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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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2024年3月の記事一覧

「読む人」側の人は読書も好む。

「読む人」側の人は読書も好む。

ぼくは本を読むのが好きなのだけれども、
本を読むとは、どういうことなんだろう?
って思ったりもする。

たとえば、本を読むことに関して
「本を読んでもほんとうに大事なことは学べない、
だから本は読まず人と会いなさい。」
という言説もね、たびたび
目にしたり耳にしたりもするですが、
そうとは言われても、でも、ぼくとしては
「学ぶ」ためだけに本を読んでいるわけじゃあない、
とも思ってしまうの。つまりは

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つるかめ算となにかを知ること。

つるかめ算となにかを知ること。

ツルとカメの頭の数は50で、足の数が合計156本のとき、
ツルは何羽、カメは何匹でしょう?
という問題は「つるかめ算」と呼ばれているけれども。
この解き方としては、まずは、
すべてがツルだったと考えてみる。
ツルの足は2本なのだから【50×2=100】、つまり、
すべてがツルならば足の合計は100本となる。
でも、この問題では156本となっているので、
この差は【156-100=56】で、
56本

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学校の勉強と将来使う知識とは何か?

学校の勉強と将来使う知識とは何か?

先日のブログでは、「学校の勉強」について、
将来のために関する物事のみを
ピンポイントで勉強してもしょうがない、
という旨を、とある記事を読みながら記しました。
現在、学習塾講師として勤めるぼくとしては
学校の勉強を行うことについて、もっと
じぶん自身のことばで言えることを考えられたい、
というのは折に触れて思ってはいるのですが、
いやはや、説得力を持った説明を述べるのは
なかなかむつかしいとも思

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権力と和久さんのことば。

権力と和久さんのことば。

このごろ、じぶんの中でよく
考えていることのうちのひとつに
「権力」というのがありまして、つまり、
「権力とは何か?」って思ったりもするですが。

権力について考えようとするときに思い出されるのは、
平成9年放映のドラマ『踊る大捜査線』(第7話)で、
いかりや長介さん演じる「和久さん」が、
織田裕二さん演じる「青島さん」へと話していた
【正しいことをしたければ偉くなれ。】
ということばです。とは言

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王様の耳と欧風のシチュー。

王様の耳と欧風のシチュー。

比喩という表現にも、
いくつかの種類があるとのことでして。
そのなかでもね、いちばん一般的なのは
「直喩」なのだと存じます。

「直喩(明喩)」とは、たとえば
「〜のような」というような語句を含めながら、
あるものを、それとは別の
「なにか」にたとえる表現方法なのだけれども。
例を挙げてみれば、
「王様の耳は、ロバの耳のようだ。」
という風に言うとすると、その王様の耳は
ロバの耳のような、つまり、

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ひさびさの無印良品週間にて。(これでいいver.)

ひさびさの無印良品週間にて。(これでいいver.)

ぼくは無印良品が大好きなのですが、
先日、無印良品メンバー全品10%オフの
「無印良品週間」にてお買い物してまいりました。

「無印良品週間」は、これまでずっと
年に結構何回も開催されていたけれど、
コロナ下以後ではあんまり行われなくなって、
今回、ひさびさに、こうして開催されるという情報が
入ってきたときはありがたかったなあ。

いろいろ購入したのですが、
とくには、食料品なのでして。
そのなか

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人間関係と花鳥風月の手記。

人間関係と花鳥風月の手記。

以前、養老孟司さんがご著書の中で
「自殺した子どもの手記には、人間関係のことばかりで、
 花鳥風月がひとつも描かれていない。」
とのようにおっしゃっていて、このことを読んで以来、
「人間関係」と「花鳥風月」について、
折に触れて考えるようになったのですが。
ぼく自身でも、日々、こうしてブログを書きながら、
このブログの中では、それほど
「人間関係」のことは記してないと思うけど、でも、
「花鳥風月」

