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信じる事は許すこと

明治生まれの祖父は教師をしていた。私が大きくなった頃には大分前に退職しており、教師時代のあれやこれやを面白おかしく話してくれた。その中に今でも忘れられない話がある。

祖父の担任していたクラスに大変貧しい家の生徒がいた。母一人子一人であった。その子は持ち物も服もボロボロで、口数も少なく、あまり友達と群れる子ではなかった。しかし学業成績はずば抜けて良く、特に理系科目はいつもテストは満点、授業時には学年を超えた質問をしたりして、祖父達教師も舌を巻く存在であった。

そんなある日、学校で盗難があった。理科室の実験器具が1セットなくなったのである。当時はかなりの高級品だったに違いない。緊急の職員会議が開かれ、警察に届けようか、という話になった。が、理科の担当教諭だった祖父は、自分に預けてくれ、悪いようにはしない、と言って引き取った。

そうは言ったものの、祖父に犯人の見当がついていた訳ではなかった。警察沙汰にしたら、犯人が生徒だった時可哀想だと思っただけである。さあ、どうしたものか、と考えつつ帰宅し、夕餉も済ませて、もう寝ようか、という時間になって、一人の女性が祖父宅にやってきた。

あの生徒の母親であった。持っていた風呂敷に包んだ荷物を降ろして解くと、なくなった実験器具が出てきた。母親は土間(当時の家は皆玄関は土であった)にあかぎれした両手をつき、土下座して額を地面に何度もつけて、自分の躾が悪く、盗みを働いてしまった、大変な事をしてしまった、先生申し訳ない、と涙ながらに謝った。その必死な姿に、側に居た祖母ももらい泣きした。

祖父は、器具が無事に出てきた事にホッとした。そして、くれぐれも責めないでやってくれ、間違いは誰でもある事、悪い心根ではなく、勉強熱心からの出来心で本人も後悔しているだろう、誰にも言わないから明日からも普通に登校するように、器具のことは自分が良いようにしておくので心配しないで欲しい、と伝えて母親を帰らせた。

その後何年か経って、祖父の耳にその生徒が某有名国立大学の医学部に入った、という知らせが入った。祖父は祖母と一緒に喜んだ。

時は流れ、祖父の家の斜め向いに、高級なクラブが出来た。祖父は行く事はなかったが、そこのママさんとは近所づきあいがあった。そのママさんがある日、一人の医師の名前を挙げ、知っているか、と祖父に尋ねた。あの生徒の名前であった。

祖父が訳を尋ねると、ママさんはお客さんとして最近来てくれたお医者さんなのだという。祖父の名前を口にして、恩人なのだと言ったそうだ。ママさんがまだ早い時間だし、挨拶していかはったら、と勧めると「合わせる顔がない」と言って苦笑いされたそうである。ママさんは不思議に思ったそうだが、それ以上何も言えなかったという。

祖父は、昔の教え子や、とだけ伝えたそうだ。

「立派になってて良かったやないか、なあ?誰でも間違いはある。アイツは悪気なかったんやでな。」祖父はいつもこの話の締めくくりにこう言って、ニコニコした。

今から半世紀以上昔に起こった小さな事件。私は今でも、懐かしく祖父と共にこの話を思い出す。


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