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書くとはなにか


文章の根幹が揺らいでいる


文章は意思を伝えるためにある。だが、意思を持たないAIがものを書く。AIの文章について、世界で議論が巻き起こっている。

文章から伝わるものは何か。
文章は何のためにあるのか。

認識の根幹が揺らいでいる。

奥出直人先生から哲学者、リクールの存在を教えていただいた。

「いま生成AIの解釈学という分野が少しずつ動き出しており、リクールが重要になっています」

「解釈学は、書き手のメッセージを確実に受け取る『記号学』とは異なります」
「テキストを解釈することで、自分の心の中で相手を理解できる」

「最近のコンピュータエージェント研究でも積極的に使われ始めました」

なぜ奥出先生は、これほど凄まじい話を山ほどご存知なのかと思う。

現象学


「1+1=2」のような客観的な論理を扱うものが記号学。
「私は神を信じています」といった主観的な意思を扱うものが解釈学だ。

科学と言えば客観(誰から見ても同じもの)と考えられているが、客観は世界のごく一部を説明できるに過ぎない。フッサールが主観の科学「現象学」を作り、この壁を乗り越えた。

例えば、

「私は神を信じています」

客観の科学はどう反応するか。

「それってあなたの感想ですよね?」
「なんかデータとかあるんですか?」

文字通り、お話にならない。
現象学は違う。

「なるほど、神はいます」

と、主観に寄り添う。

ハイデガーがフッサールの現象学を発展させた。

「あなたにとって神は、どんな意味を持っていますか」

主観に寄り添い(現象学)、解釈する。ゆえにハイデガーの現象学は解釈学的現象学と呼ばれる。彼は存在を解明した哲学者と言われる。

意味とは何か


なぜ人は、人やテキストを理解できるのか。リクールが説明しているという。「これは読むしかないではないか」と思った。

リクールは言語学者だ。

意味とは何かと彼は問う。
彼の論を超訳させて頂く。

「意味は客観的な記号の中ではなく、対話の中にある」
「書籍から意味を見出そうとするなら書籍と対話せねばならない」

「発話は刹那であるために、一方的でない対話が可能になる」
「人も同様で終わりがある」
「刹那だからこそ、対話が可能となる」

「リズムや意味、喜びや胆力も、対話から生じる」

『interpretation theory』より

ラングとパロール


近代言語学の創始者、フェルディナン・ド・ソシュール。

ソシュールは言語学の基本概念、「ラング」と「パロール」という術語を作った。

「ラング」とは文法、語彙、発音などの規則で、言語の構造を意味する。社会的背景もラングに含まれる。理解を可能にさせる「構造」だからである。

一方「パロール」とは、具体的な発話や言語行為を指している。瞬間的、刹那的。予測不能で不安定なものだ。

ソシュールはラングを重視しパロールを軽視したが、リクールはむしろパロールを重視した。不安定な発話こそが、言語に魂を吹き込むと考えたのだ。

リクールはこう語っている。

「私にとって記号論と意味論との違いが、言語学のすべての問題の鍵である」

ソシュールは記号論を扱い、リクールは意味論(解釈学)を扱った。

対話こそが意味


対話が意味をもたらすとは、いったいどういうことか。

地元、静岡県袋井市に樂土舎というアートプロジェクトがある。野原を庭園のように整備し、有り合わせの材料で小屋や山を作って芸術作品を展示する。

ジャズピアニストの山下洋輔が3回ライブを行った場所。いったいどんな魔法を使ったのかと感じる大物が多く訪れる。

先日、その樂土舎で暗黒舞踏を見た。樂土舎代表のマツダイチロウさんに誘われ、数日後の感想会に出席した。

ある画家の方は「お母さんがいると思った」と言う。舞踏の演者、竹之内淳志さんは男性であるのに。

鍵盤と指遣い


ソシュールが研究した「構造」をピアノの鍵盤に、リクールの「発話」を指遣いに例えたい。

発話が構造を叩き、音色を奏で意味が生じる。鍵盤の数と同じく「構造」は有限だが、「発話」という刹那を組み合わせ無限のパターンが生まれる。

演奏が喚起する意味は多様だ。記号論のように一つではない。竹之内さんの演舞を「お母さんがいる」と感じた方のように。

演奏にも万人が共通して感じるものは存在する。曲にテーマがあり、春や夏、母性や父性を感じさせるように。

