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許せるユルユルと許せないユルユル

私は『すぐに物を捨てる』と夫からよく批判?される。夫から見ればまだ十分に使用に耐える、『ちょっと』襟ぐりの線が緩んだTシャツとか、『少し』裾が擦り切れて糸が出ているようなズボンなどをポイポイ捨てるからだ。
「お前は罰当たりなやっちゃ。まだ着られたのに」
といつもお冠である。
しかし私にしてみれば、ほぼ毎日会社に出勤する夫に、情けないようなものは着てもらいたくない。ウチは超お金持ちではないが、一応外着に恥ずかしくない程度の服を買うくらいの経済力はあるつもりである。せめて破れていないもの、緩んでいないものを身に着けてもらいたいと切に願っている。
だが夫は平気である。オマケに着た切り雀だから、目を覆いたくなる。

それでも田舎(失礼)の工場勤務の時は、そこまで悪目立ちもしなかったろうと思う。通勤に使うバスにも同じ会社の従業員しか乗っていない。似たような輩もいるかもしれない。だからイヤではあったが、我慢してヨレヨレの服を着て行く夫を毎朝送り出していた。
しかし今の職場はドラマの撮影などでも度々使われるような、美しい景色の中にある。周囲にはオシャレなホテルやビルが立ち並び、こじゃれた格好の人々が普通に通りを行き交う。夜はロマンチックな灯りが、その辺一帯にムーディーな雰囲気を醸し出している。
そんなところに、どこの山猿が脱走して来たのか、と思うような酷いヨレヨレの格好で行くのは心底止めて欲しい。
通勤だって、色んな人が大勢利用する電車である。どこで誰が見ているか、分かったものではない。妻としては、夫がイケてないおじさん認定されるのは我慢ならない。何より恥ずかしすぎる。
そんな訳で、私はいつも一人気を揉んでいるのだが、夫は全く意に介さない。

下着は直接人の目に触れないからついつい気を抜きがちであるが、これも情けないようなものは身に着けるべきでない、と私は常々思っている。
昔、救急のナースをしていた友人から、
「搬送されてくる人ってね、ロクな下着つけてる人いないよ」
と聞かされたことがあり、それ以来下着に気を抜くのがなんとなく怖い?のである。
夫にもこのことを散々言っているのだが、
「オレはそんなことならへん」
というばかりで全く耳を貸そうとしない。
事故というのはいつ何時、自分の責任の及ばないところでも起きうるのに、『自分だけは大丈夫』という妙な自信を持っているから始末に負えない。

特にブリーフの腰の部分がよれてくると、どうにもしまらない感じになるので私はすぐに処分するのだが、夫は
「これくらい、まだ穿けるのに!」
と言って、私の手からブリーフを取り上げてしまう。下手するとゴミ箱から復活させることもある。
「こんなヒドイパンツ穿いてたら、運気が下がるで!」
と反論するのであるが、
「根拠のない事言うな。オレはパンツなんかに運命を左右されたりせん」
と言う具合で、私の理屈はいつも夫の無茶苦茶な理屈に、あえなく封じ込められてしまう。

ところが、夫のズボン下(要するにパッチ)の事となると、私と夫の見解は真逆になる。
私がまだ十分現役で使える、と思うものでも、夫は
「これは脚にピタッときいひん。もうユルユルや」
と文句を垂れて、穿こうとしない。
見た目がそんなに酷くなっていないものでも、装着感が気に食わないともうダメだ、これは着ない、とダダをこねるので、朝から一悶着やらかす事になる。
あのブリーフを穿いてる人間が何を言うか、といった感じである。そしてこの見解の相違はなんなのだろう、といつも不思議に思う。

夫の許せるユルユルと、私の許せるユルユルは随分基準が違うようだ。
三月が来れば、結婚二十五周年を迎える。
もうお互いの好き嫌いの感覚は十分わかっているつもりなのに、まだこんな食い違いが生ずる。他人を理解するのは本当に難しい事だ、と痛感する日々である。
でもこんな日常の不毛な争いも、私にとってはお互いの考えを認め合うために夫婦で編む、滑稽で小さな、愛おしい時間なのである。