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カビの先生


#忘れられない先生

中学一年の時の美術の先生はY先生だった。「先生」という感じではなく、ヨレヨレの綿のシャツに破れたジーンズ、肩まで伸びた(伸ばした?)髪にまるいサングラス、ゴムのサンダルに裸足。後からジョン・レノンを真似していたんだ、とわかったが(除くゴムのサンダル)当時は分からず、ただなんとなくだらしない先生、と失礼ながら思っていた。背が高く、背中を丸めてポケットに両手を突っ込んで歩く。生徒がしてたら怒られる格好を平気でしていた。

最初の授業で先生は「僕は一人暮らしです。ご飯を自分で炊きます。めんどくさいので、いっぺんに沢山炊きます。そしたら、残ります。めんどくさいので、蓋をしたままスイッチを切っておきます。しばらくして開けると、青いカビが生えてます。気持ち悪いのでほっておくと、段々黄色になります。もっと気持ち悪いのでほっておくと今度は黒になります。しまいには埃みたいに胞子が飛びます」と上手なイラストをチョークで黒板に描きつつ、カビの変化について克明に説明してくれた。中学生になりたてでみんな緊張してシーンとなりがちな頃だったが、この時ばかりは教室は大爆笑の渦だった。

先生はよく授業を休んだ。身体でも悪いのか、と思っていたら、そうではなかったらしい。有給休暇をフルに取得しておられた、と後に風の噂で聞いた。今から35年以上前である。他にそんな教師はいなかったと思う。

授業中はたいして「指導」はされなかったし、絵の「上手下手」に対する偏見も全く感じられなかった。ある時、絵の下手な私がみんなから離れて写生していると、先生がやってきた。何を言われるだろう、と思って身を縮めていると、後ろから絵をじっと見て「ふーん、そうか、こう言う構図もありか、成る程」と呟いて行ってしまった。私は単に、下手なので人と離れて描きたくてその場所を選んだだけだったのだが、先生の目には斬新なアイデアに見えたようだった。

私の通っていた中学校には、重い知的障がいを持った生徒が複数いた。その中に本人に全く悪気はないのだが、突然暴力を振るう生徒がいた。力加減がわかっておらず、大怪我をしかねないので、皆恐れていたのだが、先生とは何故か仲良しで、背中にぶら下がったりして遊んでいた。特に世話をするわけでも、担任でもない。みんな不思議がっていた。先生の言う事はよく聞くので、その子が暴走した時には、他の先生も応援を頼んだりしていた。

先生のカビの話をウチでしたら大受けした。それから先生は我が家では「カビの先生」と呼ばれるようになった。私が卒業したのち転勤されたようだった。結婚されて、奥さんにちゃんとご飯を炊いてもらっているといいな、と思う。


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