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【小説】出口はどこですか? 第2話

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 土曜の朝。せっかくの休日だというのに、沙樹さきは電話で起こされた。
「え、今何時?」
「9時過ぎ。寝てた?」
「おー……」
 電話の主は滉大こうだい。中学からの友達で、多分世間でいうところの「親友」ってカテゴリーに分類される程度の仲である。とはいっても、沙樹も滉大も「おまえは俺の親友だぜ」と熱い握手を交わすような人間ではないので、ずっとなんとなく一緒にいるうちに「多分この先もこんな感じで一緒にいるんだろうな」とお互いがなんとなく考えているような、そんな仲である。
「どうした?」
 電話の内容によってはもう一度眠れるように、ベッドに横になったまま、夜用の間接照明をオフにした。カーテンの隙間から差し込む光が、汚れた空気の塵をきらきらと浮き彫りにする。掃除しなきゃだめだなぁ。
「どうもしないけど、今日暇だから」
「あー……俺も暇……かもしれない……」
 二度寝計画は打ち切りだ。まだもう少しだけと寝たがる体を無理やり起こし、出かける頭に切り替えた。休日は何もないとひたすらだらだら過ごしてしまうから、こうやって午前中から呼び出されるのも悪くない。そういうわけで、沙樹はすぐに出かける準備をして、比較的軽やかな足取りで駅に向かった。

「これは? 異世界もの」
 ふたりはファミレスで終了時間ぎりぎりのモーニングメニューを注文し、それぞれスマホの上映スケジュールを睨んでいた。
 滉大と映画に行くことは度々あるが、趣味はあまり合わない。沙樹はアクション系が好みだが、滉大は意外とアニメが好みだったりする。それでもお互い自分が観たいものを強く主張するわけでもなく、何を観てもまあまあ楽しめるので、相手が提案したものを受け入れることが多かった。
「え、異世界?」
 しかし、これは別だ。ファンタジーが嫌いなわけではないし、今までもそういう作品は何本も観てきた。だからこそ。
「もういいよ、異世界は」
 お腹いっぱい。若干、いやだいぶ、アレルギーになりつつある。
「そっか」
 珍しく今回は沙樹が滉大の提案を拒否したが、滉大はあっさり引き、すぐに他のものを探していた。ふたりはいつもこんな感じで、融通が利くとも言えるが、自己主張があまりないとも言える。実際は、沙樹にもある程度のこだわりや、ある程度強い意思もある。けれど、普段、それを滉大の前であまり主張しないのは、我慢しているわけではない。しなくてもどうにかなる、楽な相手だからである。そして、今のように主張したらそれはそれで、お互い受け入れるキャパがあり、ぶつかることも滅多にない。

 滉大と過去にケンカというケンカをしたのは、一度だけ。互いにぶつかり合うことをケンカと言うなら、それはケンカとは呼べず、事件である。全面的に沙樹が悪く、一方的にキレさせたその事件は、中学2年の初夏の話。沙樹は仲の良かった友達と5人で、空き教室を利用して昼休みに野球ごっこをしていた。つい白熱してしまい、移動教室に15分ほど遅れたために、罰としてプール掃除を課せられた。本当はその時、野球ごっこメンバーに滉大は入っていなかったのだが、普段から仲がいいという理由だけで滉大も巻き添えを食らったのである。しかし、滉大はその時も文句ひとつ言わず、その代わり「仕方ねえな」って顔をして、小さな溜息をついただけだった。そんな経緯があるのに、放課後、まだ強めの日差しが斜めから照りつける中、6人でプール掃除を始めると、すぐに沙樹たちはふざけ始めた。ふざけているうちに遊び疲れて、「ちょっと休憩―っ」とか言いながらプールサイドで休むやつが出てくる。そんなことをしている間も、滉大はせっせとデッキブラシでプールの底をこすっていたのだが、その姿がとてもコミカルな動きに見えて、沙樹も休憩しながらプールサイドで滉大を眺めていた。滉大のことを笑っていたわけではなかったのだが、仲間とバカな話をして笑いながら彼の掃除姿を眺めていたら、突然デッキブラシを放り投げ、滉大が叫んだ。
「いい加減にしろよ!」
 たぶん、沙樹が聞いた滉大の声で、あれより大きな声は未だに聞いたことがない。普段そんなに荒ぶることのなかった滉大の声に、一同はぴたっと動きを止め、息をのんだ。滉大は自分で放り投げたデッキブラシを拾うと、大股でこちらへ歩いてきて、沙樹にそれを乱暴に突きつけた。
「ふざけんなよ!」
 最悪だ、おまえ、と呟きながら、プールサイドを横切り、滉大は去っていった。彼の姿が見えなくなるまで、一同は声を上げることもできず、仲間のひとりが「こえー……」と小さな声で呟いてから、それぞれが驚きと興奮で今の出来事について話し始めたが、沙樹は他のみんなよりショックが大きく、話す気にはなれなかった。間違いなく滉大は、沙樹にだけキレていた。それがなぜなのか、その時はわからなかったが、今ならわかる。10年経つ今でも、彼とこうして休日を過ごしているのは、自分だからだ。

