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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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2023年7月の記事一覧

七月の名古屋市の街へ。

七月の名古屋市の街へ。

一昨日は、名古屋市の街へゆきました。

ぼくが住んでいる愛知県豊橋市より、
県庁所在地の名古屋市までは、
今回はJRに乗りまして快速電車で約五十分、
「名古屋駅」で地下鉄に乗り換え、
最初の目的地は東山線「伏見駅」下車、名古屋市美術館にて
「マリー・ローランサンとモード」展を鑑賞いたしました。

思えば、名古屋市美術館へ来るのも
ひさしぶり、と申しますか、たぶん
コロナ下以後では初だったやもしらな

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悪夢と真夏日。

悪夢と真夏日。

きょうの朝、なんだか、その
詳細は憶えていないけれども、
悪夢を見て目が覚めた。

目覚めた直後、
悪夢を見た感覚はありながら、でも、どんな
悪夢だったかを思い出そうとしても、
なんとなく思い出せない。
でも、それは確実に悪夢だった。

ぼくが見る悪夢というのは、
内容の雰囲気はいつも決まっていて、
詳しいことをここでは語らないけれど、
今回も、内容的にはその夢なのだが
シチュエーションは思い出せ

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質か、量か、もう一つか。

質か、量か、もう一つか。

「質よりも、量。」であるとか、その逆に
「量よりも、質。」であるとか、という議論は、
ネットでもよく見かけたりするけれども、
「質」なのか、「量」なのか、って、
ぼくにはよくわからないな。

たとえば、前者の
「質よりも、量。」と言うならば、
質のわるいものをたくさんつくる、
という意味としても受け取れそうだし、
そしてまた、後者の
「量よりも、質。」と言うならば、
質は申し分ないけど、それは

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常しえのレース。

常しえのレース。

前回noteでは、B'z・稲葉浩志さんの作品集
『シアン[特装版]』読了、及び、
このごろ考えていたことから、2002年リリースの
稲葉さんの2ndソロアルバム『志庵』を聴きたくなった、
的なことを書いたですが。
そしてまたその後、さらに、2004年リリースの
稲葉さんの3rdアルバム『Peace Of Mind』もね、
あらためて聴きたくなったのでした。

『Peace Of Mind』はさ、

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注意深くいられるように。

注意深くいられるように。

昨日のブログでは、B'z・稲葉浩志さんの作品集
『シアン[特装版]』を読み終えてから、そして
このごろ考えていたことより、2002年リリースの
稲葉さんのソロアルバム『志庵』収録曲
『Seno de Revolution』を思い出したことを書いたですが。
それからの昨日、この機会であらためて
『志庵』を聴いてみようと思ったんだった。

稲葉さんのソロ作品では、ぼくは
1stアルバム『マグマ』が大好

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革命はパッと一瞬に。

革命はパッと一瞬に。

先日のブログの中で申しあげました
B'z・稲葉浩志さんの作品集『シアン[特装版]』を、
読み終えました。書籍読みながら、
やっぱり、ぼくはB'zが好きだし、
稲葉さんのソロも好きだし、そして、
稲葉さんの歌われることばが好きだなあ〜。

ぼくがB'zを聴き始めたのは、中学生のころ
『love me, I love you』がリリースされたときだった、
と存じますが、B'zを聴くことで
知ったこと、

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日々の変化について。(「見えにくい」ver.)

日々の変化について。(「見えにくい」ver.)

