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高品質な意思決定へのトランスフォーメーション

意思決定は、大人なら35,000件/日、5万人規模の企業においては4億件/日以上行われると言われます。個人の場合は、日々のルーティンのような些細なものから、転職のような人生を一変させる大きなものまで、企業の場合、営業職なら顧客の要望にあわせてどの商品を提案するか、財務担当者なら資金運用をどう行うか、経営者なら事業ポートフォリオをどう組み替えるか、という多様な選択の総和です。こうした意思決定の積み重ねが、PMVV(Purpose, Mission, Vision & Value)の達成に繋がっていきます。

さて、意思決定の質を高めるために研究を積み重ねた先人達のおかげで、私たちは意思決定のフレームワークや手法を活用できるようになっています。例えば、フレームワークとしては、シンプルで汎用性の高いRACI、意思決定の質にフォーカスしたDACI、意思決定後の実行に重きを置くRAPIDがよく知られています。また、意思決定手法としては、ゲーム理論、経済性分析、ディシジョンツリー、行動心理学等がまとめられており、目的や状況に応じて適切な手法を選択するよう推奨されています。さらに、生成AIを活用したBIの導入も当り前になり、当事者の知見のみならず、人類の英知を意思決定に活かせる環境は整いつつあります。

判断材料が揃えば優れた意思決定を下せるはずなのですが、質の高い意思決定ができていない実態を目の当たりにすることは珍しいことではありません。自分が欲しいデータがなければ判断材料が足りないと言い、多ければ多いで何が重要かわからないと迷い、必要十分な質と量のデータが提供されればリスクを背負ってまで決められないと逡巡する、そうこうするうちにタイミングを逃し、競合に先んじられ勝機を逸しているのです。

このような悩みを抱える方のために、本稿では高品質な意思決定へのトランスフォーメーション(Decision-Making Transformation、以下DMX)を実現する手順について、考えをまとめます。


意思決定はなぜ重要なのか

企業の命運を決する

たったひとつの意思決定が、偉大なる一歩にも、崩壊への一歩にもなり得ることは、歴史が証明しています。デジタルカメラに投資すべきタイミングでフィルムカメラ市場でのプレゼンスに拘ったコダック社の破産、無名の部品メーカーを業界の覇者へと推し上げた「Intel, inside」のブランディング、スマートフォン開発への切り替えタイミングを読み誤り駆逐された日本のガラケー、欧米主導のEVシフトに対応すべく転舵したホンダとわが道を行くトヨタの明暗等、いずれもひとつの意思決定がもたらした結果です。

質の悪さは蔓延する

ことほど左様に重要な意思決定ですが、ある調査によると、自社の意思決定の質(=最適解導出力✕アジリティ、と筆者は考えます)に関して「概ね良好」と感じている社員は3割に満たないという結果が出ています。この結果を「改善余地が7割以上ある」と捉えれば、早急にトランスフォームする価値があることがおわかりいただけるかと存じます。

同調査では、DMXに取り組んだ企業では、意思決定の質が4割程度高くなり、スピードが1.4倍近く早く、決定後の実行が3~4割良くなり、会議に費やす経営者の時間も1割~2.5割減り、一般管理費も平均1割減らすことができたとのことです。注目すべきは意思決定の質が4割ほど高くなる点です。

意思決定の質が4割高くなるというとわかりにくいかもしれませんが、「人の能力」に例えるとイメージしやすいかもしれません。例えば、75点だったテストは100点満点に、14秒だった100m走は10秒になるので、フツーの人が知力体力ともトップになれます。意思決定の質と同質視することの適切さの問題は脇に置くとして、イメージはしやすいのではないでしょうか。

リテンションに響く

別の調査によると、「仕事のやりがい」「キャリアアップの機会」「上司との良好な人間関係」より、「ビジネスにおける意思決定」や「登用・異動に関する人事決定」のほうが、従業員の定着度やモチベーションの維持・向上に大きな影響を及ぼすことが判明しています。

経営判断、人材配置、評価と報酬等に対して、不信感や不満を抱く従業員は、その組織に留まり続けることは難しいものです。優秀人材に対するリテンションという観点からも、意思決定や人事決定の重要性を認識しておく必要があります。

