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激烈バカ的!文章講座!!

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とてつもない力を持っている人に「うまく伝えられない」と、そんな相談をたくさん受けています。本を書きたい。面白い話をしたい。彼女を口説きたい。そんな悩みを持つ全ての人にむけて。
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『先生抜きで書こう』試訳

この本を書き終えて分かったことがある。世界の誰もが、ものを書きたいと思っていることだ。 「ずっと本を書きたかったんです」 「いつか人生をまとめたいんだ」 「私にぴったりな言葉を探して、書き留めなければって感じます」  見知らぬ読者から、そう伝えてもらう。  誰もが学校で書くことを教えてもらうけれど、妙に特別ぶった人だけが好きになれる。書くことはそんなことだと思っていた。  だけど違った。  誰もが嫌な思いをして、自分の夢を書けなくなる。書くことは大それたことだとか、

書くとはなにか

文章の根幹が揺らいでいる 文章は意思を伝えるためにある。だが、意思を持たないAIがものを書く。AIの文章について、世界で議論が巻き起こっている。 文章から伝わるものは何か。 文章は何のためにあるのか。 認識の根幹が揺らいでいる。 奥出直人先生から哲学者、リクールの存在を教えていただいた。 「いま生成AIの解釈学という分野が少しずつ動き出しており、リクールが重要になっています」 「解釈学は、書き手のメッセージを確実に受け取る『記号学』とは異なります」 「テキストを解

文章を削ることは苦しいことだよ。『先生抜きで書こう』より

「文章を削ることは苦しいことだよ」 「でも削った言葉こそが、読者を惹きつける。捨てられなかった言葉の方が、読者をうんざりさせる」 「捨てることをネガティブに捉えないで欲しいんだ。原稿を丸めて捨てる。怒ったり無気力になって。そんな風にしないで欲しい」 「捨てることって、ポジティブで創造的なことなんだ」 「彫刻家が石柱を削って石像を作るみたいに、文章を削って作品を作る」 「削るって、本質と核とををしっかり見せるためにするものなんだ」 『先生抜きで書こう』より。 ・・

学校に行く意味が勉強だけしかないなら、僕はそんな場所には行きたくない

掛川市の教育長の話を聞いた。 掛川では6年で不登校児童数が3倍以上になっている。 全国的にも不登校児童数は激増。 なにが崩壊したのだろうか。 話は極めて興味深く、教育の荒廃はこれまでも幾たびかあったという。 昭和43年のスプートニク・ショック。ソ連に宇宙開発の先を越された猛烈な焦りが、西側諸国の教育を激化させる。 昭和55年ごろは学校が荒れており、補導の数も異常だった。落書きや器物破損で鉄筋の校舎が20年持たないと言われ、教育長自身もカッターナイフで「お前、なにしに

僕の方が言葉から高次の知識を借りている

「みんな、自分の文章を読み返すのが嫌いだよね」 「でも読み返してみると文章と相談できるんだ」 「一人で考えるよりずっと芳醇で興味深い結論が見えてくるから」 「言葉が一番良い場所を探してる」 「そんな気がする」 「いつもこの方法で上手くいくんだ」 「僕が言葉を操ってるわけじゃないかもしれない」 「僕の方が言葉から高次の知識を借りている。そんな気がする」 「比喩じゃなくってさ」 「言葉は生き物だし、育つものでもあるよ」 「そんな言葉との付き合い方を学んで欲しいんだ」 『

あなたは妄想や恨みを書けるか

『先生抜きで書こう』(“Writing without teachers”)を読んでいる。この2月に邦訳も出たようだ。 https://amzn.to/3IuErU6 「まずは自由に書くといい」 自己検閲や編集をせず、好きに書いて良い。主題からそれようが、(他人に見せないから)反社会的な話だろうが、己に渦巻く妄想だろうが、どんなことを書いてもいい。 これがとてつもなく怖い。 既存の作法と違いすぎるからだと思っていた。しかし違う。自己検閲を捨てて書くことが怖い。 あ

信頼できる知識を得る方法は二つある

「信頼できる知識を得るためには、二つの方法があるんだ」 「信じることと、批判すること」 「世界は批判することばかりしてるけれど」 『先生抜きで書こう』の著者ピーター・エルボーはそう語る。 デカルトは『方法論序説』で、すべてを疑った後に残るものこそが真実だとした。彼が見つけた「すべてを疑った後に残るもの」とは、皮肉にも疑うことだけだった。 これが有名な「我思う、故に我あり」である。 デカルトの世界観は自我を確立させるが、暖かさに欠ける。理性の重要性を説き、近代科学の父と

