マガジンのカバー画像

38歳のノート。(了)

365
運営しているクリエイター

2021年2月の記事一覧

マーブル模様の時間軸。

マーブル模様の時間軸。

おとといときのうのブログでは、
先日の『YOU』のアンコール放送を観て
考えたことを書いたのですが。

とくにはさ、
おとといのブログを書いているときには、
ブログ書きながら、なんだか、
今が、いつの時代なのか、
ちょっとわからなくなったような気がしたのよね。

今回アンコール放送されました
『YOU』の番組は、
「1984年6月9日」の生放送だったのですが。
番組では【気分はもう21世紀人】とい

もっとみる
「貯蓄」と「排出」と「今、喋りながら気がついた」のこと。

「貯蓄」と「排出」と「今、喋りながら気がついた」のこと。

前回noteでは、先日放映の
『Eテレ プレーバック』にて、
1984年6月9日放送されました
『YOU「特集 100回記念 気分はもう21世紀人」』
のアンコール放送を観たことを記しましたが。

当時の『YOU』の番組の中にて、
前回書いたこと以外についてでは、
日比野克彦さんが
あることばをおっしゃっていて。
ぼくは、そのことばがつよく印象に残りました。

それは、作品制作の悩みについて、

もっとみる
気分はもう21世紀人。

気分はもう21世紀人。

先日放映の『Eテレ プレーバック』では、
1984年6月9日に放送されました
『YOU』のアンコール放送、および、
放送当時を、現在から振り返る。
という内容だったのですが、
おもしろかったなあー。

糸井重里さんが司会をされていた
『YOU』という番組のこと、
1982年生まれのぼくは、
リアルタイムでは観たことなくって。
たまにね、こうして再放送される
アンコール番組でしか触れたことはないので

もっとみる
途中参加するフィールド。

途中参加するフィールド。

ぼくがうまれるまえから、
お金や、言語や、法律や、文化や、社会や、
などなどのあらゆることがらは、
すでに存在していて。

そんなような、
すでにキックオフが告げられている
ゲームプレイ中のフィールドのなかに、
途中参加で入りこみながら、
今へ至る。

さいしょは、このフィールドでは
どんなルールが成り立っているか、
まったくわからなかったとしても、
初心者マークをつけながら、
あらゆるひとびとが

もっとみる
よくわからないお金。

よくわからないお金。

前回noteでは、以前、テレビかなにかで
「藩札」という江戸時代の紙幣を見ながら、
もしかしたら、いつの日か、
現在ぼくらが使っている「日本銀行券」も、
これは、昔、使用されたお金です。と、
紹介されるときも来るやもしれない。
みたいなことを書いたですが。

ならば、そういうような
あたらしいお金に変わるとき、の、
その瞬間ってどんななのだろう???
とも思ったんだよね。

たとえば、
「今日から

もっとみる
あたらしいお金に変わるとき。

あたらしいお金に変わるとき。

以前、テレビかなにかで、
江戸時代に使われていた
「藩札」という紙幣を見たことがある。

それを見ながら、なんだか、
もしかしたら、
現在使われている「日本銀行券」だっても、
いつの日か、この「藩札」のように
お金として使えなくなって、
博物館に飾られながら
「これは、昔、使用されたお金です。」
的に、紹介されることもあるかもしれない。
と思ったの。

今使われているお金が使えなくなり、
あたらし

もっとみる
ジョーカー。

ジョーカー。

何年ぐらい前のときだったかは覚えてないけど、
ふとしたときに思いついたのはさ、
レジのおつりで、
一万円札をもらったことがない!!!!!
ということでして。

もちろん、一万円札は、
日本銀行券の中で最高額の通貨ですので、
おつりでもらえるはずがない。
でも、その事実に、
じぶんが気づいていなかったので、
それをはじめて思ったときには
けっこう、おどろいたー。

