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土禁?

毎度毎度愚痴らせてもらっているが、夫の部屋は部屋というより今や物置になっている。この家で一番広く十畳くらいあるのだが、足の踏み場もない。
通販で買ったものの空き箱が転がり、何かわからないもののリモコンが無造作に投げ出され、惜しくもゴミ箱にシュートし損ねた鼻紙が二、三個散っている。その真っただ中に大画面のモニター、両脇にはスピーカー、奥にはピアノ、そして仕事の書類・・・とかなりのカオス状態である。何が夫にとって大切なもので何が要らないものなのか、見当がつかないので困る。
掃除機はかけているが、空いているスペースをさあっと丸くやる程度なので、あまり意味を感じていない。しかし何故かこの部屋の床は非常に汚れやすいので、ため息をつきつつ、一応毎日掃除している。

こんな風に片付けの全く出来ない夫であるが、車だけはバカ丁寧に綺麗にするから不思議である。
特にこだわって買った車というわけでもないのに、滅茶苦茶綺麗に洗車する。ボンネットに顔が写りそうなくらい、ワックス掛けも拭き上げも完璧に行う。あの情熱を部屋の片づけに傾けてくれればどんなに嬉しいだろうか、といつも見ていて思う。
中も塵一つ落ちていないように、丁寧に掃除機をかける。おかげで次に乗る時は靴底の汚れを掃ってから乗らないと、夫に責められそうで落ち着かない。
マットをゴシゴシ洗って干し、目を寄せて窓枠の隅にたまった土ぼこりを少しでも残すまい、とボロ布の角で必死に拭き取る様子は、ちょっとおかしな人に見えなくもない。
先日も汗水たらして洗車していたら、近所の方に
「新車みたいにしていますね!」
と『褒められた』とご満悦であった。多分、『呆れられた』の間違いだろうが、敢えて黙っておいた。言葉は捉えようでどうにでもなる。
ウチのプリ〇ス君はもう十万キロ走っている。新車に見えるわけがない。

関西に居た数年前、この車で音楽監督の先生を駅まで迎えに行ったことがある。
普段は自分の車で来られていたのだが、仕事の都合でどうしても電車でしか来れないことが時折あった。
楽団の練習場所は駅から一キロ半ほどである。舞台で着る燕尾服や楽器を数本抱えた先生に駅から歩いて下さい、という訳にはいかない。しかし貧乏楽団故にタクシー代を出すのはケチりたい。ということで、こういう時は団長が迎えに行っていたのだが、生憎その日は休みだったので、私が代わりに行ったのである。
「先生、お疲れ様です。どうぞお乗りください」
改札を出て来られた先生を車に案内すると、
「うわっ!ピカピカじゃないですか!!」
と目を丸くなさった。
「ああ、夫の趣味みたいなもんなので」
というと、
「なんか、ドアに手をかけるのが悪いみたいだな」
と躊躇して、車の横に佇んでおられる。
しょうがないので私がドアを開け、先生の荷物を預かって後部座席に乗せ、お抱え運転手のように助手席のドアを開けた。
先生は恐る恐る助手席に乗り込もうとした。そして席を見るや、またウッと唸って、
「この車は土禁ですか?!」
と慌てて靴を脱ごうとなさる。
「ああいえいえ、全然違います。お気になさらず。夫の趣味ですから」
と言うと、
「はあ、ビックリした。汚したらどうしようかと思いました」
と先生はシートベルトを締めながら大きく息をついた。
迎えに行っているのに、何故か申し訳なくなってしまった。

先生もかなり綺麗好きな方だったが、この極端な美しさには驚かれたようだ。
「なにか汚してたらスイマセン。大丈夫かな」
と降りる時に床をチェックなさろうとするので、ちょっと笑えた。
「運動会の帰りじゃないですから、平気ですって先生」
と申し上げておいた。
ここまで乗る人に気を遣わせるなんて、明らかに『やり過ぎ』である。

今日夫は東北への旅から帰ってくる。一人で車中一泊で出かけた。
綺麗な車で、さぞかし寝心地が良かったろう。
でも持ち帰った大量の衣類を洗うのは私目の仕事である。
それはしないのねえ。
まあ、機嫌よく過ごしてくれればいいですけど。




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