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「オシャレな街」

関西から今の家に引っ越す前、新住所を告げると大抵の友達は、
「うわあ。オシャレなとこに住むんやね!良いなあ~」
と羨望の眼差しで私を見たものだった。市の名前を聞くと「オシャレ」というイメージが自動的に浮かぶらしい。
かく言う自分も、ちょっとハイソな街並みを想像していた。華やかなイルミネーションが街のあちこちにある筈だ。アーチ形の門があり、バラが巻き付いているような煉瓦造りの塀のある家がそこかしこにいっぱいある筈だ。洋館みたいな建物も普通にあちこちにあるかも。歩いている人は皆上品で、子供はこざっぱりと可愛らしいに違いない・・・。

今月でこちらに来て一年と十カ月になるが、上記の私の認識はほぼ全て妄想に過ぎなかった、と言える。
近所はごく普通の住宅街である。一戸建てで大きなものはあまり見かけない。土地の価格がえらく高いからだと思う。マンションは気持ち悪くなるくらい沢山あるが、こちらも価格はお高めのようだ。
普通に夜は結構暗い。かなり遅くまで賑やかなのは流石都会だな、とは思うが、騒いでいる人は普通に関西でも見かける人達と同種である。
関西はそれこそ平安やそれ以前の時代から残るような建物も普通にあるが、こちらはせいぜい鎌倉時代くらいからのものである。それ以前の建物というものに、あまりお目にかからない。自分が知らないだけかもしれないが、随分「こっち」の時代の街だな、と感じる。
市の中心部に行くと大変賑やかなのだが、意外なのは昭和をそのまま切り取ったような雰囲気の商店街などが普通にゴロゴロあり、現在も現役で立派に人々の生活に溶け込んでいることだ。関西だとこういうお店は随分淘汰されて、小綺麗なショッピングモールなどに変身していることも多いが、こちらはそうでもない。そういう動きもあるにはあるが、あまりインパクトが強くないのである。
あくまでも私の感じ方、でしかないのだが。

オシャレな人やこじゃれた子供は多い。そしてここに来る前にスーパーなどで普通に見ていた、寝る時も外に出る時も同じジャージの上下を着ているような人種には滅多にお目にかからない。
しかし、人口対比でいうとどうだろうと思う。私がここに来る前に住んでいた町は人口八万人くらいである。今住んでいる市はこれより三百万人くらい多い。住んでいる区に絞っても、二十万人くらい多い。
八万人に上下ジャージ人口が五十人いるとすると、二十八万人だと百七十五人いる計算になるが、ウチの近所では見かけない。職場であるスーパーにもあまり来ない。
じゃあやっぱりオシャレな街といえるのだろうか。それとも人は人を隠すから、同じくらいの確率で紛れているのだろうか。よくわからない。

私も含めて、皆何を基準にここを「オシャレな街」だと考えていたのだろう。
港がある。船がある。素敵な公園がある。海がある。海のすぐそばに近代的な建物が並んでおり、それらは程よい空間を保っている。確かに「オシャレな街」の景観である。絵になる。
でもそれは市のほんの一部である。ウチからは電車で少しばかり行かねばならない。区が違うから、その辺は違う街であると思ってしまう。だから自分の住んでいるところという実感が湧かない。二年近く住んでいても、まだまだ観光客のような気分である。「我が街」と思えないのだ。
私が「オシャレな街」という言い方にお尻の落ち着かない感じがしてしまうのは、こういうことが原因なのだろうと思う。

こっちに来て知り合った人はまだまだ多くはないけれど、「この人オシャレー!」と思う人の割合は関西に居た時と同じくらいだ。つまりどこに住もうと、私の知り合いにはオシャレな人が少ない?ということになるんだろうか。
こちらには関西だと「えっ」と思ってみてしまいそうな、一見奇抜な恰好をしている人は多い。でもすれ違う人々は誰もそう言う目で見ていない。まるで空気のようである。意外な感じがするけれど、ある意味気持ち良い。みんな誰がどういう格好をしようと、勝手なのだ。人間の数が多すぎて、いちいち反応していられないのだと思う。
この街は良くも悪くも、他人のことに無関心なのだ。

よく昭和歌謡にも登場する「オシャレな」この街は、普通の住みやすい、温かい人が沢山住んでいる街である。