意思決定の質を高める3つのポイント

類型別アプローチの明確化

まず、意思決定を「発生頻度・内容への精通度合い」と「重要度・関係する範囲」で構成されるマトリクスを活用して類型化し、それぞれの特性に応じたアプローチの仕方を明確にします。

①PMVV・企業戦略マター(頻度僅少・最重要でハイリスク)

M&A、新技術開発への投資、新たなCxO人材の採用のような、稀にしか発生しないものの、リスキーで重要度が最高で全社に影響が及ぶ意思決定は、正確なデータを収集・分析して、ファクトに基づいたオープンな討議を行い、すべてのステークホルダーの率直な意見を可能な限り反映させることが必須になります。

様々なバイアスを排除することは勿論、意思決定プロセスを複数のステージに分解して、要件をクリアできない限り次のステージには進めないことを課し、適切な統制のもとで決定するものと定めましょう。

②事業戦略マター(定期的に発生・重要でミドルリスク)

製品や商圏ごとの予算配分や販売計画、新製品開発等、繰り返し発生する重要で広い範囲に影響が及ぶ意思決定は、関係するすべての部門を横断するプロセスをデザインしたうえで、フィードバック機能を組み込み、体系的に改善できる仕組みを整えます。

③機能・戦術マター(日常的に発生・重要だがローリスク)

商圏別キャンペーンや工場ごとの製造オペレーションの最適化等、繰り返し発生するが、影響する範囲は限定的な意思決定は、できる限り現場に近いマネジャーに権限を委譲して一任します。

意思決定のために必要な相談、調整等はマネジャー自身に考えて行ってもらい、成果に対する説明責任も負ってもらいます。なお、「重要度・関係する範囲」が増した時に備えて、経営陣が必要な支援を行う仕組みも併せて導入することを推奨します。

これらの検討と並行して、どのようなフレームワークと手法を適用するかを明らかにしておきましょう。意思決定の目的、重視するポイント、参加者に課す役割等を明確にして決定するのですが、その前提としてフレームワークと手法に関する知見が不可欠です。本稿の目的はDMXの全体像の概説なので、フレームワークと手法の詳説は割愛しますが、簡単にまとめておきましたのでご参考になれば幸いです。

フレームワーク(RACI, DACI, RAPID)についてはこちらをご覧ください。

【目的別推奨例】
オールマイティに活用:RACI
意思決定そのものが重要:DACI
意思決定後の実行も重視:RAPID

意思決定手法はこちらをご覧ください。

【目的別推奨例】
マネジメント:リーダーシップ、ゲーム理論、リスクマネジメント、シナリオプランニング
設備投資:経済性分析、リアルオプション
新規事業創造:ディシジョンツリー、シナリオプランニング
顧客の消費行動分析:行動心理学、行動経済学
金融市場分析:行動経済学

意思決定を類型化して、適用すべきフレームワークと手法を決めることができれば、トランスフォーメーションの第一歩を踏み出せるでしょう。

データより対話に注力

データからインサイトを導出して意思決定を行うことの重要性は誰もが首肯する事実ですが、実はデータより対話のほうがパフォーマンスとの相関性は6倍高いという調査があります。同調査で「パフォーマンスの改善をもたらす要因」を分析したところ、「アナリティクスの質と精緻さ」は8%ですが、「対話の質」は53%、それ以外の39%は「産業や企業により異なる要素」という結果になったのです。

「適切な参加者」が「質の高い対話」を行って優れた意思決定を行い、素早く実行した結果、高い業績を挙げたという事実を認識しておきましょう。鍵を握るのは「適切な参加者」です。適切な参加者には、自らの期待役割を正しく理解できることと、それに相応しいマインドセットとスキルセットを有することが求められます。

また、何をもって「対話の質」が高いと言えるのかという問題もあります。対話の質は、意思決定手法の知見に基づく適切なプロセスを経て討議できることではじめて向上するものです。CxO人材が高品質な意思決定を行うための資質が不十分な場合は、データ偏重かKKD(勘・経験・度胸)のいずれかに判断が引きずられる傾向が出るため、現状の傾向を踏まえた補正策を準備することを推奨します。

非合理性への対策

意思決定の際、非合理性(バイアス)から逃れる術はないことを認識したうえで、できる限り防止する手立てを講じることが必要です。代表的な非合理性の特徴と防止策について簡単にまとめておきます。

