見出し画像

我が家のライナス

夫は何故かやたら古ぼけた布製品に執着する。コッテコテに汚くなったスリッパや襟の擦り切れたシャツ、裾の破れたズボン、縫い目の解けたハンカチ、穴のあいた靴下、破れたブリーフに至るまで、
「まだ使える!!」
と言う号令の元に立派に現役で使用されている。

救急医療に携わる知人から、『救急搬送される人を沢山見てきたけれど、綺麗な下着を身に着けている人はあまりいない』とちょっとドキリとする話を聞いた事があったので、その話をするのだが、
「オレはそんな目に会わへん」
と舐めた事を言うので、これは何かで懲りるまで無理だと諦めている。

「物の命はまっとうしてやらないと可哀想だ」
と夫は言う。それは正しい。
だがブリーフはブリーフとしての機能を十分に発揮してこそブリーフなのであって、穴があいたり破れたりした時点でもうブリーフとしての“命"をまっとうしている、と私は思う。ブリーフとしての機能を終えた後は、コテコテになった油汚れを拭き取ったり、こぼした水分を吸い取らせたりする"ボロ布"としての"命"のまっとうのさせかたがある。それで良いと思うし、多分世の中の9割以上の人が同意してくれると思うが、夫は聞き入れてくれない。

夫が長年絶対捨てさせてくれない物は数多あるが、その中で私が一番捨てたいと思っているのは古ぼけた座布団である。

これは私の嫁入り道具として、20年以上前に2枚組で持ってきたものだ。かなりボロくなった為、1枚はとっくの昔に捨ててしまった。この時夫は大層残念がり、それからは私に捨てられるのを警戒して、家の中ではもう1枚を本当に肌身離さず持っている。
会社に行く時は隠していく。ここまでされると諦めるしかない。

何をそんなに気にいっているのかと聞くと、絶妙なボロさ加減だと言う。もう中綿がすっかりぺちゃんこになっているので、簡単に四つ折り出来てしまうのだが、その状態で頭の下に敷くと寝転がってTVを見るのに丁度お誂向きの高さになるのだと言う。枕だと微妙に低すぎるのと頭へのフィット具合が良くないとかで、ダメなんだそうである。

ところが先日、珍しく夫の方から
「座布団カバーを洗濯しておいてほしい」
と頼まれた。ずっと直接座ったり、頭を乗せたりしているものだから、流石に臭くなったらしい。当たり前だ。
他の物と一緒には洗いたくないので、それだけ別にして洗う事にする。

カバーを剥がして驚いた。中綿カバーが劣化して紙のようになっている。あちこち剥き出しになった中綿はこれも劣化して、洗濯してしまったティッシュのように、カバーの中にボロボロと散らばっている。
しょうがないので掃除機で吸い取りながらカバーを剥がして、中綿カバーを捨てる。
裸になったぺちゃんこの中綿は、取り敢えずベランダで太陽の光に当てることにする。

やむを得ず現在のカバーを中綿カバー代わりにして、その上にもう1枚座布団カバーをかけた。若干綿の量は減ったが、これで体裁は保てそうだ。
こんな手間をかけたくない。潔く捨てさせてほしい…

綺麗になった座布団を見て、夫はとても喜んだ。早速四つ折りにして枕代わりにし、寝転んでTVを見ている。
「ねえ、それもう中綿ボロボロやったよ?捨てて新しいの買おうよ」
ダメ元で提案してみたが、
「絶対イヤ」
と言う返事が即座に返ってきて、言うんじゃなかったと後悔した。

今日も夫はボロ座布団を抱えて、家の中をウロウロしている。
まるでスヌーピーの友人ルーシーの弟、ライナスのようである。
ライナスと違って、こちらはもう大人だ。いつ手放してくれるやら、天に任せるしかなさそうだ。