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「ごえんのお返しでございます」2話 紅薔薇、白百合③

 放課後、部活も何もしていない僕は、まっすぐ家に帰るのが常だが、今日は違った。

 商店街と住宅地の狭間、古民家に擬態した、ニッチな商材を扱う店に向かう。

 途中で肉屋の店主の息子に声をかけられた。

「おー、紡。お前、コロッケいらん? つか買って! 俺を助けて!」
「どうしたの、大輔(だいすけ)さん」

 彼は姉と同級生だったし、肉屋は昔からのおつかいルートのひとつで、僕のこともよく知っている。

 クラスメイトとあまりなじめないのは、年上との方が、付き合っていて楽だからなのかもしれない。

 大輔は鼻の根元にぎゅっと皺を寄せた。それがさぁ、と内緒話の体勢になったものの、母親――名前は知らない。「肉のフジワラ」のおばさん、というのが彼女の通り名だ――が、彼の頭を叩いた。ものすごくいい音がする。中身が詰まっているからか、それとも空っぽだからなのか。

「いっ……!」

 後頭部を押さえてうずくまる大輔を見ていると、後者としか思えなかった。

「この子がねえ、調子に乗って揚げすぎたのよ。ちょっと焦げてるし、サービスするからさ、紡くん、買ってかない?」

 もとの値段は一個一二〇円。二〇〇円でふたつ売ってくれるという破格の扱いだが、ひとりでふたつ食べるのは、大輔みたいな運動部出身なら余裕だろうが、僕は少食なのだ。

 悩む僕に、「お前あれだろ、あのあれ」と、大輔は要領を得ない。

「?」
「あー、あれだ。お前、バイトしてんだろ? そこの店の人にあげればいいじゃん」

 あの人に。

 僕は固まって、考え込んでしまう。

 あの人、コロッケとか食べるんだろうか。

 僕は大輔に勧められるがままに、無意識にコロッケをふたつ買い、ふらふらと店に向かった。

 あれ? そういえば僕、大輔にバイトのこと言ったっけ?

 まぁ、隠しているわけじゃない。肉のフジワラのおばさんは、この辺のおばさんたちのボスみたいな存在だから、噂話もすぐに耳に入ってくる。

 きっと大輔も、そのとき小耳に挟んだのだろう。

 看板も何も出ていない店の前に着く。いつもこの扉の前に立つと、少し呼吸がしづらくなる。立ち止まったままでいると、今日は珍しく、客が出てきた。慌てて横にどける。

 ボリューミーなマダムがふたり、おしゃべりをしながら出てきた。派手な化粧とちぐはぐな、適当に干してあったものを着てきただけの服装は、彼女たちの目的が「どちら」なのか、わかりづらくしていた。

 会釈をした僕に、ふたりはちらとも視線をよこさなかった。楽しげな会話の内容から、彼女たちは普通に手芸が趣味の女性たちだということがわかり、知らず、細く息を吐き出していた。

 一度中から開いた扉を再び開けるための勇気は、もはやいらなかった。

 わざと音を立てて開ける。店主はいつもと同じように、レジを置いた木製カウンターの後ろに座っている。

 今日の彼女は手元の本に目を通していて、ドアが開いた気配に気づきながらも、読書をやめなかった。いらっしゃいませ、の一言もない。客ではない、僕がやってきたのだと、こちらを一瞥すらしないのに、どうしてわかるのだろうか。

