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一枚の葉書

学生時代のアルバイト先である婦人服店には、毎年多くの女子社員が販売員として配属されてきた。皆地方の高校を卒業してすぐに、大都会の真ん中にやってくるのである。
私が働き始めた時の一年生社員は同い年。四年勤めた間、毎年春には妹のような子達との出会いがあった。憧れの大都会で、しかもファッションの世界で働くことにみんな目をキラキラさせていて、とても初々しく可愛く思えた。

彼女たちの住まいは少し離れたところにある社員寮である。行ったことはないが二人一部屋で、二段ベッドだそうだ。部屋はたいそう狭く、身の回り品を少し置けばいっぱいになってしまう。勿論プライバシーなどない。食事は二食付いているが、あまり美味しくないとのことだった。しかも僅かな給料からその寮費は天引きされる。彼女たちの話を聞いていると、社会の授業で習った「女工哀史」を思い出してしまった。
だが最初はすっぴんの『少女』だった彼女たちは次第に化粧の仕方が上手くなり、オシャレも上手になって段々垢ぬけていく。最終的にはそれはそれは綺麗な『都会の女』になって、勤めを辞めてより高級な服を扱う店へと移っていく…というのがお決まりのパターンだった。

ある年の一年生社員に、一風変わった子がいた。Oさんというその子は、いつも不満そうに目線を下に落とし、あまり笑わない。私と同じブラウス売り場の担当だったが、会話もあまりはずまないし、話をするのが苦手なのかな、と思ってちょっと遠巻きに見ていた。
同期入社の子達とはよく喋っていたが、いつも目が笑っていない子だなあ、と思っていた。

ある日、彼女が無断欠勤をしたので店は大騒ぎになった。寮はもぬけの殻で荷物もない。店長と副店長一名とブラウス売り場のチーフで探すと、友人宅に転がり込んでいるのがわかり、彼女は連れ戻された。店長に捕まって叱責された時、
「辞めたい」
と泣いていたという。
無理もない。社員はかなり厳しい縦社会だった。勤務はきつく、まだまだ遊びたい盛りの年齢の彼女たちには、我慢しづらいことも多々あっただろう。だが実家は自分が働かなくては経済的に困るのでしょうがなく来ている、という感じの子が多かった。Oさんもよく、
「ウチ、貧乏なんです。口減らしに外に出されたんですよ」
と冗談めかして言っていた。本当だとは思わなかったが、案外それに近い現実があるのかも、と思わされた。
彼女は結局店長と寮長とチーフに謝罪し、店に戻ってきた。バツとして減給されたというから気の毒には思ったが、社会の厳しさを教えるという意味なのかなあ、と私はまだ少女のような彼女を可哀想に思っていた。

後日、店宛の郵便物をレジに届けようと地下街事務所横にある店のポストから出すと、中に手書きの一枚の葉書が入っていた。いつも大体の郵便物はメーカーからの展示会の案内などばかりだったから、殊更目を引いた。差出人を見るとOさんの父親のようだった。そこに書かれた住所は九州のかなり田舎であった。
驚いたのは、その字がまるで小学生が書いたような拙さだった事だった。正直違和感を拭えなかった。しかし同時にある種の必死な思いを強く感じ、私は暫くその文字をじっと眺めていた。

出勤すると店長がいたので、なるべく色んな人の目に触れない方が良いかと思い、黙って直接その葉書を手渡した。それまでそんなことをしたことはなかったから、店長は意外そうに私をちらりと見て、その葉書を受け取った。そして表をしばらく見て裏返し、文面に素早く目を通すともう一度私を見た。
「詫び状や」
私は黙って頷いて、その場を離れようとした。すると店長が誰に言うともなく、
「可哀想にな」
と呟いて、その葉書を素早く内ポケットに押し込んだ。
私は目線を落とすことしか出来なかった。

Oさんはその後無断欠勤は二度としなかったが、相変わらず仕事は面白くなさそうだった。それでもやはり他の子達と同じように垢ぬけて綺麗になっていったがある日、
「ここを辞めて、九州に帰ることにしました」
とにこやかに報告してくれた。向こうで実家から通える仕事を探すことにしたのだという。
「お世話になりました」
と頭を下げた彼女の目が心から笑っているのを、私は初めて見た。
「そうですか。短い間でしたけど、こちらこそお世話になりました」
と言いながら、私はなぜか涙が出そうになった。

帰ってきた彼女を見て、あのお父さんは喜んだだろうか。
今頃どうしているだろう。