『先生抜きで書こう』 試訳その2

最初、この本が売れなかったから僕はとてもナーバスになったよ。何年も売れなかったし、新聞で書評も書いてもらえなかった。 (注:その後、世界的ベストセラーになります) この本のメッセージは二つある。一つ目は特に良く聞いてほしいと思ってる。 書くことの独立宣言だ。 ・正しく書こうとすること ・良いものを書こうとすること ・気にすること ・コントロール ・計画 ・秩序 全部捨ててほしい。 僕はオックスフォードでの2年を無駄にして、ハーバードを辞めなくちゃいけなくなった。

『先生抜きで書こう』 試訳その3

二つ目のメッセージは書名になったもの。「先生抜きで書く」ことだ。 これも独立宣言だよ。 生徒は先生抜きでも学べるけど、先生は生徒がいないと教えられない。先生に頼りすぎるなって言われるけど、本当は先生の方が生徒に頼ってる。 僕はこれからもずっと先生でいるつもりだし、先生からたくさんのことを学んだよ。でも、むかし書けなくなってしまったのは先生のせいだった。 フロリダで仲間や生徒たちに書くようになったり、痛みや混乱に対処しようと自分自身に書くようになって、やっとまた書けるよ

ハーバード・ライティング・センターで教える博士論文の書き方

尊敬する奥出直人先生より、ハーバードで使われている博論執筆についての本を教えていただいた。なんとも破天荒なやり方だ。 形だけ整っていて、内容のない博士論文を書く手順について聞いていただきたいです。 1、まずテーマを選びます。 何かのリストから選ぶのかもしれませんし、先生に言われたものかもしれませんし、図書館の棚を見て選ぶのかもしれません。 2、次にテーマを調査します。 3、調査したテーマの内容を考えます。 4、次に論文のアウトラインを作ります。 5、1章1節から書き

Chat GPTに相談しながら読書感想文を書いた話

A君の作文 Chat GPTに相談しながら、A君に読書感想文を書いてもらった。 早速、彼の力作をご覧いただきたい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ○○中学校  三年 □□△△ 読書感想文 「人は幽霊を信じられるか、信じられないかで決まる」 ぼくは、夏休みにぼくが通っている「omiiko」という塾の先生が書いた本の一つである、この 「人は幽霊を信じられるか、信じられないかで決まる」 という題名に興味を持ち、読書感想文を書くことにしました。 この中に

作文と論文のちがい

今春、大学に入学した岡本さんから、レポートの書き方について相談があった。生徒からもだけれど、頼っていただけると本当にありがたい。力が湧く。勉強してきて良かったと思う。 「私、作文になってしまって、論文になっていないからダメかも」 と仰っていたけれど、彼女は聡明だから作文になってはいないだろう。 「作文と論文は違う」 僕が予備校生の時からある指導論である。 例えば、「なにわ男子のインスタライブを見て、若者のコミュニケーションについて見解を述べなさい」という課題が出たと

プロの物書きになれる人となれない人の違い

「プロの文筆家になれる人と、なれない人の違いはなんですか?」 と聞かれることがある。 私には持論があって、違いは「推敲をするかしないか」だと考えている。 実際に少し推敲してみたい。 書くことが最も難しい文章とは、どんなものだろうか。 それは悪口である。 隠し味程度に盛ったはずの毒が致死量を超え、大激論にいたる。そんな経験を誰もが味わう時代となった。 かく言う私も、冗談のつもりでカリスマ講師2人の悪口をnoteで公開してから、「いいね」をぜんぜん貰えなくなった。

人は鳥を殺した

「音楽をやる奴らってさ」 「どいつもこいつも悩んで、悩んで」 「苦しんで、苦しんで」 「世間から外れちまった」 「ここにいる奴らは全員そうだ」 「じゃなきゃぁ来やしないだろ」 「こんなところ」 「俺もそうだし、お前もそうだよ」 「鍵盤やドラムを叩いてるだろ」 「人を叩きたいのに」 「ギターを泣かせてるだろ」 「自分が泣きたいのに」 「他人も泣かせてる」 「・・・歌で、な」 「泣いてもらってるんだ」 「自分じゃ、泣きたくないからさ」 「ハハ」 「さみしいなぁ・・・