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「オワコン」と散々聞いていたMBAに40歳を過ぎて行くことにした理由を整理してみました。

6月から海外MBAに通いますが、1年前に大学院受験を考えるまでは、「MBAはオワコン」神話を当たり前のように受け入れていました。

MBAは、外資の金融や戦略コンサルに転職するためのチケット、なんて一時期は言われていましたが、新卒以来、その外資金融業界に身を置き、キャリアの後半は人事に勤める中で、「少なくとも金融に勤める上では」MBAの必要性を一切感じませんでした。

(コンサルは、勤めたことがないので、ここでは言及は避けます。)

外資の金融の中にいる人たちは、わたしと同じ感覚の人が大半のようで、採用の際に、MBAを持っているかなど、誰も気にしていませんでした。

かつ、MBAを持っている人は、1世代上(いまの50代らへん)の、「古き良き時代」にキャッシュリッチな日本企業から社費留学し、帰国後は外資に転職、みたいな流れのイメージが強く、少なくともわたしの周りで、海外MBAに留学する人は、一切いませんでした。(MBA以外の大学院に留学する人はそこそこいました。)

その1世代上の先輩たちで、MBAを実際持っている方々も、口を揃えて、会社がお金出してくれるから行ったけど、実際金融で働いてみて、MBAで学んだことが役立ってると思ったことは一度もない、と言っていました。

(強いて言えば、DCFや金利の考え方とか、財務諸表の読み方とか、マクロミクロエコノミーの概念とか、そういう教科書を読んでもわかるような、基礎知識は、もちろん役に立ってるが、MBAに行かないと得られないような知識ではない(大学で経済学部を出てればすでに学んでるし)、とよく聞きました。)


そのため、この10年くらいは、MBAは周りで話は聞かなかったですし、自分が海外留学を考える際、MBAは選択肢に入っておらず、MBA以外の大学院が大前提でした。


ではなぜ、今回、「結果的に」ではありますが、MBAに行くことにしたのか。

これから始まる1年間の、自分にとっての目的・達成したいゴールの明文化も兼ねて、書き出してみようと思います。



学位の話

中身の話は長くなるので、先に、わかりやすい「学位」について。

単刀直入に言うと、学位取得は目的の1つです。

現在の最終学歴は、学部卒です。米コロンビア大学の「経済哲学専攻」という、Bachelor of Arts を持っています。

(ちなみに…よく聞かれるので。経済哲学、とは、アダム・スミスやカール・マルクスなど、経済思想家と呼ばれる巨匠たちの考えを学ぶ、経済と哲学の合の子のような専門です。「人類の幸せを最大化するにはどのような経済政策が良いか」など哲学的なテーマを経済的な観点、または逆に、経済的なテーマを哲学的な観点から考える学問です。わたしのゼミの教授は「使えない経済学の専門家」と自虐ジョークを言っていました。確かに「それがわかったところて」的な議論が大半でした笑。でもめちゃ面白かったです。)

一方で、海外のプロフェッショナルで自分が尊敬する人は、バチェラー(学卒)より上を持っている人が圧倒的に多い。

だからどんな付加価値があるのか、と言われると、正直わかりません(まだ)。でも、なんらかの相関関係はありそうだ、ということは感じます。

ただし、それはMBAである必要はなく、Master of Scienceでも、博士号でも、なんでも良いと思っています。わたしは人事という職業柄、むしろMBAは少ないかもしれません。

そのため、「オワコン」なのかもしれないMBAをとる理由にはなりません。

強いて言えば、就職の際に強い学位は何か、と考えると、MBAかもしれません。でも自分はこれまで、転職活動において、学位がボトルネックになっていると感じたことはないですし(自他ともに)、キャリア20年となれば、経験や実績の方が重要になるので、(副産物的なメリットはあるかもしれませんが)いまさら就職上のメリットは、MBA取得の理由にはなっていません。

※あくまで自分の場合です。


中身の話

中身の話は、いくつかbreakdownできます。それぞれの要素がどんな目的を果たしてくれるのか。

そのために、先に、自分の中でのいまの課題感を書き出します。

社会人20年目にして感じる自分の中で埋めたいギャップ

  • 「20年目だからこそ」経験と感覚に頼りすぎてしまっている現状の打破。

    • 人事とは、ふわっとしたものです。世の中の企業人事のコミュニケーションには、ポジショントークも多く含まれます。正直、人事施策のインパクトの計測なんて、どんな方法を使っても、言い方・見せ方次第だと思っています。社会的価値観の影響も大きい。

