文体の舵を取れ:練習問題1 文はうきうきと

## 前提

『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』(フィルムアート社)の練習問題の回答をここに書く。

制限時間は本書での指定通り1問30分。1段落は160~240文字、1Pは500~800文字として扱う。

## 練習問題1 文はうきうきと 回答

### 問1 声に出して読むときの語りの文を書く(1段落~1P)

30分+15分over/723文字

 弁天小僧菊之助は『知らざあ言って聞かせやしょう』とかつて語ったけれども、現代のこの基底現実世界であの長口上を真似しようとしたらば、まずまともに聞いてくれる聴衆を見つけるところからして一苦労。よくて狂人を見る目でスルー、悪くてスマホで無断撮影からのユーチューブやらツイッターやらニコニコやらに無断アップロードの憂き目にあうのが関の山でありますな。ではリアルで出来ないことには価値はないのかと申しますとまったくそんなことはありません。むしろリアルで出来ないことを出来るのがフィクションの価値でありまして、聴衆の皆様も信じられないことを信じることを求めている。このカロリーゼロ、腹も膨れぬというのに何故だか皆が求めてやまない栄養素がいわばハッタリ、外連味であります。菊之助を見てみましょう。今まさに悪党が自ら正体を現そうとしているというストーリー上の緊迫感もさることながら、先ほどまでナヨナヨとしていた女形がいきなり大股押っ広げてあぐらをかく、ドスを効かせて啖呵切る。露わになるのは腿ばかりでなし、上着を脱いで現れるは立派な桜の倶梨伽羅紋々。あり得ないシチュエーションにあり得ないシチュエーションを畳みかけることで、かえって実在を信じさせることまさに妖術の類い。かように外連味は創作のスパイス。聴衆の皆様を残らず飲み込み催眠にかける魔法の香辛料でございます。外連味なしで信じさせようとすれば、描けるのは美貌の大悪党どころか貧乏な小悪党がいいところ。我々作者自身もこのスパイスに中毒しておりまして、陶酔のうちに書き上げるためにはむしろ必須であります。ひとたび効果が切れれば我に返って筆は止まる、話は終わる。まさに元の河竹黙阿弥。お後がよろしいようで。

※河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ):白浪五人男(青砥稿花紅彩画)の作者

### 問2 動きのある出来事をひとつ/強烈な感情を抱いている人をひとり描写(1段落)

23分/232文字

 父は仏のような男と言ったら陳腐ですけれども、当時幼稚園年長の私が散らかしたレゴブロックを踏んだときは仏罰を与える方の仏でした。あの鋭い痛みの前では親子の情など吹き飛ぶようで、仏の顔が一度で鬼に。元がふくよかな方ですから足裏の痛点にかかるニュートンも倍点、私の尻を叩く様は少しばかり運動をサボった毘沙門天のごとし。私などは天邪鬼な餓鬼だったものですから仏様に踏まれて当然だったと自分でも思いますけれども、無闇に仏を鬼に変えるような真似だけはするまいとあれ以来気をつけております。

## 解説

16:35追記

### 問1

プログラマーという仕事柄、リモートワークではWebExでの会話が必須になります。よって滑舌がおぼつかなければ同僚に迷惑をかけてしまうということで、体調が良いときは口のウォーミングアップのために朗読を行っております。

朗読の種本にしている齋藤孝「声に出して読みたい日本語」収録の弁天小僧菊之助の語りを私は非常に気に入っておりまして、気分が乗っている期間は毎日のように読んでおります。この日本古来の文学最高峰の語りは外せません。なので今回の練習問題でも題材にしました。

また、日本語でリズムのある文章と言えば落語や講談。都々逸や俳句もリズムがありますが、あれは韻文なのでレギュレーション違反。よって落語調で書くことに致しました。

途中で考えたオチに繋げるためにやや苦しい展開になってしまい、時間がオーバーしてしまったのが心残り。

### 問2

『動きのある出来事をひとつ/強烈な感情を抱いている人をひとり』というお題でしたので、両方書くことに致しました。

元ネタ。これは私が実際に下の子の散らかしたレゴブロックを踏んだときのことを思い出して書いております。下の子ほど可愛い生物はこの世になく、いじめる兄や姉がいるなどとは信じられないと私は常々思っております。本人がどう思っているかはともかく。そんな私もレゴを踏んだときは怒髪天、強い痛みというものはあらゆる理性を塗りつぶすものです。

選択の理由。強い感情の例として本書では喜び・恐れ・悲しみを挙げておりますが、今回は怒りを選びました。

まず喜びや恐れは、一段落では表現し辛いと思いました。喜びにはバックグラウンドが必要です。運動部の全国大会で優勝? 宝くじ? あるいは結婚? 恐れの対象は人によって違います。死さえ恐れない人がいるほどです。恐れを描くには恐れる理由までを含めて共感させないといけません。どちらも240字では困難です。

また悲しみも私には取り扱いが難しいものです。私は喜怒哀楽の「哀」がすっぽ抜けたような人生を送っておりまして、ここ10年ほど泣いた記憶がありません。高校の時の親友の墓参りも悲しみに向き合うことを恐れて一度も行ったことがないほどです。感じられないものを描くのは難しいです。

怒りというものは極めて共感を呼びやすい感情です。SNSでは理性的な方から愚か者まであらゆる方々が怒っております。それは正当な理由によって裏打ちされている場合も多く、怒りは対象に対して真剣に向き合っている証拠とも言えます。ましてレゴブロックを踏んだ痛みは本能に根ざしたものであり、これで怒らない方はすでに解脱しているはずです。

ただ、怒りをそのまま視点から書くと生臭い文章になってしまうと感じられたので、今回は怒らせた側の視点からユーモアを持って描写し、脱臭することに致しました。

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