 店主・黒島(くろしま)糸子は、不思議な女だ。

 本を読んでいるからというわけではなく、彼女は常に伏し目がちだ。睫毛が濃く長く、黒と肌の白、それから唇の赤だけで構成された糸子は、美しいが、生気を感じられない。

 僕は手にしたコロッケの袋と彼女を交互に見る。

「あの、糸子さん。コロッケ、いります?」

 彼女は僕の問いかけに、少しだけ顔を上げた。ひくりと鼻をかすかに動かしたものの、首を横に振った。

 揚げ物の匂いを嗅ぐ。すなわち、五感のひとつを働かせる仕草に、彼女もまた人間であったのだと、少し安堵する。

 僕は急いでコロッケをひとつ食べて、残りは家に持って帰ることにする。紙包みから油が染みないことを祈った。

 ここで働きなさい、と、糸子は言った。

 篤久のような人間を出さないように、見張りたいのならば、と。

 また、僕はこの店で働く縁が繋がっているとほのめかされた。その言葉の意味を知りたいのだが、雑談をする雰囲気ではないために、僕はいまだに聞けずにいる。

 働くといっても、シフトはない。気が向いたときに店に来て、飽きたら帰る。給料はその場で手渡しだ。

 時給は一〇〇〇円で、高校生のバイトとしては、破格中の破格。店にいた時間分だけ、糸子がレトロなレジスターから札を取り出し、わざわざポチ袋に入れてくれる。

 篤久の仇とも言える女からの金を使う気にはなれなくて、僕は入っている袋ごと、机の引き出しにしまい込んでいた。

 都合のいいときにだけ店に来る僕に、与えられる仕事はない。ひとつしかない椅子は、糸子が占領している。

 ただ立ち尽くしているだけなのもあれなので、僕は掃除を買って出る。この間持参して、置きっぱなしにしていたエプロンを身につける。

 ハタキを手に、僕は糸子を観察する。

 読書をしている彼女の口元は、笑み曲がっている。そこには喜びも楽しみも、浮かばない。常に微笑を保っているのは、彼女の計算ではないか。

 どうも、糸子は人間を装っているように、僕には見えるのだ。姿かたちは圧倒的な美しさを誇るが、確かに人間だ。けれど、どうもその奥底にあるものは知れない。

 客商売にスマイルは必要だが、彼女があのマダムたちの相談に乗ったりしたとは、到底思えなかった。

 棚の上の埃を落とし、箒で床を掃く。特別汚れているわけではない。糸子だって店を経営している以上、店内の掃除は毎日行っている。

 最後に棚や机をから拭きをして、振り返る。糸子は一ミリも動いていない。彼女の周りだけ、時が止まっていたようだ。

 ぼーっと眺めていると、扉が開いた。振り返って、「いらっしゃいませ」と声をかける。バイトに入っている時間に、客が来るのは初めてだった。

 声がひっくり返ったが、少女たちは楽しそうにしていて、挙動不審な店員の存在など、目にも入っていない。糸子を見れば、客だというのに特に何をするわけでもなかった。

「どの赤い糸にするー?」
「これで丸岡(まるおか)くんと付き合えたらどうするー?」
「ばか。そんなわけないじゃん」

 手芸趣味ではなく、都市伝説に期待した方の客だったが、ノリは軽い。

 思わず、「やめた方がいい」と口を出しかけたが、この暗い男に言われたところで、「なにこいつキモい」と嘲笑われるだけだ。小学生(ランドセルだった)に白い目で見られるのは、さすがに傷つく。

 僕は何も言わずに、買い物を見守っていた。赤い糸の束を持って、レジに持って行く。そこでようやく糸子は立ち上がり、値段を告げる。

 そして、ぞっと美しい微笑みを浮かべて、言うのだ。

「ごえんのお返しでございます」

 来たときと同じように、彼女たちは笑いながら帰っていく。後ろ姿を見送って、僕は知らず、息を詰めていたことに気づく。

「あの」

 読書に戻ろうとしていた糸子に声をかけると、彼女は心のこもらない目で、こちらを見返す。返事もなく、ただ僕の話の続きを待っているだけの糸子に、空気が張り詰める。

「……あんな子ども相手に、赤い糸を売りつけて……篤久みたいなことになったら、どうするんですか」

 子どもの気持ちは、高校生の自分たちよりもずっと強く、純粋であるに違いない。好きな人と付き合うことができて、喜ぶだけならいい。けれど、それを悪用する可能性は、やっぱりゼロとは言い切れない。

 彼女は小首を傾げた。

「別に、この糸に特別な力はないわ。縁を繋ぐのは、そうね……信念の力」
「信念?」

 糸子は語る。これまでとは違う、饒舌さで。多少の興奮も感じられる。早口、パッと見開かれた目は黒目がちで、瞳も光彩も真っ黒だ。

「縁というのは、最初はただの偶然。引き寄せるのは、あなたの気持ち次第よ」

「その人」ではなく、「あなた」を使ったのは、僕の何もかもを見透かしているからのような気がした。背中は冷たく、腹は熱くなる。

 病院で会った、「あの子」。

 美希とそっくりで、彼女から嫌われている様子の彼女。美希には話をするなと念を押されていたが、そのせいでむしろ、気になって仕方がない。

 彼女と出会ったのが偶然だとすれば、その後に関係を築くのは、僕が信念に基づいて行動をしなければならない。

 僕は、彼女について知りたい。

 エプロンを外して、鞄にしまった。

 糸子は無言で、千円札を一枚、レジから取り出した。


※※※

 バスに揺られ、病院に着く。今日はもちろん、診察日ではない。

 病院という場所は、基本的には人を拒絶する場所だと思う。病人を受け入れるが、あたたかさはない。白くて、冷たい。健常者は場違いで、足を踏み入れるのをためらう。特に、後ろめたい気持ちがある今の僕は。

