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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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2022年9月の記事一覧

義務という鉄板の上で。

義務という鉄板の上で。

さくじつのブログでは、義務教育とは、
「教育を受ける義務」ではなくって、
「教育を受ける権利」があること、そして、
日本国憲法では、保護者が
子供(子女)に普通教育を受けさせる義務を負う、
と定められていることをね、あらためて記しながら、
ふと、思ったのは、
このことを学校で習うのはさ、
義務教育も終わりに近づいた
中学3年生の「公民」の授業なのだとすれば、
逆にね、義務教育がスタートする
小学1

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義務教育のイントロダクション。

義務教育のイントロダクション。

日本国憲法の第26条第2項では、
義務教育について記されているけれども。

義務教育とは、
子供が教育を受ける、つまり、
子供が学校へ行く義務、
なのではなくって、保護者が
子供(子女)に普通教育を受けさせる義務を負う、
ってゆうのをね、ぼくが知ったのは、
いつごろだったか憶えてないけれども。
たとえば、ぼくが義務教育を受けていたときには、
義務教育のことを知っていたかなあ〜。

当時を思いだして

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なぜ、勉強はおもしろいのか?

なぜ、勉強はおもしろいのか?

ゲームって、なぜ、
こんなにもおもしろいんだろうか。

たとえば、なんだろうかなあ、
そのゲームがさ、
むつかしかったとしても、
むつかしいからこそ、
クリアしたくなって、
なんども、なんども、なんども、
プレイしてしまうのか。

つまりはさ、困難を
乗り越えようとすること、そして、
困難を乗り越えたときの達成感を、
ゲームによって感じられるから、
おもしろいのかもしれないなあ。

高ければ高い壁

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お漬け物と勉強と。

お漬け物と勉強と。

テスト前日に間に合わせのごとく、
徹夜で勉強することを
「一夜漬け」と言うけれども。
一夜漬けによる勉強の効果とか、
もしくは、そのデメリットとかは、
横に置いておいて、でも、
「一夜漬け」ってゆうような、つまり、勉強を
「お漬け物」として喩えられているのは、
ネーミングとしておもしろい。

ぼくは、漬け物の作り方に関して
詳しいことは何も知らないですが。
たとえば、一夜で漬けたお漬け物とは、

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うさぎか、かめか、どちらでもないか。

うさぎか、かめか、どちらでもないか。

「うさぎとかめ」のお話しで言えば、
ぼくは、どっちのタイプなのだろう?
って考えながら、でも、
結論としては、おそらく、
うさぎでも、かめでも、
どちらでもないんだろう。

まずはさ、
うさぎのように、
早かったり、出来たり、つまり、何かの
特別な能力があったりするわけでもない。
かと言って、
かめのように、
こつこつと着実に進んでゆく、
ってゆうのもね、ぼくには、
なかなかできがたい。

たぶん

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速度について考えるときに僕の考えること。

速度について考えるときに僕の考えること。

現在、ぼくがパート契約で勤める学習塾にて、
小学生や中学生たちへ、
算数及び数学を教えようとするときにね、
彼らが、苦手、というか、
むつかしそうだなあと感じられるのは、
たとえば、食塩水の割合の問題とか、
原価と利益と定価と割引の問題とか、
円周率とか、もしくは、おうぎ形の面積とか、
などなどの単元なのだとは存じますが。
そのなかでもね、いちばんは、
速度の問題かなあー。

速度の問題が、
どう

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タイムマシンを思いながら。

タイムマシンを思いながら。

フィクションの物語として、
「タイムマシン」って、好きだなあー。

たとえば、
『ドラえもん』だったり、
『ドラゴンボール』の人造人間編だったり、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だったり。
あとはさ、ぼくの中で
めちゃくちゃ印象的だったのは、
2002年公開の『タイムマシン』の終盤のシーンにて、
タイムマシンの外側に居る悪役が、
タイムマシンの内部に居る主人公の身体を腕でつかみ、
そのまま、主

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「いつ」のこと。

「いつ」のこと。

ぼくの家の前にある道は、
いつ、できたのだろうか。

この道を歩いた先の、
ぼくの家のすぐ近くには、
ぼくの母校でもある小学校があって、
母校とは言っても、ぼくが
小学6年生のときに引っ越してきてから通った、
1年間だけの母校ではあるけれども、
この小学校は、
いつ、できたのだろうか。

母校の小学校の近くには、
セブンイレブンがあって、
このコンビニは、
いつ、できたんだっけー。

近所にある公

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考えられない、わからない、言えない。

考えられない、わからない、言えない。

安倍晋三さんの国葬儀について、
ずっと、考えている。

ぼくとしては、
「賛成」とは申し上げられず、
とは言っても、きちんとした
「反対」の意見を言えるかどうか、
ってゆうのも、むつかしくって、
ネットやニュースやコメントでSNS等で、
調べたりもしながら、でも、
どう考えたらよいのやら、
まだ、よく、わからない。

たとえば、
内閣の持つ行政権とは、
「法律に沿って政策を実行する」
ということな

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ことばと矛盾。

ことばと矛盾。

なにかを考えようとするとき、とくには、
とても複雑なことを考えるときに、
むつかしいのは、
矛盾をどうするか? ということかなあ、
と思っているの。

学校のテストのごとく、
答えがすでに決まっているような問題ならば、
その答えへと導くための解き方さえ分かれば、
よいのやもしれないけれども、
そうじゃあないような問題のときには、たとえば、
はっきり答えが出てこない場合もあるだろうし、
きっちりとし

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「分立」について。

「分立」について。

三権分立って、
なんだったかなあ???
って、このごろ思っている。

三権分立とは、国の権力とされる
「立法権(法律を定める):国会」
「行政権(法律に沿って政策を実行する):内閣」
「司法権(法律に基づいて争いごとを解決する):裁判所」
という三つの機関が互いに独立しながら、
国の権限が、一つの機関だけに
集中しないようにする仕組みのこと、
ってゆうのはさ、小学生や中学生のときに
社会の授業で習

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なんだって言えるか。

なんだって言えるか。

ことばを、
言おうと思えば、
なんだって言える。

それは、たとえば、
思想のことでも、
哲学のことでも、
経済のことでも、
社会のことでも、
事件のことでも、
善悪のことでも、
身体のことでも、
流行のことでも、
情勢のことでも、
宇宙のことでも、
どんなことでも、
言おうと思えば、
なんだって言えるだろう。

でも、やっぱり、
ぼくには、それらのことを、
言おうと思っても、
かんたんには言えな

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そのときに授けられたことばを言え。

そのときに授けられたことばを言え。

そもそも、人間は、
どうしてことばを話すんだろう?

いや、「どうして」とは言ってみても、
人間がことばを話す「理由」を
考えたいんではなくって、それは、
「どうやって」と言ったほうがよいかな。
つまり、人間は、
どうやってことばを話すんだろう?

たとえば、相手と会話をするとき、
じぶんが何かを言うためには、
ことばを言う前の段階で、頭の中で
これから言おうとすることばを思いついて、
その思いつ

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忘れ物を思い出すこと。

忘れ物を思い出すこと。

出かけるとき、ふと、玄関先で
「あ、そうだ。あれを持ってゆかなくちゃ!」って、
忘れ物を思い出すことがある。
もしくは、出かけるときの玄関先で、
忘れ物を思い出さないこともある。

そういうような忘れ物のことをね、
「思い出すとき」と、
「思い出さないとき」では、
どういうちがいがあるんだろう?

ぼくとかは、事前に
どんなにチェックしていたとしても、
忘れ物をしてしまうことはあって。
それを、ふ

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