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小さな家

子供の頃の私は、随分ひなびたところに住んでいた。家から数十メートルも歩けば、一キロ半ばかり先にある小学校が見える。視界を遮る建物など全くなく、周りは全て田圃だった。
稲が植えてある時期はダメだが、刈り取った後田起こしをするまでの間は、よく田圃を斜めに突っ切って、学校まで近道をして行ったものだった。
子供でも大勢が踏み荒らすとやっぱり田圃にはよくないらしく、時折学校にお百姓さんから苦情がきて、先生から『田圃を通らずに道を通りなさい』なんて注意を受けることもあった。

のんびりしていて良いようなものだが、一人きりで帰っていると痴漢に遭遇することもまあまあの頻度であった。また、田圃に水を引くために沢山の用水路が通っており、田植えの前の時期は水嵩が増えて危ないから、という理由で集団下校していた。
周りに人の目がない、というのは自由で良かった半面、下手すると何かあっても誰にも気付いてもらえない、という危険性もあった。

この広大な田圃の只中に、小さな平屋建ての家が一軒だけ、ポツンと建っていた。家族は夫婦と子供が大勢。何人いたかまでは記憶にないが、沢山居たのだけは覚えている。
子供は皆小さく、何故か言葉がほぼ通じなかった。
おばさんは日本語を話したが、片言のような感じで、何を喋っているのか、あまりはっきりしなかった。色黒で体格がよく、いつも派手な色の、ムームーのようなゆったりした服を着ていた。
家はお世辞にも綺麗とは言えない外観だったし、子供達もおばさんもちょっと、子供心にこちらが引いてしまうような印象を受けた。小学生の子供がいない、というのもあり、私達がこの家に寄りつくことはなかった。

ある大雨の翌日、ウチの妹が全身ずぶ濡れで学校から帰って来たことがあった。多分二年生くらいだったと思う。
普段あまり物事に動じない妹が、珍しく青い顔をして泣きべそをかいていた。何事かと驚いて出迎えた母に、一緒に帰って来た友達が口々に告げた言葉を聞いて母は蒼ざめた。
「○○ちゃん(妹)、傘を用水路に突っ込んで遊んでて、落ちたん。あの家のおばちゃんが助けてくれてん」
その日の用水路はかなりの深さだった。落ちた妹は自力で這い上がろうとしたが、水の流れは早くて抵抗も強く、足を取られて滑ってしまったらしい。
一緒にいた子供達がわあわあ騒いでいたところ、あの小さな家のおばさんが出てきて、妹の腕を掴んで引っ張り上げてくれた。おかげでびしょ濡れにはなったが、妹は溺れることなく助かった。
水圧が凄かったのか、新品だった妹の傘は見るも無残な姿になっていた。
母はゾッとしたという。

命の恩人なのだから、ということで母は取り敢えず菓子折りを持ってこの小さな家を恐る恐る訪ねた。
チャイムを押すと沢山の子供達が出てきたそうだ。あんまり大勢なので母がビックリしていると、奥からおばさんが出てきた。
母が菓子折りを渡して、娘を助けてもらった礼を言うと、おばさんはニコニコして要らない、という風に手を振った。
そんなわけにはいかない、と母が固辞すると、おばさんはやっと受け取ってくれて、片言でポツポツと妹を助けた時の様子を話してくれたそうだ。
小学生達がえらく騒いでいる声がするので、何事だろうと思って外に出てみると、ウチの妹が溺れかけていた。腕を掴むことは出来たので、夢中で引っ張り上げた、ということらしかった。
母はニコニコしたおばさんと、興味津々の子供達に見送られて帰って来たそうだ。

その後、我が家とその家族が特に交流することもなく、そうこうするうちにその家はなくなってしまった。今は跡地に三軒ほど家が建っているが、あの家族はいない。どこに行ってしまったのか、近所の人も誰も知らなかった。
妹の溺れかけた用水路は、その後随分経って金属製の蓋がされた。もう子供が落ちる事はないだろう。
結局あの家に住んでいた家族がどんな素性の人達だったのかは、分からずじまいである。あの家をただ眺めて通学している時は、まさかあの家族と我が家にそんなご縁が出来るなんて想像も出来なかった。今はどこでどうしておられるのかなあ、と時々思い出している。
人の縁は不思議で、つくづく有難いものだ。







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