前回noteでは、「明日は明日の風が吹く」と言われても、
明日の風と今日の風と昨日の風のちがいって、
ぼくにはあんまりわからない、でも、
たとえば、今吹く真夏の風と
半年前吹いていた真冬の風とのちがいは、
ぼくでもわかるだろう、的なことを書いたけれども。
このことって、案外、じぶんの中では
すごい発見なんじゃあないか! って、
ひとりでちょっと小躍りしたい気分になった。

つまりはさ、
とある「変

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その日の風に吹かれながら。

その日の風に吹かれながら。

明日は明日の風が吹く、と言われても
明日の風と今日の風と昨日の風のちがいって、
ぼくにはよくわからないな。

でも、たとえば、
この今の「夏」の風と、
半年後の「冬」の風を比べたら、
そのちがいはぼくでもわかるだろう。

半年前の日に吹いた真冬の風を、
そのまま袋に詰め込んでおいて、
今日、その袋を開いて
その風に吹かれたい。その同様に、
今日吹く風と日差しをね、
そのまま袋に詰め込んで、
半年後

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明日、縄文時代が終わったら。

明日、縄文時代が終わったら。

縄文時代というのは、紀元前1万4千年ごろから
紀元前10世紀ごろまでつづいたらしい。
つまりはさ、その時代は
1万年以上つづいて、そして
今から約3千年前に終わった、
とのことなんだけれども。
そんな「1万年」とは、どんな時間だったんだろう?
ってゆうのを考え出すと、なんだか、
頭がぼーっとしてくるのよね。

でも、おそらく、一言で
「縄文時代」とは言えども、
その時代の中にも区分はあるとも思うけ

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天下分け目の「地形」について。

天下分け目の「地形」について。

先日、録画にてテレビ番組『ブラタモリ』の
「関ケ原の戦い」の回を観ました。

岐阜県の関ヶ原では、慶長5年(1600年)、
徳川家康率いる東軍と、
石田三成率いる西軍とで争われた。
関ヶ原町の地域では、地形的に見ると
東側が低く、かつ、西側が高い位置にあるので、
当初は高い場所で陣を取る西軍優位であったが、
東軍もまた、地形を巧みに利用することによって
その戦況を変えてゆき、また、この地域において

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比喩について。(「似ている」篇)

比喩について。(「似ている」篇)

きのうのブログではね、比喩のことについて
考えていることを書いてみたのですが、
今回ももうすこしだけ、そういうような
比喩について書いてみたい。

きのうもすこし申しましたが、
比喩にはいくつかの種類があって、
そのうち代表的な比喩を挙げるとすれば、
「直喩(明喩):シミリ」と、
「隠喩(暗喩):メタファー」があると存じます。
前者の「直喩」とは、たとえば、
【のような】や【ごとく】や【あたかも】

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「わからない」とは、メタファーだから。

「わからない」とは、メタファーだから。

テストとか受験とか学校の問題とかだったら、
「わからない」というのはダメなこと、つまり、
よくないことではあるけれども、
ならば、すべての場合において
「わからない」がダメなわけでもない。

誰しもが、すべてのことを
「わかる」わけでもないし、逆を言えば、
「わからない」ことなんてえのは
たくさんあり過ぎるし、そして、
「わからない」からこそ、
どうするか? って、
考えることもできるよ。

はた

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ごくごく飲み干すかのごとく。

ごくごく飲み干すかのごとく。

昨日のブログではね、本を読むこととは、
そのほかのどのような鑑賞よりも、
いちばんおもしろいんじゃあないか?
とも思っている、ってゆうのを記したのですが。

そう言われてみれば、でも、ぼくはさ、
昨日もすこしだけ書いたのですが、
20代半ばごろより本を読むようになって、
なので、子どものころ、つまり、
その以前までは読書が大の苦手だった。

現在41歳のぼくは、小学生のとき
学研の「学習」と「科学

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メタファーとして出合うことができる。

メタファーとして出合うことができる。

読書について話そうとするときにね、
本なんて読んでも意味がない、実際に
人と会って話さなければ何も学べない、
とのように言われたこともあったりして、
そう言われると、本が好きなじぶんとしては
ちょっとつらくなるんだなあ。

そもそも、ぼくとしては、本を読むことは
何かを学ぼうとするがために、つまり、
意識を高く持ちたくて行っているわけじゃあない。

おもしろいから、読んでいる。

とは言ってみても

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