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今日の調子は如何ですか?

クラリネットの師匠、K先生はレッスン開始時決まって、
「今日の調子は如何ですか?」
と挨拶のように訊くのが常だった。
私は長い間、この言葉の意味を曲解していた。
『アマチュアのレベルで、好調も不調もないもんだ。課題が出来てなくても、練習不足を調子の所為にしないで下さいよ』
という、先生の『嫌味』或いは『からかい』だと思っていたのである。
勿論、風邪などで体調が悪い時はマナーとしてちゃんと、
「風邪気味です」
と答えていたが、それ以外の時は
「あ、はあ、普通です、おかげさまで・・・」
と曖昧に言葉を濁すことにしていた。

楽器をやっている人ならお分かり頂けると思うが、好調不調の波は絶対にある。同じ練習をしても面白いようにスイスイ捗る日と、『今日はどうしてこんなことで躓くのだろう』というくらい、捗らない日がある。
理屈では説明がつかないこともあるけれど、この好調不調の波は大抵、周囲の様々な環境にリンクして起きている。

先ずは体調。風邪気味だとか、寝不足だとか、疲れが明らかに溜まっている時などは絶対に不調である。息がなかなか思うように身体に入らない。肺が上手く広がり切らないような気がする。
花粉症の時や、頭痛があったり肩こりが酷い時なども集中力が削がれて、これも良くない。息は入るけれども、上手くコントロール出来ないように思う。そして息が長続きしない。どうしても休憩を長く取りがちになる。いっそ休んでしまえば良いような気がする時もある。実際そうなんだろう。それでも練習してしまうのを『バカ』というのだと思う。

そしてメンタル。これはとても大きい。子供が受験だとか、姑の具合が悪いだとか、自分ではどうしてもコントロール出来ないのに気になって仕方がないことがある時は、絶不調である。この時ばかりは体調が良くてもダメだ。
職場で失敗をしたとか、夫と喧嘩したとか、誰かに嫌なことを言われたとか、そういう些細な事を思い返して気にしだす時も、必ずミスを連発する。何かに憤っている時や、日常生活で何か納得できないことがあり、それに拘っている時もダメである。
要するに『心、ここにあらず』の時は何をやってもダメということだと思う。
集中力を著しく削ぐからだ。

K先生はアレルギー体質で、花粉症もあった。近々本番があるのに花粉症なので困る、とこぼしておられたので、
「鼻水との闘いですよね」
と笑いながら言ったら、先生は真顔になって、
「いえ、自分との闘いです」
とボソッと仰った。
その時は大袈裟だなあ、と思って吹き出したのであるが、後から考えてみると先生の言葉は冗談ではなかったのだと思う。
演奏以外のことに向こうとする『自分』の気持ちを、演奏のみに集中させるのは、それが酷い症状であればあるほど、大変な忍耐と努力が必要なのだろう。

先生の知人のフルート奏者は、ご主人が亡くなったその日に本番の舞台に乗ったことがあるそうだ。
「そんな、あんまりです。プロだったらいきなりでも吹けるでしょう?誰か代わりって言う訳に行かないんですか?」
と私が憤慨して言うと、先生は
「弦は一人くらい抜けても影響ないですが、管は一人抜けたら無理ですから。いきなりは難しいでしょうね。僕は親に『死に目に会えるとは思わないで』と言ってあります」
と平然と仰ったのでびっくりしてしまった。
「でも、ご主人が亡くなったなんて・・・それでも本番だと集中出来るものなんですか?」
と私が訊いたら先生は、
「するんですよ。本番に『集中出来ない』なんて僕らはあり得ないんです。そういう仕事です。外科医だって、親が死んだから手術に集中できずにミスしました、なんて言えないでしょう?おんなじようなものですよ」
と静かに答えて下さった。
うーん、凄い、と単純に感心してしまった。

いつも好調であればこんなに良いことはないのだけれど、素人はどうしても色んな事に調子を左右されてしまう。どんなことも乗り切ってしまうプロの強靭な精神力には、本当に舌を巻く思いである。
身体も心も常に整えるように気を配ることはどんな場合も大切なのだな、と思う。楽器演奏の時に限らず、不調の時は無理をせず、好調の時は調子に乗り過ぎず、を心掛けていきたいものだ。