一万円札を、
おつりでもらえないと

もっとみる
お買いものは変わってゆく。

お買いものは変わってゆく。

ぼくは、電子決済は、
PayPayを使っているですが。

PayPay使い始めた当初のころはさ、
レジのときに、もたもたしてしまって。
列のつぎの人から、はやくしろよ、的な
雰囲気を感じたこともあったけど。
このごろは、ようやく使い方にも慣れてきた。

エコバッグはね、
お買いものへ行くときには、
ちゃんと持ちながら、出かける。
忘れてしまったときでも、
車の中にひとつエコバッグ入れてあるから、

もっとみる
ガラパゴス。

ガラパゴス。

折りたたみ式携帯電話のことを、
「ガラパゴス携帯」、略して
「ガラケー」と呼ばれるようになったのは、
いつごろのことだったっけ。

ぼくは、iPhoneを使い始めたのも、
けっこう遅いほうだったから(2014年ごろかな)。
それまでは、もちろん、
折りたたみのケータイを使っていたですが、
「ガラケー」ということばを、いつ、
じぶんが知ったのかは思い出せない。

日本の携帯電話は、
世界の基準とは離

もっとみる
取り付く島。

取り付く島。

さくじつのブログでもそうだったんですが、
ぼくは、なんだか、
「うまく言えないこと」ってえのが、
たくさんある。

それはさ、元来、
じぶんの説明や文章が下手だ、
ってゆうのもあるんだろうし。
考えたい考えごとが、
まだ、考えつめられていない、
というのもあるだろう。
けれども、たとえその状態だったとしても、
その状態のままで、
じぶん自身の中で考えてみるためにも、
ちょっとブログ書いてみたいと思

もっとみる
ブログを書くことで変化してしまうこと。

ブログを書くことで変化してしまうこと。

ぼくが日々、ブログを書くときにね、
肝に銘じておきたいなあ、
と、思っていることが、
ひとつだけあるんだけども。

それはさ、一回、一回、
ひとつのブログを書くことで、
じぶんが変化してしまう。
ということでして。

たとえば、ぼくは、
「ブログを書くこと」について、
ブログの書き始めを「スタート地点」として、
そこから、書き終わりの
「ゴール地点」までを目指しながら、進む。
みたいに思っているの

もっとみる
トゲトゲ。

トゲトゲ。

ぼくの2月14日のブログの最後には、
「あぁー、ぼくはさ、
『ふわふわ』になりたい。」
って書いたのですが。

それはさ、
複雑にこんがらがった状況のときには、
どうしたらよいか?
というのを考えながら、たとえば、
すこしずつ糸をほどいてゆく的な、そうなると、
「縛る」とはぎゃくの
「ふわふわ」がよいんじゃあないかなあ。
と思って書いたんだけどね。

でも、思えば、
この「ふわふわ」と言えば、

もっとみる
具体的と抽象的。

具体的と抽象的。

さくじつのブログでは、
宮沢賢治さんの『雨ニモマケズ』を引用しながら、
じぶん自身が、
どういうものになりたいか?
みたいなことを書いたのですが。

賢治さんの
『雨ニモマケズ』で記されていることは、
そういえば、ある意味では、
抽象的だなあと思いまして。
それとはぎゃくに、たとえば、
子どものころに訊かれる「将来の夢」としての、
何になりたいか? ってゆうのは、
具体的だよなあ。とも思ったの。

もっとみる
ドウイウモノニ ワタシハナリタイ?

ドウイウモノニ ワタシハナリタイ?

宮沢賢治さんの『雨ニモマケズ』は、
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」
ということばから始まって、
「サウイウモノニ ワタシハナリタイ」
で終わるけれども。

『雨ニモマケズ』のことを、
ひさしぶりにふと思い出して、あらためて
読みながら思ったのは、賢治さんは
「サウイウモノニ ワタシハナリタイ」
と記しているけど。じゃあ、ぼくは、
「ドウイウモノニ ワタシハナリタイ?」
って問われているような気がし

もっとみる