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まだ、このお花を感じていたい。

まだ、このお花を感じていたい。

先日、母方のおじの葬儀へ参列いたしました際、
お花をいただき、そのお花たちを
翌日、母が花瓶に入れて飾っております。

ぼくの自宅では、一緒に住む母が
庭いじりが好きなので、お庭では
いろいろな植物がおられるけれど、
家の中には、観葉植物はあれども、
お花を飾ることはほとんどなくて、
(母は切り花があんまり得意じゃあないらしい。)
でも、こうして、普段は見ないような
家の中でお花を眺めていると、

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「風」のことが歌われる音楽のこと。

「風」のことが歌われる音楽のこと。

このごろ外で吹く強い風を感じながら考えていたのはね、
「風」のことが歌われておる音楽って、
たくさんあるよなあー! ということでして。
たとえば、前回noteの最後で申しあげました
ボブ・ディランさんの『Blowin' in the Wind』は、
その筆頭と申しますか、ぼくは音楽史について
くわしくは存じないですが、もしかしたらこの曲が
「風」の音楽の創始なのやもしらない。

B'zの1992年

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自転車通学と風に吹かれている。

自転車通学と風に吹かれている。

昨日のブログでは、ぼくの住む愛知県豊橋市は
風の強い日がけっこう多い、
というのを申しましたが。
そんな強い風のことでいちばん思い出すのはね、
高校のときの自転車通学のことです。

ぼくは高校は自宅より約9キロ離れた学校まで
自転車で通っていたのですが。
やっぱり、自転車通学で大変だったのは
9キロという距離もあったけれど、
それはそれで慣れてくるので良しとして、
でも、風はときに困難だったな。

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空気が動くときに。

空気が動くときに。

「春一番」ということばもあるけれども、
昨日の春分の日は風がとっても強かった。
ぼくの住む地域でもすごい風だったし、
なおかつ暴風警報も出ていたし、そして、
ニュースを見ると、全国的にも
非常に強い風が吹いていたとのことで。

ぼくが住んでいるのは愛知県豊橋市なのですが、
けっこう、風が強い日が多い。
強い風と言えば「からっ風」で、とくには
群馬県の「上州のからっ風」や、
静岡県西部の「遠州のから

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「春眠」と言われるぐらいだからこそ。

「春眠」と言われるぐらいだからこそ。

「春眠」ということばもあるけれども、
春が近づいている、というか、もうすでに
春に成りかけの今日このごろはね、
めっぽう、眠い。
朝もぎりぎりまで寝ていたいし、
むしろ、ぎりぎりのときを
過ぎてしまったとしてもまだ寝てたい。

いや、でも、この上で
「春眠」ということばを申したけれど、
春だから眠い、と言うよりかは
春夏秋冬及び梅雨における年がら年中、
ぼくは眠たい気がするなあ。

とは言えども、

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「食べる」について考えること。

「食べる」について考えること。

このごろのブログでは、生きるのに重要なことは
「食べる」なのだと思い、
そのようなことについて記していたけれども。
そもそも、「食べる」という行為って
不思議だよなあ! って思える。

月並みな意見なのだとも存じますが、
「食べる」とは、動物や植物を
この身体へと取り入れることで、たとえば
「弱肉強食」や「食物連鎖」という語句もあるけど、
いわゆる、生物を殺して、
つまり、現代の農耕牧畜の社会では

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ある講義のことを思い出しながら。

ある講義のことを思い出しながら。

前回noteでは、生きるのに重要なことは
「食べる」と「排泄する」である、
というのを申しあげまして。
そして、ぼくは恥ずかしながら
「痔」を持っているのですが、そんなぼくとしては、
人間の「肛門」という器官は、
案外、弱い、ってゆうのも記しました。

平成23年、ぼくは肛門科にて
「いぼ痔」と「痔ろう」の手術を受けまして、
そのおかげさまで症状は改善をしたのだけれども、
それから10年以上が経ち

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