質の高い意思決定への進化には非合理性(バイアス)の理解が不可欠

防止策の方法論について捕捉しておきます。下記方法論がどんなバイアスを軽減できるのか、ご一考いただければ幸いです。

  • プレモータム:あえて最悪の状態を想像し、その原因や経緯まで深堀して解決策を考える

  • ブルーチーム・レッドチーム:賛成派(青)と反対派(赤)を割り当てて議論する

  • クリーンシート再設計:サンクコストや経緯をリセットし、必要条件のみに基づいて議論する

  • 消滅オプション:好ましい選択肢をあえて外したうえで再考する

  • テスト&ラーン:実験と学びのループで最良の結果に最速で到達する

  • シナリオ分析:不確定要素に対応すべく様々な条件を設定して対応策を検証する

  • 悪魔の代弁者:多数派に対してあえて批判や反論する人をたてて議論を深堀する

  • 匿名投票:他人の意向や同調圧力にとらわれず自由に意見を述べる

詳説は割愛しますが、ご参考になれば幸いです。

続いて、具体的なデザインについて記します。

デザイン手順

1.プライオリティの決定

はじめに、課題解決のためにどのような意思決定が重要かを特定します。重要性の判断基準は、価値創造と戦略目標の達成に資するかどうかであり、上位10~15個まで選定、意思決定時に発生する可能性がある課題(効率性と有効性)を検討してプライオリティを決定します。

続いて、優れた意思決定プロセスをデザインします。先述した意思決定のフレームワークと手法について学び、自社オリジナルの意思決定モデルを確立することを推奨します。オリジナルの意思決定モデルをロールモデルとして組織の隅々まで浸透させることができれば、権限移譲された現場での運用と定着が加速します。上位者からのサポートは不可欠です。はじめのうちは経営陣の見よう見真似からでもかまわないので、徐々に形になるよう仕上げていきましょう。

2.原因の特定

現状の意思決定プロセスにおける課題を抽出します。手順、かかった時間、会議の数・回数、インプットデータの内容、制約、役割等のハード面と、意思決定に対する不満、ボトルネック、ムダ、時間がかかる要因、正確性、コミュニケーション状況、価値創造の程度等のソフト面について現状をレビューしましょう。

次に、レビュー結果に基づいて改善案を作成します。浮き彫りになった課題の解決方針や、解決するうえで直面するボトルネックをどう克服するかについても意見を収集して改善策にまとめましょう。

そして、すべての意思決定を
①PMVV・企業戦略マター(頻度僅少・最重要でハイリスク)
②事業戦略マター(定期的に発生・重要でミドルリスク)
③機能・戦術マター(日常的に発生・重要だがローリスク)
の3つに類型化して、それぞれに最適なアプローチ方法を決定します。

3.抜本的な再設計

意思決定の課題を抜本的に解決するためには、改善ではなく改革にチャレンジすることが必要です。例えば、クリーンシートの手法を用いて、「意思決定にかかる時間をこれまでの半分にして、意思決定の質を2倍に引き上げる」という挑戦的な目標を立てて再設計に取り組む等になります。

上記「③機能・戦術マター」のようなリスクが低く投資額も少ない意思決定は、現場に権限を移譲して上司への申請手続きも簡素化もしくは撤廃してスピーディに実行できるようにする一方、「①PMVV・企業戦略マター」のような投資額が大きくリスキーな案件に関しては、経営陣がその案件について適用すべき意思決定モデルを活用して討議を尽くして決断する、という体制へと転換するのです。

また、この新しい意思決定プロセスが期待通りに機能するかどうかのテストも必要です。新しい意思決定プロセスそのものや参加者の適格性に問題はないか、それぞれの役割と責任は明確か、実際にどれくらいの時間が短縮できたか、そしてどの程度の価値を創出できたのか、について検証しましょう。重要なのは、定量的な成果指標に基づく達成度の確認です。

同時に、「新しいプロセスに転換しても、1年後に課題が再発した場合、なぜそうなったのか」というプレモータム(失敗に繋がり得る要素の洗い出し)も予め行うことを推奨します。

このようにして、新しいプロセスが適切に機能するために必要な考え方や言動、コミットメント、カルチャについて明らかにしておくことで、実効性に優れた実施計画としてとりまとめます。

