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どうしても好きになれない

大阪に住んでいる人には阪神ファンが多いだろう。東京に住んでいる人は巨人ファンが、福岡に住んでいる人はホークスファンが多いんだろう。
だけど、そうじゃない人も大勢いる。
同じように、吹奏楽愛好家の多くには愛される曲だろうけど、私にはどうしても好きになれない、いや実を言うと物凄く嫌いな曲がある。
『アフリカン・シンフォニー』(ヴァン・マッコイ作曲)である。

詳しくは知らないが、原曲はディスコミュージックのようだ。吹奏楽版は今でこそ様々なアレンジが出ているが、昔は故岩井直溥先生のもの一択だった。
高校野球の応援などでよく演奏されているから、吹奏楽にそれほど縁のない方でも一度は耳にされたことがあるのではないかと思う。
勇壮で力強い雰囲気のあるこの曲は、応援歌にはピッタリだ。

私がこの曲のどこが嫌いなのか。
何と言っても単純な同じフレーズの繰り返しが飽きる。延々と何回やったら気が済むねん、と言いたくなるくらい繰り返す。
『同じフレーズを繰り返す時は、一回目と二回目を同じように吹いてはいけません』
というのは、レッスンの時に師匠のK先生から口酸っぱく言われた言葉である。いつの間にかその教えは私の身体に染みついていて、同じフレーズを同じように吹くと違和感が凄い。気持ち悪くなってしまう。
現代音楽などならそういう技法もあるのだろう。けどそれ以外は師匠の指示通りでないと落ち着かない。
ところがこの曲は全く同じように、延々と繰り返す。最後にちょっと派手になるくらいで、大きさも編成もたいして変わらない。
従って、私には全然面白くないし、気持ち悪い。またそのフレーズかい、とツッコミを入れたくなる。イライラしてしまう。

なのにこの延々とした繰り返しをしている間、私の周りのみんなは物凄く嬉しそうな表情をするのである。『やっぱアフリカン・シンフォニー、最高っしょ』と言いたげなその顔を見ると、私は繰り返すごとにどんどん白けてしまう。
この曲は譜面を覚えるくらい何回も演奏してきたが、一度たりとも感動したり、気分が盛り上がったと感じたことはない。胸を張って断言できる。

私がこの曲にイライラする理由はもう一つある。
吹奏楽愛好家にこの曲が『大好き』な人がとても多いということである。
前の楽団で私は定期演奏会の選曲委員をやっていたので、団員に向けて『演奏したい曲アンケート』を行って、集計作業を担当していた。
私にとって嘆かわしいことに、この『アフリカン・シンフォニー』は毎回、必ず『演奏したい曲』の上位に食い込む。私情を挟んではいけないので、アンケート結果は団員全員に必ず毎回公表していたのであるが、そのリストを見ながら
「いいよねー、アフリカン・シンフォニー」
「うん、やっぱりいいよね」
「みんなやりたいよねえ」
などとみんなが嬉しそうに口々に言うのを聞く度に、一人心の中で
『オレはやりたかねえ!』
と叫んでいたのだった。
結局私の居る間にやることは一度もなかった。多少?私情を挟んだかも知れない。当時の楽団員の皆さん、すいません。

クラリネットには聴かせ処はない。でもそれは嫌いな理由ではない。しんどい※内職作業(細かい音符や早いタンギングの羅列など、キツイだけで報われないフレーズのこと)もない。息もしんどくない。
ただただあの単純さがバカバカしい。吹く楽しさを感じない。
ディスコミュージックとしてなら、ノリノリで凄く良い曲なのだろう。同じフレーズを繰り返すのもそれでだと思う。

曲には『曲想』がある。現代音楽などをあまり好んで聴く気になれないのは、私にはそこにある『曲想』『作曲者の考え』を汲み取ることが難しいからである。
吹奏楽にも美しい曲、展開が楽しい曲も沢山ある。私はそういう、曲の中にある『物語的な展開』を表現するのが好きなのだ。
勿論、みんなと音楽を奏でることが出来れば幸せ、ではあるのだけれど。

一端の偉そうなことを言ってるけれど、私の表現技法が拙いだけなんだろう。きっとそうだ。
それでもやっぱり『アフリカン・シンフォニー』は好きになれない。これから先も多分、一生好きになれないと思う。
そういう吹奏楽愛好家が一人くらい居たって、良いじゃないか。