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38歳のノート。(了)

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2020年4月の記事一覧

ぼくの「憲法」。

ぼくの「憲法」。

ぼくのnoteの自己紹介欄には、
たびたび、ほんのすこし、
細部が変わるときもあるんだけれど、今は、、、

なまえはひでしと読みます。すきなことや興味のあることをじぶんのノートへ記すみたいにnoteを書いています。/現在、パート契約で学習塾講師のお仕事をしております。/愛知県豊橋市/You say it's your birthday It's my birthday too-yeah

‥‥とい

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walk to MY WORLD

walk to MY WORLD

こういうブログとかもそうなんだけれども、
「文章を書く」ってゆうのはさ、
べつに、歩いたり、走ったり、泳いだり、
押したり、引っ張ったり、担いだり、投げたり、
とかはしないけど。でも、まるで、
体を使っているようだなあ、と感じる。

ひとつのブログを書くだけでも、
書いているとちゅうでは、
ちょっと休憩を取りたくなるし。
書き終わったあとには、
あぁー、書けた…。って安堵したくなる。

長編小説は

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いいわけ。

いいわけ。

体調をくずすと、どうしても、
ネガティブなことを考えてしまう。

そんなときには、
ダダ ダッ ダダッ!!!
ってゆう、イントロが流れてきて。
「僕がいなくなりゃ 誰か泣くかな?」
って、寝る前、こんなバカなこと考えたりもして。

そんなことを考えながら思い出すのは、
「ほんとうにこわいのは、
このまま行くと自分は明日の朝には死んでるんだな、
ということが冷静に分かって。そのことに、
抵抗しよう、

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風邪ぎみ。

風邪ぎみ。

きのうは、またちょっと、
風邪ぎみになって、
いちにち、やすんでいた。

熱はないけど、
鼻水がでたり、すこし
あたまがぽーっとしたり。

この生活で、からだがちょっと
やわになっているやもしんない。
とも思ったり。

そのあたりの、
じぶんのからだのこと、とか、
どうしたらよくよく過ごせるか?
みたいなのを、かんがえてみたいかも。。。

ちょっと体調くずしながら、
からだをやすませているときって

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距離と気持ち。

距離と気持ち。

詳しいことは忘れてしまって、
ちょっとうろ覚えなのですが。

東日本大震災からしばらく経って放映されました、
たしか、『鶴瓶の家族に乾杯』だったかなあ。
鶴瓶さんが被災地を訪れ、
ロケをされていて。その地でね、
小学生の女の子と出合った鶴瓶さんは、ふと、
「きょう、お父さんは?」と訊ねたら、
女の子は、うなだれるようになってしまって。
じつは、この女の子のお父さんは、
消防のお仕事をされているとき

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ぼんやり考えながら、真剣に休みながら。

ぼんやり考えながら、真剣に休みながら。

「下手の考え、休むに似たり。」
ということばが、なんだか、いろいろ示唆的で、
ぼくはけっこうすきなんですが。

でも、それはさ、ぼくとしては、
「考えている」とは言いながら、
ただぼんやりと「休んでいる」だけで、それは、
「考えているふり」をしている。そんなんじゃあ、
真の「考える」には、ほど遠いんだ!!!!!
的な、否定的な感じでは捉えていない。

そもそも、ぼくの場合で言えば、
「考える」と「

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「月たちにそれを聞かせてはならない。」

「月たちにそれを聞かせてはならない。」

このまえ4月16日の日から、
ひさしぶりで読み返し始めました
村上春樹さんの小説『1Q84』の「BOOK3」をね、
きのう読み終える。

最後まで、読んで、
ここはこういうふうになっていたのか! とか、
ここって、どういう意味なんだろうか? とか、
以前のときはあんまり思わなかったこと。とか。
たくさんのシーンで感じ入るところがあって、
とっても、よかった。のだけれども。
いろいろ、あって、
感想

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観ながら、聴きながら、考えながら。

観ながら、聴きながら、考えながら。

先日の体調不良は、おかげさまで、
しっかり休んだし、
もう、だいじょうぶだぁ。

このごろはね、
部屋で休みながら、家に居ながら、
これまでなかなか観られなかった
溜まっていたテレビ録画を観ている。

きのうはさ、昨年11月放送
サカナクション・山口一郎さんナビゲーターの
『NHKスペシャル ダビンチ・ミステリー』の
「第1集」および「第2集」、
ようやく観ましたー。

おもしろかったぁー。

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悼みたい。

悼みたい。

00年代の終わりごろ、
鳥類に感染をする
「鳥インフルエンザ」が流行したと思うけれども。

ぼくの住む豊橋市でも、2009年でしたか、
豊橋はウズラの飼育がさかんなのですが、
そのウズラたちが感染して、殺処分されて。
市か県かの農業関係の施設前の道路には、
おそらく消毒の薬なのだと思うけれど、
それで道が白くなっていたのが
当時、印象的だった。

2011年、東日本大震災が起きたときには、
ぼくは

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どんより。

どんより。

昨日の夕飯のあと、
どことなく腹痛の感じになってきて、
トイレへゆき、汚い話で申しわけないのですが、
下痢や、吐いたりしてしまった。

お腹が冷えてしまったのかもしれないし。
夕飯で食べたスーパーで購入したおさしみが、
すこし合わなかったのかもしれないし。
でも、なんとか、だいじょうぶになったので、
そのまま、昨日はお風呂には入らず、
ベッドで横になったのですが。

ぼくは、毎日寝るまえ、
日記、

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高性能なバリア。

高性能なバリア。

「手洗い」のことで思い出すのは、先日読みました
市原真さんの著書
『どこからが病気なの?』の中で書かれておりました
「皮膚」のことでして。

その箇所を引用しますと、、

 人間の体は、生まれてからずっと、敵を排除して味方だけを取り込むシステムを発達させている。
 たとえば鼻毛だ。空気中のホコリやチリ、さらにはそこに含まれるウイルスや細菌をからめとって外に押し出す働きをもつ。きっとあなたも聞いたこ

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今から10年前から。

今から10年前から。

ほぼ日刊イトイ新聞での
『いま、よんで。』や、
糸井重里さんの『今日のダーリン』で紹介されておりました、
2009年ほぼ日連載
高山義浩先生と本田美和子先生による
『高山先生、新型インフルエンザについて教えてください。』
を読みました。

連載当時にもたぶん読んでいたと思うけれども、
今読むと、この当時から、
「手洗い」や「うがい」や「顔洗い」や
「顔をやたらと触らない」のこと、
「周囲に感染させ

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瀬戸際。

瀬戸際。

noteの文章のなかで、
「新型コロナウイルス」に関する語句を記すと、
noteの記事のいちばん上に
【新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。】
という注意書きがつくようになっている。

この注意書きのこと、ぼくは
「新型コロナウイルス」について、
なにかの深い見識があるわけでもないし。
ましてや、重要な考えとか、アイデアもないし。
書くとすれば、たとえば、
「新型コロナウイルス

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ぼくの今の仕事。

ぼくの今の仕事。

おうちで過ごす、とは言えども、
毎日ご飯は食べなきゃ、なので、
食材を買うためスーパーへ行く。

そういう、出かけるときにはね、
マスクや咳エチケットや、また、
手元を顔に持ってゆかない、や、
帰宅したら、手や顔を洗う、うがいする。
というのは気をつけているけれども。

ぼくとしては、そう気をつけるとしても、
スーパーでは、
レジをなされる方々などなど、
そこで働くひとがいて。

その感謝を、想い

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