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#吉本隆明
「記す」とはどういうことなのか?
昨日のブログでは、先日放映されました
「Last Days 坂本龍一 最期の日々」を観ながら、
ぼくが想ったこと、とくに昨日はね、坂本龍一さんの
最晩年の肉声記録としてお話しなされていた
「音楽」と「音」のことを申しあげました。
そのことを想いながら、あらためて
坂本さんのアルバム『12』も聴きました。
この『12』という作品とは、たぶん、
これからもいろいろなとき、つまり
ちょっと身体がつかれて
いちばん低い者であれたら。
昨日のブログでは、以前読みました書籍の中で、
北が上の世界地図を時計回りに90度回転させて
ユーラシア大陸を「パチンコ台」に見立てると、
一番下の「受け皿」の位置に日本が来る、つまり、
その頂上であるヨーロッパより落ちてくる玉は、
いろいろなところでぶつかり複雑な運動をしながら、
いろいろな地域を経由しながら、
下へ下へと落下してゆき、最終的には
そのすべてを受け皿である日本が受け止める。
日本と
目に映る全てのことは、メタファー。
Mr.Childrenのとある曲を聴いたことで
「メタファー」ということばを知り、また、
村上春樹さんの小説作品を読んだり、かつ
吉本隆明さんの講演を聴いたり、によって、この
「メタファー」について考えるようになった。
とは言ってみても、いまだ
「メタファー」というものとは、
どういうことなのか? ってえのはね、
じぶんとしてはよくわかっていなかったりするけど。
「メタファー」とは、
比喩の一種
ひとりの時間をもつということ。
ぼくは、20代半ばごろから30代半ばごろの数年間、
仕事もせず、半引きこもり的に、つまり、
お買い物などで自宅から外へ出ることはあるとしても、
基本的には、家と部屋で居る、
という日々を過ごしていた。
そこまでへ至る経緯を簡単に書いてみると、まずはさ、
ぼくは大学新卒で就職した会社を約半年で辞めて、
その次の春からは専門学校へ二年間通いまして、
専門学校卒業後には就職したけれども、
その会社もま
「要するに、私は、」のこと。
昨日のブログでは、ぼくが日々使う
「一人称」のことばについて記したのですが。
つまり、たとえば、
「ぼく」であったり、
「おれ」であったり、
というようなことばのことを考えながら、
ふと、思い出していたのはね、
吉本隆明さんのとある講演会にて、
吉本さんがおっしゃっておられたことばのことです。
その講演とは、平成20年7月19日、
昭和女子大学人見記念講堂にて開催されました
『芸術言語論 −沈黙
自分の持ち物、自然の状態。
前回noteでは、たとえば、相手に対して
「このことを言おう!」と思いながら、
でも、それを言ったあとには、
「言うべきではなかった」
「言わなければよかった」
「言い方をもっと考えればよかった」
って後悔してしまうことがある、
というような、悩み、みたいなことをしるしまして。
そういうようなときにおいて、
言ったほうがよいことだけを言い、
言わないほうがよいことは言わない、
言うべくときは適切な