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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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2021年6月の記事一覧

雲をよけ世界照らすような

雲をよけ世界照らすような

星野源さんが出演された先日の
『SONGS』を観てから、
番組でも演奏されました『SUN』をね、
あらためて聴きたくなって、さいきんは、
アルバム『YELLOW DANCER』を聴いておりました。

『SUN』を初めて聴いたときは、
これはもうすばらしい曲だと感じたし。
そして、やっぱり、いつ聴いても、
すてきな曲だなあー。

クルマの中でね、音楽に合わせながら
歌を口ずさんでいたら、とちゅう、

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遠い遠いコミュニケーション。

遠い遠いコミュニケーション。

「お客様は、神様です。」
と世の中で言われていたとしても、
それを聞いた客は、
「おれは、神だ!」
とは思ってはいけない。

客であるじぶんは、神様なんだろ!!!
と、お店にすごみながら、
なんでもかんでも、
やりたい放題にできるわけではない。

お店にとっては、
お客は神様だったとしても、
じぶんにとったら、
じぶんは神様ではない。

じぶんは、じぶんである。

いや、むしろ、ぎゃくに、
客であ

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主体であり、客体であり。

主体であり、客体であり。

以前にね、友人と話していて、
何の話しだったかは憶えてないけど、
すこし言い合いになりながら、
ぼくは何かを伝えたくてそれを言うと、彼は、
「それは、ひでし(ぼくの名前)の
 主観に過ぎないでしょ。」
と言ったんだった。

ぼくは、友人のこのことばを聞いて、
なんだか、なるほどぉ。
と思ったんだった。

ぼくの考えることは、すべて、
ぼくの「主観」に過ぎない。

彼の考えることは、すべて、
彼の「

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受動態の沼から。

受動態の沼から。

「(○○)される」的な、
受動態のことばを使おうとするときには、
ちょっと気をつけたいなあ、とは思っている。

受動態って、つまりは、
受け身のことだから。たとえば、
「叱られる」とか、「怒られる」とか、「憎まれる」とか、
「褒められる」とか、「評価される」とか、
というのは、どうしても、
相手側のほうが主体になってしまう感覚もあって。
そんな受動態を使うことが、癖になってしまえば、
じぶんが相手

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アラーム&スヌーズ。

アラーム&スヌーズ。

このごろは、けっこう、
ちょっとつかれている。

きのうはね、おやすみの日だったですが。
午前中、髪を切りに行ったり、
そのついでにパン屋さんとスーパーへ行き、
帰宅して、昼食としてパン屋さんで買いました
チーズカレーパンとあんドーナツを食べてから、
(おいしかったあ!)
その後、ちょっとやすんでから作業しようと思ったら、
夕方ごろまで、お昼寝。。。

アラームをかけながら、
そのアラームが鳴れば

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すいか畑にて。

すいか畑にて。

すいか畑を歩いているときには、
たとえ、靴ひもがほどけてしまっても、
それを結んではいけない。
というお話しを聞いたことがある。

それはさ、
「靴ひもを結ぶ」とは、そこで
「しゃがむ」ということだから。
すいか畑でしゃがめば、周りから
「すいか泥棒」だと思われる可能性が生じちゃう。
そういうような疑われる行動は、
あえて、取らないほうがよい。
っていう教えだと思うけれども。

このごろ、このこと

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考えごとのエスキース帳。

考えごとのエスキース帳。

ぼくのブログでは、
じぶんの興味のあることとか、
思いついたこととか、考えたこととか、
そういうのを書けたいと思っているですが。

でも、べつに、このブログはさ、
論文でもなければ、レポートでもなければ、
ましてや、小説でもなく、詩でもなく、
コラムやエッセイでもなく、
つまりは、作品という感覚でもなくって。
はたまた、日記という雰囲気でもないけれども。

思いついたことを、
思いついたままに、

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近いようで遠い身体。

近いようで遠い身体。

前回noteでは、「ホーム」とは社会であり、
その中には「ルーム」があり、そのさらに奥には、
誰も土足では踏み込められない
「人の身体の『心』の中」という領域がある。
のことを書いたんですが。

ここからね、
さらにもうちょっと考えてみると、
じぶんの「身体」とは、
「じぶん」のものか? って思ったの。

たとえば、じぶんの「身体」の中って、
心臓が動いていたり、
血液が巡っていたり、
胃が働いて

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「ホーム」とは?

「ホーム」とは?

さくじつのブログでは、さいきん、
この「note」のタイムライン
(アプリでは「ホーム」と呼ばれる)上では、
「閲覧履歴にもとづくおすすめ」で、
いろいろな人の記事が表示されるようになっていて。
それがさ、人見知り的なじぶんにとってはさ、
どことなく「ホーム」じゃあなくって、
「アウェイ」のように感じてしまう。
のことを書いたのですが。

そんなような、タイムラインとは関係なしに、
一般的な「ホー

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ホームとアウェイとじぶんの部屋。

ホームとアウェイとじぶんの部屋。

この「note」の大きな特徴のひとつとしてはさ、
じぶんが記事を「書く」だけでなくて、
いろいろなひとをフォローしながら、
タイムライン上で「見る」ことができることだと思うの。

たとえば、これまでのブログサービスでは、
だれかのブログを見るとき、そのブログのページを
ブックマークして見ていたから。
ツイッター等のSNSのごとく、
タイムラインで記事を見ることができる、って、
なんだか画期的だなあ

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「地元」について。

「地元」について。

noteの自己紹介欄でも記してますが、
ぼくは、愛知県豊橋市にて住んでいる。

父と母の地元でもあるこの豊橋で生まれてから、
2歳半ごろにね、父の仕事の関係で、
豊橋より約40kmのところにある
愛知県岡崎市へと移ったけど、
小学6年生の春、豊橋へ引っ越してきました。
その後、大学では別の県で暮らしていたけれども、
大学卒業後はなんだかんだ豊橋に戻ってきた。

概算で言えば25年ぐらい、
この豊橋

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サイレン。

サイレン。

ぼくの住んでいる愛知県豊橋市では、
追悼のサイレンが、年に幾度か鳴ります。

それは、たとえば、
「東日本大震災」の地震が起きた「3月11日14時46分」、
「広島」への原子爆弾投下の「8月6日8時15分」、
「長崎」への原子爆弾投下の「8月9日11時2分」、
「全国戦没者追悼式」に合わせられた「8月15日正午」、
という、ぼくの記憶ではこの四度、
アナウンスにつづきサイレンが鳴り、黙祷をする。

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おおよろこびできないな。

おおよろこびできないな。

たとえば、なにかに選ばれたり、
入学試験や就職試験で合格したり、
役どころを任されたようなときには、
これまでの成果やじぶん自身の実力が、
認められた、ということなので、
よろこばしいことだ。

でも、そのよろこばしいのもつかのま、
選ばれたあと、合格したあと、任されたあとには、
それが、大役ならばなおさらのこと、
困難も待ち構える。

困難が待ち構える、ともすれば、
じぶんが選ばれたときにはさ、

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ミス・ア・シング

ミス・ア・シング

東京オリンピック・パラリンピックにおける
「開催」の是か非かについて、ぼくは、
なにかの見識を持っているわけではないですが。
中止するにしても、開催するにしても、どちらにしろ、
なにかしらの問題があるんだろうと想像する。

たとえば、中止するとしたら、
国の経済が破綻して、
国家が崩壊するケースもあるやもしれないし。
また、開催されるとしたら、
このパンデミック禍において、
世界中から、関係者があ

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