憧れの先輩と100メートル

学生時代に憧れた先輩というと、普通は自分と同じ学校の先輩が挙がると思うが、俺は他校にも憧れの先輩がいた。

強歩大会の翌日、記録会に参加した。サッカーなど他のスポーツに例えると練習試合みたいなものである。100メートルなどの個人種目はもちろん、4継(4×100メートルリレー)もあるので貴重な実戦の場となる。

前回の記事で書いた通り、渉はこの記録会には出場できなくなったため、4継のメンバーには代わりに寺田が抜擢された。寺田は、中学時代から陸上経験があったため、バトンの受け渡しも問題なさそうだった。

通常は、樋口先輩→俺→渉→残間先輩という走順だったが、渉のところが寺田になったため、俺は寺田にバトンを渡すことになった。

寺田は渉と全く違うタイプだが、走りに迫力があり、バトンパスも器用にこなせていたため、先輩達も「寺田いいね!」と褒めていた。急遽だったため一日しかバトン練習はできなかったが、ハマればいいタイムも狙えると俺は感じていた。

そして迎えた記録会当日。
俺はまず、個人種目である100メートルに出場した。俺と同じ組に、知っている名前があった。それは、泉高校の二つ上の先輩だった。その先輩は、ハードルでインターハイにまで行った選手で、陸上の雑誌にも載っていた。

泉高校は、公立の進学校であるにもかかわらず、ここまでの成績を残したということで注目されていて、俺の憧れでもあった。

また、俺とこの先輩には少しだけ共通点があった。中学時代に通っていた塾が一緒だったのだ。俺と在籍期間は被っていないのだが、姉もこの塾に通っていて、姉が知り合いだった。

レースは、もちろんこの先輩が1着で俺が3着だった。おそらく100メートルは本職ではないはずだが、俺とはかなりの差があった。

レース終了後、歩きながら俺はこの先輩に近づいた。そして、勇気を出して話しかけることにした。

「あの...」

俺は、この先輩と同じ塾に通っていたこと、知り合いである姉の弟であること、俺が憧れていること、を短い時間ながら伝えた。俺の拙い言葉にしっかり耳を傾けてくれた。そして、この100メートルの話もしようと思い、

「速かったっすねー」

と言うと、

「だって俺もう3年だもん(笑)」

と返してくれた。

この返しが、本当に嫌味がなくて謙虚でカッコイイなと思った。そして俺は続けて聞いた。

「この後のリレー出ますか?」

「出るよ!君も出るの?」

「はい、出ます!2走です。」

「俺も2走!じゃあまたあとでな!」

もう一度一緒に走れるのが嬉しかった。

だが、俺はもうこの先輩と走ることはなかった。

リレーのアップ中に、寺田が足をやってしまったのだ。寺田は入学当時から怪我を抱えていて、それが再発してしまったようだった。これにより榴ヶ岡はリレーを棄権することになった。

俺も樋口先輩や残間先輩も、寺田に「しょうがないよ」という声をかけたけど、寺田は本当に落ち込んでいた。寺田は責任感が強いため、自分が走れなかったことよりも周りのメンバーに申し訳ないという気持ちでブルーになっているように見えた。話しかけられないくらいの落ち込み方だった。

寺田は、この後も怪我に悩まされることとなる...


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