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根本解決

接客業に就いている人の多くが、顧客から謂れのない怒りをぶつけられたり、常識では考えづらいような隷属を強いられそうになった経験があると思う。曲がりなりにも二十年以上接客業に携わってきた私が振り返って考えると、そういう問題に対する世間の認識がここ数年でやっと『人間らしく』なってきたな、と感じる。
上司からの不当な圧力や嫌がらせについても同様で、遅まきながらやっと時代が人間の常識に追い付いてきたなあ、と思う。昔は歯を食いしばって我慢するのが美徳とされ、声をあげる者は根性なし、会社の敵、裏切り者、なんて蔑む風潮があった。今では信じられない話だが、多分気が遠くなるくらい多くの人が泣き寝入りし、酷い時は自ら命を絶ったのかもと思うと、つくづく不健全な社会だったのだなあ、と思う。

でも相変わらず『ハラスメント』はなくならない。
そもそも人はどうして『ハラスメント』をしてしまうのか。この点について追及する報道や考察があまりにも少ない、とずっともどかしく感じている。
『ハラスメント』には必ず被害者と加害者がいる。被害者は可哀想で、加害者は悪い奴。それは間違いないことなのだが、そこをつついても、何も変わらない。感情レベルの話は、それ以上深まっていかないからだ。『ハラスメント』をなくしていく為に必要なのは、
『何故、加害者はそんなことをしたのか』
『どうすれば二度とそんなことをしなくて済むか』
『第二、第三の加害者を生まない為に、我々はどうしていかねばならないのか』
ということへの深い考察である。

『ハラスメント』をする人は寂しい、満たされない、不幸な人である。
誰かの幸せに生きる権利を蹂躙してでも叶えたい、卑怯で身勝手で強烈な欲求がある。その欲求を満たさねば生きていけないくらい、辛く苦しいものを心の内に抱えている。
中には病的なものもあるだろうが、その原因の多くは加害者の過去の家族関係に起因していると思う。そこに加害者個人が気付き、目を逸らすことなく向き合って解決しない限り、どんな厳しい罰を与えられようとも加害者の更生はなされない。
向き合うためには加害者自身が自分の過去を棚卸しし、悲しかったことも嬉しかったことも全てそのまま認めて受け入れる必要がある。そういう心境になるためには、誰かの、何らかの、根気強いサポートが必要である。そういう風にすることが社会の常識的流れになることも必要だ。

現在の一般的な世の中の流れは、
{ハラスメントの加害者になる→社会的制裁を世間とマスコミが加える→刑事罰を与えられたり、損害賠償請求をされたりする→悪しきを社会的に誅殺した『世間』は溜飲を下げ、やられた人は応報的感情のみを満足させる→めでたし、めでたし}
という、非常に単純且つエンドレスな構造に成り下がっている。
そうじゃない。それでは問題は全く解決しない。

何事にも原因があって、結果がある。
『ハラスメント』をする人は、理由があってしている。無意識にしている。下手すると自分は正しいことをしている、と錯覚して胸を張っていることすらある。それを目覚めさせるには、ただ世間が叩くのでは意味がないのだ。ただ叩いて、
『どうだ、ハラスメントをするとこんな風に世間からたたかれるんだぞ、よく見ておけ』
という、教育刑的な脅しをかけるだけでは、加害者や予備軍の考え方を変えさせることは出来ない。
人は能動的に考えたことでないと、積極的にやろうとはしない。加害者が
『もしかしてああいう風に部下に言ってしまったのは、オレの過去のあの経験が原因かもしれない』
と思い当たり、それから先の自分の人生に前向きに、丁寧に向き合おうと決心すれば、『ハラスメント』はなくなっていく。
小手先だけ、口先だけの謝罪なんて、やっても意味はない。きっと被害者だってしてもらっても嬉しくない。
自分の人生に真摯に向き合い、与えられた命の『有難さ』に思いを馳せ、ただ日々『在ること』に感謝できるようになるまでは、腹の底からの謝罪なんてできっこない。他人を大切に扱えない人は、自分も大切に扱えない人なのだ。裏を返せば、自分を大切に出来るようになれば、『ハラスメント』なんてばかばかしいことは時間の無駄で、する気にならない筈なのである。

『ネットで叩かれた』なんて言葉を聞く度、ああまたか、まだそんなことだけで正義の味方になったような気分になって満足している輩が存在しているのか、と悲しくなる。
永山則夫死刑囚から京アニ事件の青葉被告に至るまで、凄惨な事件の被告の多くは、目を覆いたくなるような辛い過去を背負って生きてきている。彼らのやったことは決して許されるものではないし、理不尽に失われた数多の命を思うと言葉もない。被害者が自分の身内だったらと思うと戦慄する。
けれど、彼らを殺人鬼にしたものはなんなのか。程度の差こそあれ、彼らの根っこは『ハラスメント』や『いじめ』をする人たちと同じではないか。
日本と言う国はそこをこれからどう矯正していくつもりなのか。それがいつまでたっても見えてこない。犯罪を防ぐ原点はここだというのに。起こったことに後から手当てをするのでは遅い。根本解決になっていない。
もういい加減、報道はくだらない勧善懲悪ごっこはやめにしないか。国民はそこに乗っかるのもやめないか。

そして私に出来ることはなんだろう。
秋晴れの空を見上げながら、そんな思いでふと立ち止まる。