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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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鑑賞における情熱の灯。

鑑賞における情熱の灯。

ぼくは音楽を聴くのが好きで、そして、
今では売れなくなったとされるCDを
今もなお購入するし、はたまた、
ライブ映像作品のブルーレイやDVDもね、
購入して、日々、鑑賞をいたしております。
とは言えども、なかなか、たとえば
ぼくが10代だったころと比べると、
「ある作品を聴く」ということについては
その鑑賞の分量が減っていると思うのよね。

10代のころはさ、もう、無我夢中のごとく
大好きな作品を

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懐かしさの気持ちと地続きの日々。

懐かしさの気持ちと地続きの日々。

前々回及び前回noteでは、このごろの
ドライブ中の音楽鑑賞として、
B'zの過去作のオリジナルアルバムを
いろいろ聴いている、ってゆうのを申しました。

現在42歳のぼくは、中学生のころ
B'zの音楽を知り、そして、大学生のころには
ファンクラブ(B'z PARTY)へと入会しまして、
CDや映像作品を日々鑑賞したり、また、
ライブも毎年参加したり、という大学生だった当時、
友人からは、B'zば

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「壁」をくぐり抜けられるの?!(Do me_mix)

「壁」をくぐり抜けられるの?!(Do me_mix)

昨日のブログでは、このごろ
B'zの過去作のオリジナルアルバムを
あらためて聴き返しながら、そのなかでもとくに
1994年リリースの7thアルバム『The 7th Blues』での
「DISC1」の三曲目『未成年』及び
「DISC2」の三曲目『THE BORDER』、さらに、
1990年リリースの3rdアルバム『BREAK THROUGH』の
三曲目『BREAK THROUGH』を聴き、
「壁」に

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夜と壁を超えて。(「でもある晩 考えたよ」ver.)

夜と壁を超えて。(「でもある晩 考えたよ」ver.)

ぼくはもっぱら、車を運転中には
音楽を聴いているですが。
最近のドライブでは、先日、B'zのライブ映像作品
『B’z LIVE-GYM Pleasure 2023 -STARS-』を観て以来、
B'zの過去のオリジナルアルバムをあらためて聴いているの。

たとえば、まずその最初として
1998年リリースの二枚のベストアルバム
『B'z The Best “Pleasure”』と
『B'z The

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深く掘り下げるための方法。

深く掘り下げるための方法。

ぼくは日々このようなブログを記しているけれども、
なぜ、ぼくがブログを記しているか?
ってえのはじぶんでもよくわかっていない。

いつぞやのブログでも申していたと思うですが、
ぼくとしては、文章を書くのが
「好き」とは言えない。
文章を書く、って、そもそも
大変だし、つらいし、つまり、言ってしまえば
めんどくさいし、及び、めちゃくちゃむつかしいし、
なんにしろ、不器用なぼくとしては
文章だってもう

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縄文土器、弥生土器、どっちが古い?!

縄文土器、弥生土器、どっちが古い?!

常識って、こわいなあ!
と、先日放映されましたテレビ番組
『ブラタモリ』を観て思ったのですが。

タモリさんが「鹿児島・指宿」をブラブラ歩いて
解き明かした先日の『ブラタモリ』の番組後半、
案内される先生がおっしゃったのは、指宿の
「開聞岳」の噴火によって教科書にも載るような
歴史的大発見をもたらしたとのことで。
その大発見とは、開聞岳より北東へ8kmほど行った
「橋牟礼川遺跡」という場所の川の土

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大型連休と未来のヴンダーカンマー。

大型連休と未来のヴンダーカンマー。

大型連休とは言ってみても、例年どおり
遠方の旅行も行かず過ごしているですが、
そんな連休中のぼくのいちばん大きな予定として、
一昨日、愛知県豊田市の豊田市美術館へとまいりました。
現在開催中の展覧会は、
『未完の始まり:未来のヴンダーカンマー』
というものなのですが、今年の一月よりこの展覧会が始まり
前売券も購入していたけどなかなか行けず、
今月六日までの会期ぎりぎりで、このたび
ようやく訪れるこ

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なにを書かないのかを考えるときには。

なにを書かないのかを考えるときには。

文章を書くことにおいて、
なにを書くのか、よりも
なにを書かないのかを考えることが大切である、
と、よく言われているけれども。
でも、これってば、
案外むつかしいと思っている。

なにを書かないのかを考えるとき、
ぼくは、果たして、そこで
なにを書かないのか? ってえのは、
どうやって決めているのか?!

