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Are you sick?

小学生の頃、近所の英語教室に通っていた。時代も時代だし、田舎のことだから小学生のうちから英語を習わせようなんて家は少なく、近所の五、六人が一人の先生に教わっていただけだった。今思えば先生は多分、大学生のアルバイトだったのではないかと思う。随分若かった。
英語教室といっても、今時のようなしっかりした英会話教室よりもっとずっと手前の、単語を覚えるくらいのレベルだった。「red」と書いてある点線を赤い色鉛筆でなぞったり、「Apple」と書いてある塗り絵を塗ったり、英語の歌を覚えたり、そんな程度で殆ど遊びに近かった。
英語が物珍しいのと、遊びが楽しかったので私は喜んで通っていた。

その日はピアノ教室に行った後、続きで英語教室に行くことになっていた。私はピアノのレッスンを終え、自転車で英語教室に向かった。
ピアノの先生の家から英語教室までは大体一キロ弱の距離だった。自転車に乗ればすぐ着いてしまう。私はせかせかとペダルを漕いで、教室へと急いだ。
途中、ちょっと見通しの悪いカーブがあった。いつもは大回りして左側をちゃんと通るのだが、その日私は何を思ったのか、カーブの内側ギリギリをスピードを上げて通りかかった。右側通行である。
運悪く、前から近所の人の自転車が来て、私はぶつかりそうになった。先方も慌ててブレーキをかけた。おかげで相手にぶつかることは避けられたが、急にブレーキをかけたので私はバランスを崩し、横倒しにこけて左肘を思い切り地面にぶつけた。アスファルトの道路に肘が擦れて、血が出た。とても痛かったが、急いでいたので相手に謝るとすぐに自転車を起こして飛び乗り、一目散に英語教室に向かった。

その日、英語教室にはアメリカからの先生が来ていた。エミーさん、と言ったと思う。発音の仕方のあまりの違いに目を白黒させながら、私は先生の長い金髪にうっとりしていた。
だが、一方で左肘の痛みがちょっと酷いような気がしていた。血は止まっていたけれど、なんだかずっとズキズキする。楽しいことがあると擦り傷くらいなら忘れてしまうのに、今日は変だなあ、と少し気になっていた。

その時、エミーさんが私をじっと見て眉をひそめ、何か言った。早口過ぎて何を言っているのかわからず、困惑していつもの先生の方を見ると、エミーさんは先生に向かって何か話しだした。やがて先生が私に向かってこう言った。
「『Are you  sick? 』病気なの?って。顔色が青い、って心配してくれてるよ。大丈夫?」
あれ、そんなに顔色悪いのかな、と少し驚いたが、
「来る時ちょっと自転車でこけました。でも大丈夫です」
と言うと、先生はエミーさんと少し喋っていたが、
「帰ったらおうちの人に傷をみてもらってね、って」
と言った。エミーさんもニッコリして頷いた。
私は小さく
「Thank you」
と言って、肩をすくめた。

エミーさんの予感は大当たりだった。あまりの肘の痛みに耐えかねて、近所の接骨院に行きレントゲンを撮ると、骨にひびが入っていた。全治二か月くらいだったと思う。生まれて初めてギプスをして、包帯で腕を吊ることになった。風呂や食事など、普段している何気ないことがいちいち難儀で大変だった。母も風呂の度に腕にビニールを巻き付けたり、面倒だったと思う。
体育もサッカーなどはしたが、手を使う授業は見学になった。心臓に持病がある子がいつも見学しているのを、体育嫌いの私は普段羨ましく思いながら眺めていたのであるが、涼しい日陰からみんなが運動しているのを、約四十分間眺めているのは楽しくもなんともなかった。
包帯の取れる日が待ち遠しかった。

ギプスのお世話になったのは、後にも先にもこの時こっきりである。
今ではエミーさんがどんな顔だったのか、その日のレッスンがどんな内容だったのかも思い出せない。
ただ彼女の長い金髪と、心配そうにかけてくれた言葉だけは、何故か四十年以上経った今でも鮮明に思い出せるから不思議である。




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