    • 実行して5年やってみて、振り返ったらようやく成果が出ていた、なんてこともザラ。その頃には、自分は転職してすでにもうそこにいないこともあります。その5年間、外部環境的変化も大きいわけで、じゃぁ自分がやったことが本当にその成果に直結しているか、なんて、立証できないんじゃないか問題を常に感じます。運も大きく関係する。

    • 人事施策は、成功体験の再現性のことが多い。例えばGoogleが言い始めてから広がった心理的安全性やマインドフルネスなど、いいねいいねと、他社がフォローし、気づくと「あなたそんなことも知らないの?」的に当たり前のように語られる。それをやってないと、遅れてるよね、とでもいうかのように。

    • これらは全て大事なことだと思うし、やらないよりはやった方が、絶対に良い。それはわかる。でも、わたしだって人事の専門家で、それなりの立場にいるのに、結局やってることは、Googleのような会社がやってることや、権威のある教授が言い始めたことの、受け入りになっている?

    • なぜそれらが大事なのかも、頭ではわかる。立証されているのも分かる。でも自分の言葉で語れるか。自分の信念として語れるか。自信を持って語れるか。

    • YouTubeや色々な記事で、「こんな画期的な取り組みをしています!」「こんなことをやってみた!」みたいなのを見たり読んだりしますが、大体は、海外ではとっくに当たり前のように語られていることが多い。例えば、ジョブ型採用。いまJTCで最先端の人事施策として語られているが、海外では当たり前すぎて名前さえついていない。

    • 結局は誰かが言ったこと、やったことを、口コミを通じて、再現してるにすぎない。(それが悪いという意味ではないです。再現することだって、容易ではないので、再現し実効力を見出せたら、それだけでもすごい、とも言える。)

    • 誰かが言ってたのですが、最近のスタートアップやイノベーションは、真のイノベーションではなく、すでにあるものを少し形を変えて出しているだけ。それが悪いわけではない。社会的な課題を解決したり、そこにニーズがあるなら、それで良いと思う。でもイノベーションではない、と。

    • 地球が丸いなんて、ある時までは誰もが疑った。でも、一周することができるとわかった途端、手のひら返して、当然のように地球は丸いと皆言い始める。研究だって、人事だって、そんなものな気がする。

    • いま、これが大事だと言われているものも、3年後には変わっているかもしれない。その時に、また、誰かの受け入りで、自分の考えをコロッと変えるのか(ポジショントーク含めて)。それを自分の専門性と呼べるのか。

    • 情報の「受ける側」にいると、なにが本当に正しいのかなんて分からないし、おそらく答えは1つではない。情報もありすぎて、もはや情報の正誤や優先順位の判断も難しくなっている。社会的に受け入れられた考えは、あれ?と思っても、立場的に、疑問を発することさえ難しくなる。人事としての発言や行動に、責任を持つには、誰かがすでにやって、言って、社会的に受け入れられていること以外は、大きなリスクになる。

    • でもそのリスクを取らなければ、再現や受け入りだけで終わる。誰かの経験値を拝借して、それをリサイクルする。事業の成功において再現性は重要ではあるけれど、それはあくまで自分で作った成功体験の再現性。他人の成功体験の再現は、これまで経験値がまだ少なかった自分には良かったが、自分がリードする立場になったいま、それでは物足りないし、付加価値もうまない。

    • ましてや時代がすざましく変わっていく中で、常に、一歩、あとをいかないといけないことになる。(戦後の日本が、アメリカの成功体験を参考に、急成長した後、失速し、失われた30年と言われてしまった状況と同じような危機感に似ているかもしれない。)

    • だからこそ、せめてたった1年だけでも、情報元のできる限り近くにいき、まずは直の情報に触れたい(何か、誰か、を介した情報ではなく)。そして自分が心の底から、信念を持てるような哲学を形成し、経験や感覚ではなく(それも大事だし自分のアセットだけれど)、本質的なロジックに基づいて、新たな提言ができるような思考を得たい。

