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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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#吉本隆明

ほんとうのほんとうに何を考えているか?

ほんとうのほんとうに何を考えているか?

ハルノ宵子さんの著書『隆明だもの』を、
先日、読み終えました。
この書籍は、戦後思想界の巨人と呼ばれる
吉本隆明さんの長女・ハルノ宵子さんが、
平成24年に亡くなられた隆明さんのことを綴っておられて。
その書籍の帯には、
【故人を讃えない、型破りな追悼録。】
と記されているのですが、まさにそのような
故人を讃えない、と申しあげますか、つまり、
ほんとうの意味としてうそがないような、
というふうにも

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折に触れて考えているとしても。

折に触れて考えているとしても。

昨日のブログでは「頭がよい」ということについて、
学校の勉強がよくできる、及び、
よい学校(大学など)を出ている、というのも
そのうちのひとつだとは思うけれども、
それだけに限らないとも思う、
みたいなことを申しあげました。

このことをさらに続けて考えてみるとね、
学校の勉強がよくできる、とは、つまり
テストで高得点を取ることができる、
ということなのだとぞんじますが。
学校のテストで高得点を取

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「記す」とはどういうことなのか?

「記す」とはどういうことなのか?

昨日のブログでは、先日放映されました
「Last Days 坂本龍一 最期の日々」を観ながら、
ぼくが想ったこと、とくに昨日はね、坂本龍一さんの
最晩年の肉声記録としてお話しなされていた
「音楽」と「音」のことを申しあげました。
そのことを想いながら、あらためて
坂本さんのアルバム『12』も聴きました。
この『12』という作品とは、たぶん、
これからもいろいろなとき、つまり
ちょっと身体がつかれて

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いちばん低い者であれたら。

いちばん低い者であれたら。

昨日のブログでは、以前読みました書籍の中で、
北が上の世界地図を時計回りに90度回転させて
ユーラシア大陸を「パチンコ台」に見立てると、
一番下の「受け皿」の位置に日本が来る、つまり、
その頂上であるヨーロッパより落ちてくる玉は、
いろいろなところでぶつかり複雑な運動をしながら、
いろいろな地域を経由しながら、
下へ下へと落下してゆき、最終的には
そのすべてを受け皿である日本が受け止める。
日本と

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目に映る全てのことは、メタファー。

目に映る全てのことは、メタファー。

Mr.Childrenのとある曲を聴いたことで
「メタファー」ということばを知り、また、
村上春樹さんの小説作品を読んだり、かつ
吉本隆明さんの講演を聴いたり、によって、この
「メタファー」について考えるようになった。
とは言ってみても、いまだ
「メタファー」というものとは、
どういうことなのか? ってえのはね、
じぶんとしてはよくわかっていなかったりするけど。

「メタファー」とは、
比喩の一種

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じぶんなりにでも。

じぶんなりにでも。

テレビや新聞やネットやアプリやSNSなどでは、
毎日、いろいろなニュースを見ることができる。
けれども、それらのニュースを、
毎日、どれだけの分量を見れば
世界のどれぐらいを知ることができるんだろう。

とは言ってみても、ぼく自身は
そこまでニュースを見ているほうでもないし、
世界及び国内の情勢について詳しくもないし、
きちんとした見識もないし、つまりは
知らないことだらけ、かつ、わからないことだ

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同じことは書けないから。

同じことは書けないから。

日々、ブログを書くことにおいて
むつかしいことは、やっぱり、
今回のブログでは何を書くのか?
というのを考えることなのだとぞんじます。

たとえば、
一昨日、あるブログを書いて、
きのう、あるブログを書いて、
きょう、あるブログを書いて、そして、
あしたもまた、あるブログを書くだろう、
ともすれば、毎回のブログにおいて
書く内容もちがったことを書く、とも思うけれども。
ちがった内容のブログを書く、

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沈黙のことばが育てることば。

沈黙のことばが育てることば。

2008年(平成20年)7月19日、ぼくは
東京の「昭和女子大学人見記念講堂」の会場にて、
吉本隆明さんの講演会『芸術言語論』を聴いておりました。

この講演は、その後、
テレビの特番として放送されたり、そして、
その番組がDVDで発売されたり、また、
講演会を主催なされた「ほぼ日刊イトイ新聞」でも
講演の解説のようなコンテンツを読んだり、
というなかでね、ぼく自身も、この講演のなかで
吉本さんは

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ひとりの時間をもつということ。

ひとりの時間をもつということ。

ぼくは、20代半ばごろから30代半ばごろの数年間、
仕事もせず、半引きこもり的に、つまり、
お買い物などで自宅から外へ出ることはあるとしても、
基本的には、家と部屋で居る、
という日々を過ごしていた。

そこまでへ至る経緯を簡単に書いてみると、まずはさ、
ぼくは大学新卒で就職した会社を約半年で辞めて、
その次の春からは専門学校へ二年間通いまして、
専門学校卒業後には就職したけれども、
その会社もま

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「要するに、私は、」のこと。

「要するに、私は、」のこと。

昨日のブログでは、ぼくが日々使う
「一人称」のことばについて記したのですが。
つまり、たとえば、
「ぼく」であったり、
「おれ」であったり、
というようなことばのことを考えながら、
ふと、思い出していたのはね、
吉本隆明さんのとある講演会にて、
吉本さんがおっしゃっておられたことばのことです。

その講演とは、平成20年7月19日、
昭和女子大学人見記念講堂にて開催されました
『芸術言語論 −沈黙

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自分の持ち物、自然の状態。

自分の持ち物、自然の状態。

前回noteでは、たとえば、相手に対して
「このことを言おう!」と思いながら、
でも、それを言ったあとには、
「言うべきではなかった」
「言わなければよかった」
「言い方をもっと考えればよかった」
って後悔してしまうことがある、
というような、悩み、みたいなことをしるしまして。
そういうようなときにおいて、
言ったほうがよいことだけを言い、
言わないほうがよいことは言わない、
言うべくときは適切な

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