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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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2023年5月の記事一覧

印象的な旅の思い出。

印象的な旅の思い出。

ぼくは、旅には、あんまり行かない。

最近では、コロナ下だったから、
という理由ではなくって、コロナ下以前でも
数年間は行ってなかったと思う。
なので、旅がすき、とは言えないし、
今でも、そんなには、
旅へ行きたい! という気持ちも無いかな。
やっぱり、旅は、大変だし、
ちょっとめんどくさい、
と思ってしまうふしもある。
かと言って、旅が、
きらい、というわけでもないかなあ。

これまでの旅行で印

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新しい問題を立てる。(「無くした切符」篇)

新しい問題を立てる。(「無くした切符」篇)

以前、グラフィックデザイン科の専門学校へ通っていたころ、
二週間ぐらいだったかなあ、海外研修として
パリとロンドンを訪れました。そして、研修後半での
ロンドンでは、ロンドン郊外の
とある大学にて短期留学をする、みたいな形式で
デザインを学ぶ、という研修プログラムだったですが。

その大学は、泊まっていたロンドンの宿舎より
電車で数十分かかる場所にあったので、
引率をしていただいた先生より購入方法の

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そのうちなんとかなるだろう。

そのうちなんとかなるだろう。

ぼくのブログでは、たとえば、
「たぶん」とか、「おそらく」とか、
「かもしれない」とか、「と思う」とか、
「わからない」とか、というようなことばが
頻発している、と、じぶんでも思っている。

つまりはさ、ぼくには
確固たる意見も無ければ、かつ、
断言できるような考えも持っていないし、でも、
問題意識みたいなことはあるとも思うけれども、
それは、意識のままで終わる、というか。
もっと言えば、その問題

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「理由」について考える。

「理由」について考える。

休むときとか、遅刻したときとか、
なにかの誘いを断るときとかでは、
その旨を言う以外でね、
その理由を添えて言うことが多い。

たとえば、
これこれこういう理由で、
休みます、とか、
これこれこういう理由で、
遅刻しました、あるいは、遅刻します、とか、
これこれこういう理由で、
その日は行けません、などなど。
その理由としてはさ、たとえば、
体調不良、病気、事故、交通機関の遅延、
身内の不幸、先約

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あとになってから見えてくること。

あとになってから見えてくること。

きのうのブログでは、学校の勉強について、
学校の勉強をするためには
「理由」が必要なのか、もしくは、誰かからの
「説得」が必要なのか、ってえのは、
よくわからない、と、しるしたけれども。

そんなような、
「理由」や「説得」があろうがなかろうが、
学校の勉強をする人はするだろうし、また、
学校の勉強をしない人はしないだろう、
とも思うですが。けっきょくは、学校の勉強って
最終的には本人のことなんだ

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すばらしい将来。(「人による」篇)

すばらしい将来。(「人による」篇)

そもそも、学校の勉強って、
なんでやるんだろう? それはさ、たとえば、
受験のため、とか、
進学のため、とか、
就職のため、とか、
将来のため、とか、
親から言われるから、とか、
先生から言われるから、とか、
テストで良い点を取りたいから、とか、
内申書にひびくから、とか、
社会的にそう決まっているから、とか、
義務教育だから、とか、
やらないと怒られるから、とか、
やらないといけないから、とか、

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小学校の運動会の練習の音を聞きながら。

小学校の運動会の練習の音を聞きながら。

自宅の近所のぼくの母校でもある小学校から、
運動会の練習の音が聞こえてきて、
その音や声を聞きながら、毎年、
ある考えごとをしている。その、
ある考えごとというのはね、運動会の
入退場の練習にて先生方が言われている
「全体、止まれ!」のかけ声なのでして。

「全体、止まれ!」
とのように先生方が言われて、そして、
児童たちは全員、行進を止める。
ぼくらが小学生だったときにもね、
このかけ声は行われ

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光のようなことばによって。

光のようなことばによって。

前回noteでは、たとえば、
「座右の銘」のようなじぶん自身の道標、つまり、
灯台のような、北極星のような、
光のようなことばを持っているとよい、
というようなことをしるしたけれども。
さらに考えてみると、それは、でも、
一概には言えないやもしらない、とも思ったの。

たとえば、
暗闇の中でさまよっているとき、
光が見え、そこへ、近づいてゆく。
でも、その光とは、いわゆる
罠であり、つまりはさ、

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光のようなことば。

光のようなことば。

「座右の銘」のようなことばを、
持っていたほうがよい、と思っている。

たとえば、
「座右の銘」のようなことばを、
持っていたとすれば、なにかの
困難のようなことがあったときには、
そのことばに立ち戻り、
考えることができるから。つまり、
「座右の銘」のようなことばとは、
困難のとき、つまりは、
困難な暗闇のときに辺りを照らすかのような、
「光」のようなことばだとも思う。

もっと言い換えれば、

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浅はかと塩の詩。

浅はかと塩の詩。

物事を考え出すと、それも、
深く考えれば考えるほどに、
どんどん、じぶんの考えが
深刻な方向へと進んで行ってしまうなあ。

深く深く考えることも、
とっても大切なことなのだとしても、
じぶんの考えを、より
深いところに刻みこむみたく、
深刻に成ってしまうぐらいならば、
ぼくは、浅くありたい。

たとえば、
深くもなく、厚くもなく、重くもなく、
浅く、薄く、軽く、というような
浅薄、及び、軽薄、つま

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独特の道を行くのだと。

独特の道を行くのだと。

そして、昨日のブログで申しました
奥田民生さんのソロデビューアルバム
『29』に引き続き、次作『30』も聴きつつ、
そのまた次作のミニアルバム『FAILBOX』は
なんとなく聴かずのまま、1998年リリースの
アルバム『股旅』をあらためて聴く〜。

前々回のnoteでも記しましたが、ぼくは
奥田民生さんの音楽をね、おそらく
このリリースごろから聴くようになったと思うですが、
このときは、主として

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ハネムーンと肉と福と悲しみと愛のテーマ。

ハネムーンと肉と福と悲しみと愛のテーマ。

前回noteでは、要約すれば、ぼくは
奥田民生さんの音楽が好きだ!
ということを記していたですが。
そんなようなきょうこのごろはね、
また、あらためて、民生さんの
オリジナルアルバムをいろいろ聴いていたんだった。

たとえば、1995年リリースされました
ソロデビューアルバム『29』はさ、
前回でもすこし書きましたが、当時、
リアルタイムでは聴いてないけれど、
あるころ、過去作品を遡るようにして聴

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音楽と真の「follow」について。

音楽と真の「follow」について。

きのうのブログでは、中学生のころから
いわゆるJポップの音楽を聴き始めて、
そして、大学生のころでは
外国の音楽を聴くようにもなってから、
その後、ずっと聴き続けている
ミュージシャンやバンドの音楽もあれば、
それまでぜんぜん存じなかったけれども、
なにかのきっかけで出合ってから
よく聴いている音楽もある、
みたいなことを記したけれども。

でも、たとえば、
きのうのブログでは記さなかったのですが

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Always blue sky

Always blue sky

ぼくは、中学1年生だった1994〜95年ごろ
現在で言えばJポップの音楽を聴くようになり、
そして、大学生のころは
友人の影響から外国の音楽を聴き始めたりして、
以来、ずっと聴き続けている
ミュージシャンやバンドもおられれば、また、
それまで全く存じなかったけれども、
なにかのきっかけで知ってから、
よく聴くようになった音楽もある。

って考えてみるとね、でも、たとえば、
そのアーティストさんが、

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