なかでもカルチャに関しては、変化するための時間が必要なので、どのような特性を持つカルチャへとトランスフォームすべきかをデザインしたうえで、チェンジマネジメントの一環として取り組むことが望ましいと考えます。

4.緻密かつ計画的な実行

経営陣が新たな意思決定モデルを計画的に実行する姿を持続的に体現しつつ、組織のあらゆるレベルの意思決定を監督する仕組みを導入します。経営陣の意思決定プロセスを詳らかに伝えることは勿論、創出価値のインパクト、課題発見、課題解決、再設計時の打ち手、新しい意思決定プロセスに関するテスト、効果測定、学びとフィードバック等に関して、全社に幾度となく伝えることが重要です。

要は、新しい意思決定プロセスについて、できるだけ早く多く学ぶ機会を計画的につくり出すことで、ボトムアップでの取り組みを促すよう仕掛けるのです。

学びを得た人が増えてオリジナルの意思決定モデルが定着していくにつれ、現場スタッフへの権限委譲がさらに進み、価値創出に対して適切に評価し、報酬に反映されることを理解してもらえれば、経営陣は「①PMVV・企業戦略マター」の意思決定に集中できるようになり、意思決定の質がさらに高まる好循環を確立できると考えます。

5.持続的改善の仕組み化

こうして意思決定の質を高めることができれば、次のテーマは「品質の維持と更なる向上」です。新しい意思決定の有効性と効率性を把握する仕組みを構築します。

意思決定に投入されている時間、人数をカウントできるダッシュボードや、適用した意思決定モデルの適切性、プロセス、創出価値等のアウトプット等のレビューを行うことで、手戻りの防止や新たな打ち手のデザイン等につなげます。

なお、この仕組みに関しては、複雑なものを一からデザインするほどの手間をかける必要はなく、既存の工数管理の一環でデータを確認できればそれで代用可能です。スケジューラーや個人別タイムシート、BIツールを導入していれば実用に足るでしょう。

この結果を人的資本開発プログラムにフィードバックして、適切な意思決定を行うために具備すべきマインドセットとスキルセットの開発に役立てることで、意思決定の質を高めるための取り組みに活かすこととなります。

Appendix

弊所ホームページとブログに関連コンテンツを掲載していますので、お時間に余裕がある時にご参照いただければ幸いに存じます。

Strategy &Management Professional

エグゼクティブの経営スキルをブラッシュアップするカリキュラムです。現実に直面している経営課題の具体的な解決策策定ならびに実行を担っていただき、成果責任を問い、評価に反映するシビアなものです。いわゆる「修羅場」での成果創出を通じて、現代のビジネス環境で勝ち抜くために必要な経営スキルの習得と、CxO人材の登用に関する情報を提供しています。

Basic Business Skillset

計画的にデザインされた修羅場における実践を通じて、リーダーシップ、マネジメント、アートシンキング、デザインシンキング、ロジカル・ライティング、プロジェクト・マネジメントスキル、SPRINT習得、コーチングスキル開発等のビジネススキルを強化することができます。現代のビジネス環境で勝ち抜くために具備すべきビジネススキルセットの修得機会を提供しています。

Change Management

カルチャのトランスフォーメーションは一朝一夕に実現できるものではなく、どのようなカルチャに生まれ変わらせるのかをデザインしたうえで、ある程度の期間をかけて取り組むことになります。鍵を握るのはCEOのリーダーシップです。意思決定のフレームワークと手法は勿論、会議体の体系、役割定義、参加者の要件定義、運営方法、決定事項のフィードバック等も含めて検討することになります。

Diagnosis

複雑に入り組んだ課題を発掘し、真の原因を特定して解決指針を得たい時に推奨します。診断対象は、DXを成功させるために不可欠な6つ(パーパス、DX、ストラテジー&マネジメント、マーケティング&セールス、ヒト・カルチャ・組織、プロフェッショナルスキルセット)の領域で、コンサルタントが第三者性を活かして客観的に診断します。なお、意思決定にフォーカスした診断プログラムも提供しています。

最期までお目通しいただきまして、ありがとうございました。ご質問、疑問点、コメントなどがございましたら、お気軽にお寄せいただければ幸いに存じます。皆様にとってなんらかの手蔓となれば嬉しいです。

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