隆明さん講演『喩としての聖書−マルコ伝』をゆ…

鈴木秀之
8年前
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第14回 最後の晩餐(パート3)

【『喩としての聖書−マルコ伝』という吉本隆明さんの講演を、ゆっくりすこしずつ聴く的なシリ…

鈴木秀之
8年前
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第13回 最後の晩餐(パート2)

【「ほぼ日刊イトイ新聞」の「吉本隆明の183講演」より、『喩としての聖書−マルコ伝』という…

鈴木秀之
8年前

第12回 最後の晩餐(パート1)

【吉本隆明さん講演『喩としての聖書−マルコ伝』を、ゆっくり一声ずつ聴いてゆくシリーズ、や…

鈴木秀之
8年前

第11回 続・近親者の裏切り

【現在このnoteでは、思想家・吉本隆明さんの講演『喩としての聖書−マルコ伝』を、ゆっくりじ…

鈴木秀之
8年前

第10回 近親者の裏切り

【げんざい、吉本隆明さんの『喩としての聖書−マルコ伝』という講演をすこしずつゆっくり聴い…

鈴木秀之
8年前

第9回 全部の領域を踏まえて

【吉本隆明さん講演『喩としての聖書−マルコ伝』を、日々、ほんのちょっとずつ聴きすすめております。ほんじつは「第9回目」です〜。前回noteはこちらです〜。】 どーも、こんにちはっ。 前回では、「近親者としての人間」「公の人間」「自分自身としての人間」というこれらは「ある場合には互いに相矛盾する。」と、吉本隆明さんお話ししておりました。 ここから、さらにつづけられるのは、 ひとりの人間の中でも相矛盾します。そして、(チャプター3 / 聖書のすぐれた洞察_8:09〜)