見出し画像

小さな秘訣

ウチは今まで二十五年間、借り上げ社宅住まいである。
どうせ転勤があるし、退職するまではどこに落ち着くことになるかわからないから、ということで、敢えて自分たちの家は持たずに今までやってきた。
両方の親からは『早く自分達の家を持ちなさい』と凄い圧をかけられた時期もあったが、そうやって若い時期に家を建てたものの、転勤転勤で自分の家に殆ど居たことがない人の話を聞いたりすると、これで良かったのではないか、と思っている。

夫の会社の借り上げ社宅選定方法は年々変わってきている。
初めて二人で住んだ北陸では、社が予め用意してくれた物件を総務係の方が案内して下さり、幾つか見て回ってその内の一つに決めた。
二人共全く不案内な土地だったから、『この辺は小学校が近いですよ』とか、『ここは近所にスーパーがないから、ちょっと不便かも知れません』などと直に教えて頂け、便利で静かな良い所に住むことが出来たのは有難かった。
次の関西に移り住む時の会社からの通達は、『三つだけ条件を聞いてやるから、こっちの用意した物件に住め。イヤなら自分で探せ、但しその際家賃補助はない』というものだった。
子供が幼稚園の年長さんになろうとしていたところだったから、小学校が近いこと、我が家は帰省や出張が多い為駅に近いこと、北陸暮らしで必須アイテムだった車が二台置けること、を条件として出し、マンションの最上階というところに落ち着くことになった。
ここはちょっとうるさくはあったが、やはり便利で良い所だったと思う。

今の住まいに移る時はまた制度が変わっていた。
『家賃はここまで出してやるから、この条件で家を探して申請しろ。但しJR沿線でないと通勤定期代は出せない。通勤時間が三十分以内であることは必須だ』というものだった。
夫は実はこういう話をキチンと聞き取ってくるのが大概苦手な性質である。きっと子供の時も、学校の先生の話をいい加減に聞いていたに違いないと確信している。
「お前、はよ対象物件探しといてくれよ」
とやたら急かすのだが、探そうにも条件が曖昧過ぎて探しようがない。
初め夫から聞いた家賃の上限が実は違ったり、通勤手段の制限もかなり後になって知ったりで、折角探した物件も全くの徒労に終わることが多かった。
そうでなくても忙しい引っ越しのあれこれをしている私は、不確かな情報に振り回されて余計に大変だった。
「困るからちゃんと聞いてきてよ」
と頼むのだが、
「オレは最初からちゃんと言うてる!」
と言ってきかない。
しかし言った言わないの不毛な水掛け論をやっている場合ではないので、夫が次々繰り出す新しい条件をクリアする物件を、一生懸命日々探してはいた。

当初は夫から
「家賃補助を目一杯使うなんて、贅沢なことせんでもええ」
と厳しいお達しが出されていたので、私はなるべく高くない家賃の家を探していた。土地が土地なのでどうしても関西の田舎よりは高い。そしてどうしてもマンションやアパートになる。しかし夫は
「隣と壁がくっついてるところは嫌や」
と駄々をこねるので、戸建てを探さねばならない。
なかなか骨の折れる作業で、私は行き詰っていた。
ところがある日、
「ここええな」
と夫が得意そうにパソコンの画面に示した画像は一戸建てだった。しかし家賃がほぼ上限いっぱいである。
「ねえ、ここ家賃上限いっぱいやよ」
「わかってる。ええやんけ、出してもらえるんやから」
ん?
「なるべく安く済むところって・・・」
「そんなこと、オレは一言も言うてへん」
ほう。さいですか。
何でも良い。早く決めたかった私は速攻で不動産屋に連絡を取ったのだった。
それが今の住まいである。結果オーライ。夫はホクホクしているし、私も広い所に住めて有難いと思っている。

夫の
『そんなこと一言も言うてへん』
『オレはちゃんと言うてる』
はいつもの決まり文句だ。
どうも脳内で勝手にそういう風に記憶が上書きされているようで、嘘をついている訳ではなさそうだ。
いちいち腹を立てているとこちらが疲弊するだけなので、『ああ、そういう風に方針転換したのだな』と切り替えることに決めている。
自分がどうしても譲れない事以外はこうやって『柳に雪折れなし』で行こう。
夫には内緒だけど、案外これが夫婦円満の小さな秘訣かも知れないと思っている。