ただ、テーマを超え深く個人的な体験と結びついてゆく。個別具体的な感覚を喚起されるほどに、強いエネルギーとなり心を動かす。

「解釈は多様な意味をもたらすが、何かが伝わっている」とリクールは言う。

人の本来性が伝わっている。
それが「意味」だ。

AIは構造を叩く術を身につけたのだろう。故に無限の表現が可能になった。音楽を生成するAIが誕生したのも、構造の叩き方を学習した故だ。

不法侵入


リクールは言う。

会話とは不思議なものだ。
孤独なはずな人間に他者が不法侵入してくる。

孤独とは群衆の中で感じるひとりぼっちの感覚ではない。
人の全体性が他者に経験され得ないことだ。

"Interpretation theory"より

人の全体性を他者が経験することが、対話の本質である。彼の本来が分かるからこそ、気の置けない友となる。

これは奇跡だが偶然ではない。
世界に向かって呼びかけているから、世界も呼びかけてくる。

発話という行為。(指遣い)
言葉を使うこと。(鍵盤を叩くこと)

言葉(音楽)を媒介にして、世界が語りかけてくる。

"Interpretation theory"より 括弧内は筆者による

世界への窓、異世界の入り口として言葉が存在する。

人は孤独だが、貴女をダンスに誘うことはできる。
世界を口説いたとき、貴方は世界に口説かれている。

リクールは言葉を、呼びかけると同時に呼びかけられる手段と考えた。音楽やダンスのような異世界へ続く扉だと。

異世界の呼びかけで、人は本来の自己へ帰還する。

「これが対話がもたらす究極的な創造物だ」

リクールはこう結語した。

苦悩があれば、言葉に相談して欲しい


言語は音楽と同じく、自己を本来へと導く。言葉そのものに意味がある。AIの作品だろうが、文章が世界からの呼びかけであることに変わりはない。

「対話の弁証法」

リクールはこの言葉にこだわった。単語と単語、センテンスとセンテンスがリズムを奏でる。

人と人が対話し仲間となるように、言葉と言葉は繋がりたがっている。人と言葉も同様。それが彼の弁証法である。

単なる意味の創造ではない。リズムや胆力が喚起されることだ。友といる高揚や安心感を、テキストとの対話に見出すのだ。

仲間のように言葉もまた人を本来へ戻す。

"Writing without teachers"のピーター・エルボーは、「苦悩があれば、言葉に相談して欲しい」と語った。

「どんなに辛いことや反社会的なことでも、忌憚なく書いて欲しい」
「すると本来性を取り戻せる」

書くことに罪悪感があるが、極めてしっかり見つめられるものだ。最低な自分を。

弱さを晒せば、思いもしないものを書けたりする。

キリスト教グノーシス主義の教えがある。

「本来的自己を悪から解き放ち、善の神へ帰還せよ」
「それが救済である」

言葉は救世主なのか。

グノーシス主義は儒教や仏教、西田幾多郎の「自己」を想起させる。宗教でなく哲学のようだ。

初めに言葉ありき。
言葉は神と共にあった。

言葉は神であった。
言葉は初め、神と共にあった。

すべてのものは、これに依ってできた。
できたもののうち、一つとしてこれに依らないものはなかった。

(ヨハネ福音書1章1~5節)

言葉は道具ではない。

友であり、
世界の扉であり、

神であった。

お読みくださいまして、誠にありがとうございます!
めっちゃ嬉しいです😃

起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)

下のリンクで拙著『人は幽霊を信じられるか、信じられないかで決まる』の前書きを全文公開させていただきました。

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そんなテーマです。是非ぜひお読みくださいませm(_ _)m


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トラウマを力に変える起業論。

起業家はトラウマに陥りやすい人種です。トラウマから立ち上がるとき、自らがせねばならない仕事に目覚め、それを種に起業します。

起業論の専門用語でエピファニーと呼ばれるもの。エピファニーの起こし方を、14歳にも分かるよう詳述させて頂きました。


書籍紹介動画ですm(_ _)m

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