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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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2023年2月の記事一覧

消極的にブログを書くこと。

消極的にブログを書くこと。

ぼくは日々、このnoteにて、
ブログを書いているんだけれども。
そのぼくが思っている
「日々、ブログを書く方法」とは、
日々の生活において、スケジュールとして
「ブログを書く時間」を組みこむ、
みたいなことなのでして。つまりはさ、
日々、この時間でブログを書く、とゆうのを、
あらかじめ予定で決めておく。

とは言えども、ぼくの場合では、
ぼくは現在パート契約の短時間の仕事なので、
フルタイムでは

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歌いたいときに。

歌いたいときに。

うまいへたは置いておいて、ぼくは、
歌を歌うのがすきなんだなあー。

部屋の中でも、車の中でも、お風呂の中でも、
けっこう、歌ってしまうわ〜。

でも、それは、
どこでも、ではないし、もしくは、
いつでも、というわけでもない。

たとえば、
体調がよくないとき、とか、
つかれているとき、とか、
今日は歌う気分でもないようなときでは、
歌わない。そういうときってえのは、
歌っても、たのしくないから、

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じぶん自身が「笛」になったように思うこと。

じぶん自身が「笛」になったように思うこと。

昨日のブログでは、伊藤亜紗さんの著書
『体はゆく』を読みながら、その
書籍との関連性は低いやもしれないですが、ふと、
「口笛」を吹くことができることについて想い、
そのことをしるしまして。そういうような、
口笛を吹くことができるようになるためには、
のこととしてぼくが考えたうちのひとつのね、
「じぶん自身が『笛』になったように思うこと」
ってゆうのがさ、なんか、
ぼくのなかでは気に入っているの。

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「できなかった」ことが「できる」ようになること。

「できなかった」ことが「できる」ようになること。

伊藤亜紗さんの著書『体はゆく』、
読みました。おもしろかったなあ〜。

この書籍では、今まで
「できなかった」ことが
「できる」ようになる、とは、
どういうことか? について、
現代のテクノロジーを用いられながら、
最新の「できる」のことが考察されている、
という内容なのだとぞんじますが。
ところどころむつかしい箇所もあって、ぼくとしては
そのすべてを理解できたという感じでもないので、
書籍の感想

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無題。(令和5年2月24日の独り言)

無題。(令和5年2月24日の独り言)

ある重大な出来事が起きたことによって、
その出来事の起きた日にちが、
記念日、及び、祈念日になることがある。

たとえば、
「8月15日」であったり、
「8月6日」であったり、
「8月9日」であったり、
「1月17日」であったり、
「3月11日」であったり、
「9月1日」であったり、
「9月11日」であったり、また、
「2月26日」や「5月15日」という日も、
そのような日とも言えるやもしらないし

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闇雲ではなく。

闇雲ではなく。

昨日のブログでは、「がんばる」ということばについて、
ぼくは案外、きらいではなくって、
じぶん自身に対して思うときもあれば、また、
時と場合によっては他人へ伝える場合もある。
とは言えども、
「がんばる」って、やっぱり
頑固で強硬なイメージもあるから、
どうなんだろうか? みたいなことをしるしまして。

たとえば、ぼくがぼく自身に対して
「がんばろう!」と思うって、それは
「闇雲に頑張る」という感

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「がんばる」ということばについて。(「健闘を祈る」篇)

「がんばる」ということばについて。(「健闘を祈る」篇)

「がんばる」ということばは、
ぼくは、案外、きらいじゃあなくって、
日常的でも使ってはいるんだけれども。

でも、たとえば、漢字で記すと
「頑張る」になるけど、つまり、
「頑なに張る」というのが、
ちょっと強硬的、というか、
頑固さや堅さみたいなことも感じられたり。
もしくはね、たとえば、
こころのやまいをわずらわれている方には、
「がんばれ!」とは言ってはいけない、などなど、
使い方のむつかしい

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ひとりの時間をもつということ。

ひとりの時間をもつということ。

ぼくは、20代半ばごろから30代半ばごろの数年間、
仕事もせず、半引きこもり的に、つまり、
お買い物などで自宅から外へ出ることはあるとしても、
基本的には、家と部屋で居る、
という日々を過ごしていた。

そこまでへ至る経緯を簡単に書いてみると、まずはさ、
ぼくは大学新卒で就職した会社を約半年で辞めて、
その次の春からは専門学校へ二年間通いまして、
専門学校卒業後には就職したけれども、
その会社もま

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ことばはどのようにして生成されるのか?

