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先生はええで

私が通っていた小学校では、高学年になると様々な委員会活動に参加することになっていた。委員は同じものを続けてすることは出来ず学期ごとに代わり、一年で三つの委員を経験することになっていた。
体育委員は準備運動のラジオ体操をみんなの前に出て行う。美化委員は掃除の後の仕上がり具合のチェックなどをするのが仕事だったように思う。中央委員はクラスの代表として、生徒会に参加する。放送委員は給食の時間に音楽を流す。図書委員は昼休憩に図書室で本の貸し出しの手続きを行う、といった具合である。
一番人気があったのは放送委員だった。私もやりたかったが、いつもじゃんけんで負けてしまってとうとうなれずじまいだった。委員をじゃんけんで決めるというのもどうかと思うが、のんびりした時代だったのだと思う。

女子に人気が高かったのが保健委員である。教室で体調を崩した生徒を保健室に連れて行ったり、「保健日誌」(内容はよく覚えていない)を保健室に提出しにいったり、健康診断のあとの忘れ物チェックなどもしていた気がする。
いかにも「お世話好き」な小学生女子の好きそうな仕事なのであるが、人気のワケはそれだけではなかった。
養護教諭のA先生がとても気さくで面白い人だったからである。

A先生は華奢で小柄な人だった。声はしゃがれているけれど、大きい。会話の仕方が独特で、先生というより近所のおばさん、だった。
「せんせい!」
と呼ぶと、
「はいよ!」
とか
「はいな!」
と返事してくれる。絶対末尾に何かつくので、私達は用事もないのに面白がってよく先生を呼んでは笑っていた。
私はほぼ全ての学年で保健委員をやったので、A先生とはすっかり顔馴染みになってしまった。

「あんたは大きくなったら何になんねん?」
A先生は保健室でよくこんな調子で雑談をしてくれた。生徒相手に、呼びかけは誰でも「あんた」だった。でもぞんざいな感じはちっとも受けなかった。
「先生はええで。女の子は産休、育休しっかりあるから先生はお勧めや」
先生はいつもそんな風に言って、私達に勧めていた。今だと大変な職業だと思うが、当時はもっとのんびりしていたのだと思う。

一度、ウチの妹が体調を崩して保健室でお世話になったことがあった。お腹が痛い、という妹に
「昨日の晩は何食べたん?」
と先生が聞いてきた。
丁度前の晩は祖母がマツタケを送ってきてくれたので、マツタケご飯にして食べた。それで、
「マツタケご飯と・・・」
と妹が言いかけると、先生は
「マツタケご飯か!ええなあ!先生も食べたいなあ!買ったんか?凄いなあ!」
と言われてしまった。妹が祖母に貰った、と言うと、
「ええおばあちゃんやなあ!あんたは幸せやなあ!羨ましいわあ!」
としきりに羨ましがられたそうだ。結局腹痛の話はそれっきりになり、妹は一時間ほどして早退した。
「先生、他に何食べたか、全然聞いてくれへんかってん」
妹は後でそう言って笑っていた。

私がある日の昼休憩に、保健日誌を提出しに保健室に入ったら、ベッドに女の先生がジャージ姿で横になっていたことがあった。くの字に身体を折り曲げて、とても辛そうに見えた。ベッドは生徒が寝るものだと思っていたから、びっくりして見ているとA先生はシャッと音を立ててカーテンを閉め、
「女の人はな、月に一度物凄く辛い時期があるんやで。あんたはまだやろうけど。ちょっと休ませたってや」
声をひそめて私に目配せをした。ねんねの私には月経痛と言うものがどれくらいしんどいものなのか、全くわからなかったが、A先生の言葉はなんとなく理解できた。黙って頷いて、いつものようにおしゃべりはせずに保健室を出た。
A先生はドアに手をかけて
「ごめんな」
と言って両手を合わせて手を振った。
A先生のいる保健室は、先生方にとっても束の間身体を休められる場所だったようだ。

私は小柄だったので、よくA先生に
「あんたはおしっこタンク小さいやろから、マメにトイレ行きなよ!我慢したらあかんで!」
と言われていた。
私は冷え性の上についおしっこを我慢してしまう性質で、よく膀胱炎になっていた。膀胱炎になると身体がだるく、しんどい。私がしょっちゅうだるいだるい、というので気にして下さっていたようだった。
大人になって営業の仕事をするようになって、ますます膀胱炎が酷くなってしまった。泌尿器科で
「マメにトイレに行って下さいね。我慢はダメですよ」
と言われた時、A先生の言葉を思い出した。
大人になってもなってんのか、だから言うてんのに、と言われそうだと思った。

卒業してからも何度か先生のところに遊びに行った。中学校の制服を着て初めて遊びに行った時、
「おう、お姉さんになったなあ!立派立派!」
ととても喜んでくれた。
持って行ったお菓子を食べながらいろんな話をした。帰り際に、
「あんた、大きくなったら先生になり。先生はええで」
とまた同じことを言った。先生相変わらずやな、とおかしかった。

随分長く同じ小学校におられたが、私が高校生になる頃に転勤された。
剽軽で裏がなく、陽気な近所のおばちゃんみたいだったA先生。ご存命だったら八十代くらいだろう。またお目にかかって、お茶を飲みながらお話してみたい。また
「先生はええで」
と仰るかなあ。

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