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しょうがなく作る

今度、新しい人がウチの売り場に入ってきた。Iさんという、若い方である。
「在間さん、教えてね。連休明けからお願い」
Yさんにいきなりそう言われて、目が点になってしまった。

何を隠そう、私はレジの基本対応を正式に習っていない、売り場で唯一の人間である。
なんでも私の入社当時は超人手不足で、前任の課長が『新人はすぐに現場に出して、慣れさせて覚えさせよう』と言いだし、その無謀な計画が私一人にのみ、適用されたらしかった。私がその事実を知ったのは、課長が転勤したずっと後になってからである。
後から入ってきたNさんとKさんはちゃんと専門のレジ教育を受けて、三ヶ月間の研修を積んでからウチのレジに来ている。私より余程知識があると思う。

だからそんな私に教育係を任されても困る。
「いや、困ります。私はいつも無手勝流の、なんとかなるわモードなんで。マニュアルより山カン重視ですし」
そう言って必死に抵抗したのだが、
「そう言わずに。朝番入ってもらう予定の人だからさ。レジ以外の朝の業務も色々教えてあげて」
と言われてしまった。
丸投げ、としか言いようがないが、抵抗する術はない。

実は今までこの売り場に入ってきた人は、何人も連続ですぐに辞めている。他の売り場ではあまりないことだそうだ。
急に来なくなって連絡がつかない人、『身体を壊しました』『家族の都合で来れなくなりました』と本当かどうか極めて怪しい言い訳をして、いきなり辞める人、そもそも入社日に姿を現さない人等々、数えればキリがない。
一見真面目そうでも、ふてくされた感じでも、辞める人は辞める。見た目は関係ない、というのは昔からウチの売り場全員の共通認識である。
今度の人はどうなんだろう。レジ経験はあるようだけど、それも関係ない。急に来なくなった人の中には、そういう人もわんさか居たのだから。

レジのマニュアルは全社共通の立派なテキストがある。それを見てもらうしかない。
問題はそれ以外のマニュアルである。
ウチの売り場は他の売り場に比べて、覚えねばならないことが多すぎるのだそうだ。その割には、あらゆることに関するマニュアルがしっかりと整備されていない。ほぼ口伝承である。
なのにマニュアル通りにしないと支障を来すことが多いから、慣れるまでの間は常に緊張の連続で疲弊してしまうらしい。
この期間に我慢しきれなくて辞めていく人が多いのも、ある意味納得である。
私のように人生何事も臨機応変、ケセラセラで生きている人間か、Mさんのように常に自分に鞭打ちながら日々の成長を喜びとする人間か、Dさんのようにゆるふわでそこそこマニュアルを守りつつ、時には自分に都合の良いように逸脱して、怒られてもカエルの面に水の人間でないと続かないものらしい。

そんな限られた特性を持つ人を、ピンポイントで見極めて入社してもらうのは不可能である。私を含めて今残っている人がいるのは、偶然と奇跡のなせる業だ。
Iさんにどういう教育をしたらいいか。
本当はこれを考えてお膳立てするのは、副店長の仕事である。以前いらしたH副店長なら絶対にちゃんとしていただろうが、失礼ながら後任の副店長は全く期待できない。
消去法でいくと、これをやるのが『しがないパート三年目』の私しかいないとは、自分の勤め先ながらなんとも情けない会社である。
が、背に腹は代えられぬ。

休暇を利用して、マニュアル作りに取り組んだ。
先ずはレジでの基本の問答。言うべき事を挙げる。注意すべき点は各商品によって色々ある。
最初から色々てんこ盛りで教えても、多分訳が分からない。それなら初めはごく基本的な事を教えるしかない。
靴のサイズ確認、ヒールの高さと形の確認、トウの形の確認、箱の要否、値下げ品の対応などなど、細かいことを書き連ねたが、なんとかルーズリーフ八枚分くらいに収めることができた。
毎日毎日、失敗を繰り返しながら私がポツポツ覚えてきたことが 、彼女の役に立てば良いのだが。教わるより教える方が難しい。

あとはご本人が自分の理解しやすいようにアレンジして、覚えてくれればいい。余白も多めに取ったから、多分書き込んで覚えていってくれるだろう。
それにしても、作るのに約二時間びっちりかかってしまった。私の手が遅いのもあるが、これでわからんとは言わせへんで。
明日は早速一緒に仕事である。さあ、まずは出勤してくれるかしら。
いきなり無断欠勤とか、冗談はよしこさんやで。頼んまっせ!





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