 顔見知りの看護師や冴木医師に見つかったら、いろいろと事情を聞かれる。面倒だが、頭が痛いとかお腹が痛いとか言うのもまずい。総合病院は、目が回るほど忙しいのだ。

 出くわしたら「人違いです!」と叫んで、ダッシュで逃げようと決めて、僕は売店の近くで待機することにした。先日出会ったのと同じ時間帯だ。不自然にならないように、商品を時折手にする。

 来るだろうか。いいや、来ないかもしれない。どうだろう。もしかしたら、東棟のコンビニに行っているのかもしれない。分身ができない僕はおとなしく、こちらに来る方に賭ける以外なかった。

 そして、果たして彼女はやってきた。

 ボサボサの髪の毛に、寝ぼけ眼をこすりながら。だらしなく皺が寄ったパジャマは白で、上衣の丈が長くて、ワンピースにも見える。そのままベッドの上に眠っていたら、彼女のかわいらしさも相まって、おとぎ話のお姫様にも見えるかもしれない。

 僕の隣に来ても、彼女は反応しなかった。そっくりだが、本当に別人なのだ。先日、声をかけてきた見知らぬ男だということにも気づいていない。

 ようやく会えたのだから、声をかけなければ。

 でも、どうやって?

 クラスメイトの美希が相手でも、自分から話しかけるのは、かなり勇気が必要だった。

 今隣にいるのは、何の関係もない少女だ。下手な声かけは、不審者扱いされてしまう。実際、コンビニ店員がちらちらこっちを伺っている気がするし。

 いや、それでも僕は善良な男子高校生。外見から疑われる要素はない、はず。

 自分の姿を見下ろす。学校帰りなので、制服姿だ。校則どおりの着こなしは、威圧感もない。

 それでも、第一声は悩んだ。おかしなナンパ野郎だと思われたくない。

 僕はようやく、篤久の気持ちがわかった。可愛い女の子に自分から話しかけるのは、変な汗をかく。

 糸屋の不思議な噂を耳にして、彼が縋りついたのも、今なら理解できる。
ただ、僕は実行はしない。あの女の思うツボのような気がするから。

 悩んでいるうちに、彼女は雑誌を手にしてレジへ向かう。支払いは一瞬で、帰ろうとする後ろ姿に、僕は「ええい!」と勢いで、声をかけた。

「あ、あの!」

 ワンピースのようなパジャマの裾が、翻る。彼女の足下を見つめて、僕は、

「あの、僕、濱屋美希さんのクラスメイトで……その、君があんまり濱屋さんに似ているから、気になって……」

 と、しどろもどろになりつつ、こちらの事情を語った。

 彼女からは、反応がない。院内は冷房が利いて、本格的な夏が来る前の今は、寒いくらいだ。なのに、背中にはじんわりと汗をかいていて、シャツが肌に張りつくのが不愉快だった。

 ずっと下げていた視界の端に、スリッパが映り込んだ。角度からいって、彼女が音もなく接近してきたのだと気づき、おずおずと顔を上げる。

 笑っていた。学校の美希と同じ顔だと言ったが、全然違う。向こうが鮮やかな大輪の八重咲きの花ならば、こちらはひっそりと温室の隅に咲く、可憐な花。

 どちらがより美しいかなんて、不毛な議論だ。けれど、少なくとも僕の目には、目の前の少女の方が、好ましく映る。

「美希ちゃんの、友達?」

 ふわっとした明るい声に安堵する。僕はうんうん頷いた。

 友達、はちょっと嘘だけど。

 むしろ嫌われている方だ。姉妹関係がよければ、この嘘はすぐにばれてしまうだろうが、美希は「あいつの話を学校でするな」と言った。

 彼女は、「美希の友達は自分の友達」とでも思っているようだった。どこの誰とも名乗っていない僕の手を取るのが、無防備すぎた。談話室にそのまま引っ張っていかれて、座らされる。

「君は……」

 僕の問いかけに、にこっと笑った彼女は、自分の名前を告げる。

「私は、濱屋美空(みく)。美希ちゃんとは双子なの」


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