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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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2022年11月の記事一覧

贈り物を相手に届けるスポーツ。

贈り物を相手に届けるスポーツ。

サッカーとは、
贈り物を相手に届けるスポーツだ、
というのを聞いたことがあるのですが。

つまりはさ、
ボールを「贈り物」と見立てて、
その贈り物を相手のゴールへと放ち、
ゴールの中に入れば点数が入る、というときに、
ここで肝になってくるのはさ、
「ゴールの中に入れば点数が入る」という
サッカーのルールにおいて、その
ゴールへと入れようとするのが
「自分のゴール」ではなくって、
「相手のゴール」と

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じぶんひとりではできないから。

じぶんひとりではできないから。

前回noteでは、トランプなどのね、
対戦ゲームにおける「パス」について、
考えてみたことを書いたのですが。
今のこの時期で「パス」と言えば、
FIFAワールドカップの開催中なんだから、
つまり、サッカーだ!

とは言えども、ぼくは
サッカーの知識について全然詳しくないので、
まったくなんにも語れないんだけれども。
にわかのごとく、素人のごとく、
ワールドカップでの試合中のボールを、
目で追うよう

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戦略的な「パス」だけではなくって。

戦略的な「パス」だけではなくって。

さくじつのブログでは、
オセロとか、将棋とか、麻雀とか、トランプとか、
ふたりで、もしくは、複数人で対戦をするゲームでは、
それぞれの人の「番」が、
かわりばんこでやってくる。ってゆうことから、
考えることを書いたのですが。

そこからさらにもうちょっとだけ、
「番」について考えてみると、たとえば、
それらのゲームによっては、
「パス」があるものがある。

オセロでは、
次の手を打つ場所が無ければ

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かわりばんこで動けるか。

かわりばんこで動けるか。

オセロとか、将棋とか、トランプとか、麻雀とか、のね、
ふたり、もしくは、複数人で対戦するゲームでは、
それぞれの人の番が、
かわりばんこでやってくる。

いや、トランプならば、たとえば
「スピード」だったら、
ちょっとちがうやもしれないけれども。
基本的にはさ、この人の番、次の人の番、
そして、次の人の番、というように、
番が、交代でまわっている。

そういう番ってば、でも、
「対戦ゲーム」だけで

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センサーとセンスと宿命的な命題。

センサーとセンスと宿命的な命題。

疲れてくると、
じぶんの周囲を感知する
「センサー」がにぶってくる。

だからこそ、なるべく
疲れないようであれたら。。。
って思いながら、でも、それはさ、
どだい、むりな話しでもある、というか、
なにをしたっても、疲れてくるんだから、
疲れてきたときこそ、
どうするか? というのはさ、
宿命的な命題でもあるような気がしている。

ふと、思ったんですが、
「センサー」ということばって、
「センス」

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おれのターンにおれがてきせつにうごくこと。

おれのターンにおれがてきせつにうごくこと。

現在40歳のぼくは、
車の免許を取得してから20年ぐらい経つけれども。
いまだにね、車の運転中において、
救急車や消防車等の緊急車両が行き交うときには、
緊張する、というか、悩む、というか、
迷う、というか、むつかしい、というか、
この場面でじぶんがどうやって動けばよいのか、
ぱっとではわからない、と思ってしまうことが、
しばしばある。

そういうときにはね、
緊張しながら、悩みながら、迷いながら

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あるねじがゆるんでいたとして。

あるねじがゆるんでいたとして。

なにかの非常事態が起きたときに、
その事態に対処する、というのは、
たいへんなことだし、そして、
もしも対処することができたとすれば、
すばらしいことだ。

って考えるときにね、この逆として、
非常事態が起きないようにする、というのもまた、
たいへんなことだし、そして、
もしもそうすることができたとすれば、
すばらしいことだ。

つまりはさ、
「非常事態が起きないようにする」
というのは、言い換え

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ドアをくぐること。

ドアをくぐること。

ドラえもんのひみつ道具の中で、
なにがすき? とか、
いちばんほしいものはどれ? とか、
ひとつだけ使うことができるとしたら? とか、
そういうことを考えてみても、ぼくはさ、
いちばんとか、ひとつだけとか、ってえのは
なかなか決められないけれども。
でも、考えてみれば、やっぱり、
「どこでもドア」って、
よいなあ、って思うの。

まずはさ、
「どこでもドア」の名称がすてきよね。

「どこでもドア」

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音が出ること。

音が出ること。

人間、生きていれば、
音が出る。

たとえば、
話し声の音だったり、
笑い声の音だったり、
泣き声の音だったり、
驚いたときにとっさに出る声の音だったり、
そして、それらは
声だけでなくって、
くしゃみだったり、しゃっくりだったり、
あくびだったり、いびきだったり、
ためいきだったり、おならだったり、
おなかの音だったり、
洟をすする音だったり、
関節の音だったり、
心臓や脈の音だったり、
と、生

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あらゆる表現の歴史を経ての、今。

あらゆる表現の歴史を経ての、今。

前回noteでは、
ニュースの番組では、
ニュースの現場の映像が映し出される。
ニュースの映像によって、
ぱっと見で、わかる、みたいなこともあれば、
その映像があまりにも強すぎて、
こわい、って感じられる場合もある。
というようなことから、
「映像」について考えることを書いたのですが。

そういうようなことはさ、でも、
「映像」だけでなくって、
「写真」にもあるなあ、と思われる。

「映像」と「写

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映像とことばとイメージと。

映像とことばとイメージと。

テレビのニュースでは、その
ニュースの現場の映像が映し出される。
とくに最近では、街中の
「監視カメラ」の映像や、さらには
「視聴者提供」として、
ニュースの現場に居合わせた方が
スマホのカメラで撮影されただろう動画、及び、
ドライブレコーダーでの動画が、
ニュースの映像として映し出されることもある。

ニュースの現場を映像で観ると、やっぱり、
アナウンサーやキャスターの方が読まれる
原稿のことば

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過去の時間には戻れないからこそ。

過去の時間には戻れないからこそ。

このごろのぼくのブログでは、
「歴史」とは、どういうことなのか?
みたいなことをね、じぶんなりに
考えてみたことを書いていたけれども。
それを書きながら思ったことはさ、
どんな「歴史」にも、
なにかしらの「根拠」があって、
つまり、逆を言うと、
「根拠」が無ければ「歴史」にはならない、
ってゆうことかなあ???

「根拠」について考えると、でも、たとえば、
文章やことばによる文献の資料って、
「嘘

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500年前の邪馬台国について。

500年前の邪馬台国について。

「邪馬台国」の場所って、
じつはどこだかわからない、
というお話しって、なんとゆうか、
不思議というか、神秘的というか、
なんだか、好きなのよね。

「邪馬台国」とは、2世紀・3世紀ごろ、
日本列島に存在していた国であり、そして、
邪馬台国の女王・卑弥呼についてのことが、
中国の歴史書『三国志』における
「魏志倭人伝」と呼ばれる記述の中に記されている。
とは言ってみても、ぼくはさ、
「魏志倭人伝」

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功績をかぞえること、功績をしらべること。

功績をかぞえること、功績をしらべること。

歴史のことを考えるにあたっては、
漢字について調べてみる「リッシンベン調査団」の
団員のぼくとしましては、
【歴】という漢字のことが気になるんだなあ。

【歴】の形を見れば、もう
「歴史」という意味にしか見えないんだけれども、
でも、たとえば
【歴】とは、
「やまいだれ」でもなくて、また
「まだれ」でもないような、その
「まだれ」の短い縦線が無くなった「たれ」
(調べてみると「がんだれ」と言うみた

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