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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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2023年3月の記事一覧

未来にワープしたい。

未来にワープしたい。

このごろのブログでは、Mr.Childrenの
1997年リリースのアルバム『BOLERO』をね、
今、また、あらためて聴きながら
考えてみたことをしるしていたのですが。
リリース当時、ぼくは、たぶん中学3年生で、
このときはCDを購入していないと思うので、
どういうような状況及びタイミングで、初めて
『BOLERO』を聴いたかは憶えてないけれども、
その後、この他のアルバム同様、
折に触れて聴い

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それがうまく生きる秘訣で。

それがうまく生きる秘訣で。

そしてさらにね、Mr.Childrenのアルバム
『BOLERO』をあらためて聴きながら、今回、
『BOLERO』をあらためて聴くきっかけとなった
『ALIVE』という曲がさ、やっぱり、
ぼくは大好きなんだなあ〜。

あらためて『ALIVE』を聴きながら、
あらためてその歌詞もながめながら、
たとえば、、

‥‥という箇所はね、以前、つまり、
10代のころに聴いていたときには、
怒りや嘆きの感情よ

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今、この一面のひまわりを想いながら。

今、この一面のひまわりを想いながら。

このごろのブログでは、Mr.Childrenの
1997年リリースのアルバム『BOLERO』について、
あらためて曲々を聴きながら、その
感想みたいなことをしるしているけれども、さらにね、
『BOLERO』のことで申しますと、
このジャケットも大好きなんだなあー。

アルバム『BOLERO』のジャケットは、
一面に咲き誇るひまわりのお花の中で、
異国の少女がスネアドラムを構えながら、
音楽を演奏を

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「ない」を歌われるアルバム。

「ない」を歌われるアルバム。

昨日のブログでは、あるきっかけでね、
Mr.Childrenの1997年リリースのアルバム
『BOLERO』をあらためて聴きながら、
感じたことをしるしまして。そして、
そのブログの中ではさ、
アルバム収録の約半数の曲が、当時の
既発のシングル曲なのだけれども、でも、そこに
曲の寄せ集めという雰囲気は感じられないし、
どちらかと言えば、アルバムとして
バランスがとれている、と感じるのは、
どんな秘

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バランスと秘密と過激のアルバム。

バランスと秘密と過激のアルバム。

このまえのブログでは、Mr.Childrenの
『ALIVE』という曲のことをしるしながら、
その後にはさ、この『ALIVE』が収録されている
アルバム『BOLERO』をね、
ひさしぶりに聴いておりました。

『BOLERO』がリリースされたのは、
1997年3月なので、ぼくは当時、
中学3年生? なのかな??? おそらく、
そんな多感のころに聴いていた、という
思い出補正もあるやもしれないけれど

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春の色を想いながら。

春の色を想いながら。

3月の序盤の日には、まだ
コートも着ていたんだけれども、
あるころから、コート無くても大丈夫!
ってゆうぐらいの気候に成ってきて、
3月も終盤となった今ではだいぶ春めいて、
暖かくなってきた〜。

この冬は、もう、あまりにも寒すぎて、
温暖とされるこの地域でも、
毎日、寒さがつらかったな。
それがね、ようやく
春がやって来たようで、
どことなく、うれしさがあるなあ!

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読書感想文はむつかしい。

読書感想文はむつかしい。

ぼくは、読書感想文というのがさ、
苦手なんだなあ。

それは、たとえば、
小学校や中学校のころの夏休みの宿題でも、
そうだったんだけれども、その当時は
本を読むこともほとんど無かったので、
宿題の読書感想文を書くために、
読書をしないといけない、ってゆうことも
苦痛ではあったけど、とは言いつつ、
読書の習慣ができた今となっても、たとえば
このブログで読書感想文的なことを記すというのも、
苦手ではあ

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絶望と最高と笑顔の歌。

絶望と最高と笑顔の歌。

ぼくはMr.Childrenの音楽が大好きで、
そして、ぼくの母も、
Mr.Childrenが大好きだ。

母はさ、ぼくが部屋や車の中で
Mr.Childrenを聴いているのを聴いて、
好きになって、それでね、何度か
母と二人でライブにも訪れたこともある。
でも、母は、CDの
ジャケットや歌詞カードは全く見ないので、
歌は知っていても、その歌のタイトル、及び、
歌詞はぜんぜん知らないの。

そんな

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「チーム」について考える。

「チーム」について考える。

WBC、優勝、すごかった〜。

WBCに関する感想のことは、数多、
ネットでも書かれているとも存じますが、
ぼくも、感想を書きたい、と申しますか、
もう、あまりにも印象が強すぎて、
それしかブログも書けないんだな。

決勝戦では、投手戦のごとく
ひりひりとした試合の流れで、
観ながら、こちらも緊張していたなあ。
投手戦のことで言えば、
先発の今永投手が2回を投げ、
3回及び4回には戸郷投手が投げ、

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ぼくがぼくなりに考えていること。

ぼくがぼくなりに考えていること。

ぼくはこうして、日々、
ブログを書いているけれども、
やっぱり、この、ぼくの書くブログがさ、
たくさんの人に読まれたら、とは願いながらも、
ぼくのブログとは、そこまで
たくさんの人には読まれないだろうなあ、
とも感じている。

ぼくのブログでは、主に
じぶんなりに考えていることを書いているけれど、
その「考えていること」を、
どうして、ぼくは考えているのか?
って考えてみれば、たとえば、
「考えた

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「パワークラシー」について。

「パワークラシー」について。

先日、内田樹さんが、
トップダウン型の組織における
「パワークラシー」についてツイートされていた。

トップダウン型、つまり、
組織の上層部による意思決定が
上位から下位へと伝達され、下位の人たちに
その決定を従わせる方式と存じますが、
そのような組織では、及び、
そのようなチームが作られるときには、まず
「誰がどれくらい権力を持っているのか?」
の吟味と考量が、
組織の最優先タスクとなる。

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発言とポリティクスと。

発言とポリティクスと。

有名人が政治的発言をなされることについて、
このごろまた、あらためて考えている。

たとえば、ぼくは、
ASIAN KUNG-FU GENERATIONの音楽が大好きで、
それは、たしか2005年ごろ、
当時通っていた専門学校の友人たちの影響で
よく聴くようになり、以来、
ずっと聴いているのですが。
あるころから、アジカンを好き! と言えば、
「あぁー、政治的発言のバンドね(笑)」
みたいなふうに

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この行列の最後尾に。

この行列の最後尾に。

以前、宮崎駿監督が、
作品を作ることにおいて、子どもたちに
「この世は生きるに値する。」
ということを伝えるのが、自分たちの
仕事の根幹になければいけない、
とのようにお話しをされていた。以来、この、
「この世は生きるに値する。」
ということばのことをね、
折に触れて考えているの。

とは申しても、ぼくには、
この世は生きるに値するのかどうか、
について、ちゃんとしたことは
全く言えないんだな。

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反面教師に成れたのならば。

反面教師に成れたのならば。

今だっても、そこまでの
変化も無いやもと思うけれども、
若いころ、つまりはさ、
10代とか20代とかのころのじぶんというのは、
非道い人間だった、と思っている。
そのじぶん自身の非道さとは、
ここでは詳細も記さないけど、
たとえば、そのときのじぶんに対して、
諭したい、とか、説教したい、とか、
そういうのはあんまり無いけど、
そうしたとしても、じぶんは
ほとんど聞かなそうでもあるし、
というぐらい

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