ことばはどのようにして生成されるのか?

言ったり、書いたり、思ったりするときの
「ことば」とは、この
ぼくのあたまやこころの中で、
どのようにして生成されているんだろう?
ってゆうことはさ、なんだか、
たまに考えてみるんだけれどもね、
よくわからないちゃあ、よくわからない。

たとえば、
なんにも思ってなかったようなときに、
なにかを思いつく、というときもあるし。
また、相手との会話や対話のときでは、
それまで考えたことのないことを

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艶やかないいおやすみの日。

艶やかないいおやすみの日。

昨日はおやすみの日で、
一日中、家から外へと
一歩も出ずに過ごしておりました。

元来、ひきこもり気質のあるじぶんとしてはさ、
そういうおやすみのときこそ、
最高の至福な過ごし方なのですが。
とは言えども、とくべつ、
ゆっくりもしていられなくって。
昨日はね、まずは
部屋や押入れでたまってしまっている
新聞&段ボールをビニール紐でしばったんだった。

新聞をしばるときにはね、ぼくはいつも
イヤホン

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その感覚を形容できるか?!

その感覚を形容できるか?!

岡本太郎さんは「今日の芸術」に関して、
「うまくあってはならない。
 きれいであってはならない。
 ここちよくあってはならない。」
と言われていた。それはさ、
岡本太郎式特撮活劇『TAROMAN』の主題歌の中でも
【うまくあるな きれいであるな ここちよくあるな】
と歌われていたですが〜。

このことばのことを念頭に入れながら、
先日、愛知県美術館にて
『展覧会 岡本太郎』を鑑賞した後、その
展覧

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縄文土器を鑑賞するとして。

縄文土器を鑑賞するとして。

岡本太郎さんが、あるとき博物館を訪れて、
そこで展示される縄文土器を鑑賞しながら、
「なんだ、これは!」と衝撃を受けた、
というエピソードを聞いたことがあるけれども。

ここでふと考えるのはね、
太郎さんは、このとき初めて
縄文土器のことを知ったのでしょうか?
つまり、たとえば、縄文土器って、
現在では、学校の歴史の教科書でも
写真付きで登場しているのだから、
知識としてポピュラーなものだとは思う

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すごかった展覧会とあでやかな曲線。

すごかった展覧会とあでやかな曲線。

先日、名古屋へと用事がありまして、
その用事を終えた後、愛知県美術館にて
「展覧会 岡本太郎」観てまいりました!

すごかった〜。

ってしるしながら、さらにもっと
なにかをしるしたいと思いつつ、でも、
「すごかった〜。」ということばしか
思いつかないぐらいにすごかったなあ。

それはさ、たとえば、
お客さんの人数もすごかったし、
つまりはさ、こんなふうにして
コロナ下も過ぎ去りながら、
日常が戻

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四つの国名とドーロムービー。

四つの国名とドーロムービー。

「アメリカ」「ジャマイカ」「インドネシア」「エチオピア」
の共通点とは何か? と問えば、
その答えは、奥田民生さんの
『CUSTOM』という曲で歌われる国名だ。

あらためて考えてみるとね、この
四つの国名が歌われる、ってえのは、
かなり唐突な感じも受けるけれども、
でも、この国名のシーンがあるからこそ、
歌がさらに感動的になる、と申しますか、
とくにとくに大好きな箇所なんだなあー。
つまりはさ、

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