たとえば、仕事上における
守秘義務に関することは書かない、とか、
相手より聴いた秘密の話しは

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無限とことばからでしか。

無限とことばからでしか。

日本語の文字には、平仮名、片仮名、漢字があって、
それらの文字が組み合わさり、そして、繋がりながら
日本語の文章はできている。

仮名文字の種類は「五十音」と呼ばれるけれども、
ほんとうは五十個は無くって、でも、
だいたい五十個、なおかつ
濁点及び半濁点がつくと種類はもっと増える。
英語のアルファベットの文字は26個なので、
英語と比べれば日本語のほうが多いけれど、
だからと言って、どっちの言語の

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どういうふうに生成されているか。

どういうふうに生成されているか。

文章とは、
どのように生成されてゆくのか?
というのはぼくはよくわかっていない。

ぼくだっても、日々、このようにして
ブログで文章をしるしているけれども、
文章として、ことばを書いてゆくとき
じぶんの頭の中で、もしくは
じぶんの身体の中で何が起こっているのか。
たとえば、ぼくはね、ブログをしるす際には、
今日、何のことを書こうか? ってゆうのは
一応、前もって考えてから書き始めている。
そして、

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なぜ、その字が選ばれたんだろう?

なぜ、その字が選ばれたんだろう?

【矛盾】ということばは、
辻褄の合わないという意味の故事成語として、
どんな盾もつらぬく矛と
どんな矛もふせげる盾を売る男に対して、客から
ならば、その矛でその盾を突けばどうなるか?
と訊ねられたことにより、
「矛」と「盾」の字が選ばれて熟語となった。
【推敲】ということばは、
記した文章を十分に吟味して練り直すという意味として、
ある人が詩を作っていた際、その中の語句として
「推す」か「敲く」か

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折に触れて考えているとしても。

折に触れて考えているとしても。

昨日のブログでは「頭がよい」ということについて、
学校の勉強がよくできる、及び、
よい学校(大学など)を出ている、というのも
そのうちのひとつだとは思うけれども、
それだけに限らないとも思う、
みたいなことを申しあげました。

このことをさらに続けて考えてみるとね、
学校の勉強がよくできる、とは、つまり
テストで高得点を取ることができる、
ということなのだとぞんじますが。
学校のテストで高得点を取

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「頭がよい」とは言えないんではないか?!

「頭がよい」とは言えないんではないか?!

「頭がよい」とはどういうことなのか?
って、ぼくはよくわからないな。

たとえば、おそらくよく言われるのは
勉強ができる、及び、
よい学校(大学など)を出ている、
のようなことだと思うのですが。
学校の勉強がよくできる、ということは
「頭がよい」のうちのひとつだとは思うけれども、
それだけに限らないとも思うの。

「学校の勉強ができる」というときの要素として、
あるころからよく言われるようになった

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生活上のデフォルトのように。

生活上のデフォルトのように。

じぶん自身と誰か、及び、
誰かと誰かとを比べることは、結局のところ
じぶん自身、もしくは、その誰かを
「蔑む」ことになるから、
他人と比べてもしょうがない、って言うよりかは
他人と比べるのは良くない、
とも言えるのかもしれない。
って、前回noteでは申しあげまして。
そうとは言えども、やはり、ぼくだっても
人と人とを比べてしまうとも思うけれども。

人と人とを比べることで考えるとすると、
その原

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