「いまいちだったな」
 映画館を出ながら、沙樹が残念そうに滉大を振り返った。結局、沙樹が提案した近未来バトルものの洋画を観たのだが、沙樹ですら要らない連戦の展開に飽き飽きしていたのだから、きっと滉大は退屈だったに違いない。
「そんなことないけど。ヒロインの演技がよかった」
「そっか」
 その後、ふたりはバッティングセンターで日頃のストレスを発散した。もう5月の中旬。暑さにうんざりする日も増えてきたこの時期に、そしてせっかくの休日に、あえての運動。これがいいのだ。今週の平日は仕事以外に、酒と動画を見ることくらいしか楽しみがなかった沙樹も、体を動かして、身も心も充実した休日を求めていたように思う。そういう意味で、バッティングセンターは手っ取り早く充実した時間を手に入れられる、お手頃なレジャーなのだ。
 室内とはいえ、バットを全力で振っていれば30分で汗だくだった。1時間で切り上げ、さっきとは別の、もっとお手頃なファミレスに行くことにした。沙樹の気分的にはファストフードでハンバーガーとポテトだったが、時間を持て余している若者にとって、リーズナブルにだらだらと「飲んで、食って、話して」が許される場所には、安めのファミレスが最適である。
「んで、ヒロトの連絡無視してたら佐々木がさぁ――」
 肘をついて高校時代の友達の話をしながら、沙樹はちらっとテーブルの隅で不貞腐れているスマホに目をやった。話しながらさりげなく手に取り、ロック画面のまま通知が来ていないことを確認した。誰かの連絡を待っているつもりはなかったが、おそらく頭には常に真尋まひろがちらついている。でも昨日の夜、久しぶりに交わしたLINEでは、今日も仕事だと言っていた。仕事だと聞いてしまうと、会えるのか会えないのか、聞いてみることすらできなくなる。会いたいと言ったら会えるのだろうか? 会いたいと言うべきなのだろうか? 彼女は会いたくないのだろうか? それって――。
「どうした?」
 話の途中で黙り込んだ沙樹を、滉大が心配そうな顔で見ていた。こいつは、「彼女は元気?」なんて聞いてくるようなタイプではない。でも、学生時代に年上の女性とつき合っていた滉大なら、愚痴ではなく相談として、中身のあるアドバイスをしてくれそうな気がする。長い付き合いだからこそ、自分の女々しい姿は見せたくないけれど、でも滉大なら決して笑わない。今まで相談をして、軽くあしらわれたことなど一度もない。いつも冷めた温度感のまま、真剣に話を聞いてくれた。それにしても、恋愛相談は初めてかもしれない。
「俺、よくわかんないんだけどさ」
「うん」
 滉大は少し首を傾げて返事をした。
「真尋のことがよくわかんなくてさ」
「うん」
 なんだか恥ずかしくて、滉大の顔を見ることができない。滉大もなんとなくそれを察して、沙樹から目を逸らした。
「俺、フラれるかもしんない」
 思った以上に情けない声が出た。それに、「フラれるかも」という考えは、わかっていながらずっと見て見ぬようにしていた不安だった。口にしてみたら、その響きは酷く絶望的で、自分の言葉に右ストレートを食らった沙樹は、眩暈がして一度目を閉じた。
 沙樹の言葉に続きがあると思った滉大は、黙ってテーブルの角を眺めていたが、沈黙が続くので、沙樹をちらっと見上げた。表情からは読めない。しかし沙樹は、自分が発した「フラれるかも」という言葉がずっと頭の中でエコーとともに響き続け、もう終わってしまったかのような気分になっていて、とても相談を続ける気力はなかった。願い事や目標は口にすることが大事なんてよく言うが、あれはマジなんだな。破壊力半端ねーや。
 感情があまり表に出ない滉大も、内心酷く戸惑っていた。初めての恋愛相談で、こんなに弱り切った姿を晒されるとは。今まで恋愛に関してはいつも余裕がありそうな沙樹だったのに、一体何があったのだろう。聞いていいのか、聞くべきなのか、話しだすのを待つべきか……それともなにか言うべきなのか……いや、何も聞かずに言えることなんてあるか? この沈黙をどう捉えるか……おい、それは一体どういう表情なんだ?
 涼しい顔をして放心状態の沙樹と、冷静で落ち着いた顔をしながら頭の中でパニックになっている滉大の間に、沈黙が続いた。

 ピロン。

 ふたりは同時に沙樹のスマホを見た。なんの通知? という滉大の表情。どうせくだらない通知だろ? という顔の沙樹。必要以上に遅いスピードでスマホに手を伸ばすと、見る前から溜息をつきながらロック画面を確認した。もう……この空気どうすんだよ……え、真尋からだ。沙樹の顔、手、体の動きが、ピリッと止まった。たぶん息も止まっていた。心臓だけが、跳ね上がった。これじゃあ、片思い中の女子のようだと、沙樹は苦笑したが、事情がわからない滉大は、まだ、なんの通知? という表情で止まっている。
「真尋からだ」
 滉大に伝えるために声に出したが、少し掠れてかっこ悪かった。でも、仕方ない。こんな明るい時間に、真尋からのLINE。仕事だと言っていたのに。しかもこの流れで。喜んでいいのかは、非常に微妙なラインだった。LINEだけに。
 平静を装って、画面を開く。「仕事が早く終わったんだけど、時間あったらごはん行こうよ」というメッセージ。ごはん。もちろん行く。たった今、滉大と食べたけど、普通に食える。目の前に休日の時間を持て余した滉大がいるけど、もちろん行く。行かないわけがない。
「滉大、ごめん」
「うん、いいよ」
 滉大はなにも聞かなかった。沙樹の表情から、悪い知らせではなかったことはわかる。行ってきたまえ、と心の中で背中を押した。
 こうして、言葉のキャッチボールのないまま、沙樹の初めての恋愛相談は幕を閉じた。




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