    • 体系的に学び、自分が納得のいくロジックと根拠を組み立て、そこと現実のギャップを特定し、その上で初めて、「だからこういう取り組みが必要なのだ」と信念を持って組織をリードできるようになりたい。

    • Googleの施策も、人事部が独自にひらめいて実行しているのではなく、Google内の研究部隊が、大変なリソースをかけて見出した結論に則るもの。体制としては、大学の研究部隊と変わらない。事業会社ではなく、どちらかというとアカデミックな環境から生まれている。

    • キャリア20年にして、こんなことを感じ始めたのは、自分にとって驚き。なぜなら、経験や感覚は、これまでの成果物で自分を差別化する要素だから。それを疑うのは、自分のこれまでの成功体験を否定することにもなる。

    • 一方で、キャリア20年で経験や感覚が培われたからこそ、そこから生まれる違和感が初めてわかり、感じられる課題のような気もする。

    • 自分にとって、キャリア20年はちょうどターニングポイント。これまでの経験を振り返った上で、またアンラーニングし、次の20年とどう向き合うのか、そんなヒントが欲しい。

  • その課題感からくる、埋めたいギャップ

    • 人事をもっと定量化させたい

      • インパクトの計測。研修の効果測定、というような狭義ではなく、「インパクトとは。どこにゴールを置くのか。それをどう測るのか。」 極端な話、CHROも株価連動型報酬にすべきでは、くらいの意識。人事施策のインパクト計測も深掘りしたいし、人事社員の評価制度も深掘りしたい(人事あるあるですが、人事以外の社員のことは色々考えるが、人事本人のことは、後回しになりがち。でもそもそも人事ってどう評価されるべきなのか)。

      • ビジネスへの直結。Employee Experienceなどは重要だと思うが、会社は慈善事業ではないので、いまの「いかに社員をハッピーにさせるか」の風潮には個人的には違和感があり、それは会社の責任なのか?と思わずにはいられない。あくまで、社員がハッピーなのは、目的ではなく手段であるので、人事リーダーとして、そこは見失いたくない。(社員がハッピーなのは、もちろん大事!) 社員のハッピネスと、ビジネスの成長。このwin-winの実現のための、引き出しを増やしたい。

      • ビジネスとの対等性。人事のトップでビジネスと対等に話せる人は多くない。人事部長くらいまでならそれでも良いのかもしれないが、CHROとなれば、ビジネスサイドへ影響力を持てるくらいのリスペクトを得る必要がある。自分の強みは、キャリアの前半でビジネスサイドにいたこと。金融ビジネスを中からみた経験があるので、複雑なビジネスも理解できるし、そこで働くフロント(収益を生む部署)のメンバーの心理もわかる。しかしビジネスから離れて10年以上経つことは否めない。財務諸表も、ただ読めるだけではなく、CEOやCFOと対等に議論できて、初めて「だからこそ、この人事施策なのだ」と言えるようになりたい。

    • 自分の影響力を目的のために発せれるようになりたい

      • リーダーシップスタイルの引き出しを増やす。自分のキャラや性格はいまさら変わらないし変える必要はない。むしろその強みは活かす方が良い。一方で、自分の自然体のスタイルが万人受けすることはまずない。だからこそ、まずは自分のスタイルや癖を認識し、それを補完するような別のスタイルを身に付けたい。

      • キャリアとエッジの幅を広げる。これまでは、外資を追い、外資で学んできた。でも自分の強みを考えた時、やはり日本とアメリカの掛け算であることは欠かせない。今は、「日本にある米系企業」という掛け算だが、ほかにも色々な「日本」と「アメリカ」の掛け算がある。ここの可能性を、自分のキャリアや志向性に合わせて、掘り下げたい。


ちょっと長くなってしまったので、今日は一旦ここで切ります!尻切れトンボ感満載ですみません。。

次回以降、「だからこその」MBAのカリキュラムで得られるもの…のような整理をしていけたらと思います。


カリキュラム(学びの話)

ネットワーク(人の話)

「あえての」このタイミングでいくMBA


🌷ここまで読んでくださりありがとうございました!🌷

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