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『ゴールデン』ウイーク

夫は使ったものを全く補充しない人である。
石鹸が少なくなっていようが、シャンプーが空になっていようが、自らが補充するという発想がない。
「ないでー」
とこちらに呼びかけて終了、である。
自分も補充することが出来る、という認識がまるでない。意図的にそうやっているのではなく、そういう思考回路を辿るのが夫にとっては自然で当たり前、なのだ。
恐らくは、小さい頃から母親に『はいはい、お母さんがやってあげようね』と言われ続けてきたからに違いない。一人暮らしをした期間もなく、どうしても自分のする仕事だと思えないのだろう。
それに気付くまでは『なんて奴』と呆れ、夫に向かって苛立ちをもろにぶつけることもあった。夫の置かれた環境がそういう思考を作り上げたのであるから、今更急激に変わることはない、と悟ってからはそういうことはなくなった。
何事も諦めが肝心、ということである。

昨日から夫は長い連休に入った。どこに行こうか、どんな風にゆっくりと休みを満喫しようかと嬉しそうにホイホイしている。
片や私の方はいつも通り、決められた曜日に出勤しなければならない。いつもなら会社の食堂が面倒を見てくれる夫の昼食も、この期間は用意せねばならない。いちいち面倒だ。休日も休日ではなくなる。かえって忙しいくらいである。なにが『ゴールデン』やねん。
夫の方は
「ああ、あと何日や」
と一日ずつ減っていく休暇を惜しんでいるが、私の方は
「ヨシ、一日クリア」
と腹の中で指折り数えて、昼食の準備の計画を立てている。

こういう時期に、
「ないでー」
コールをされると、何故かいつも以上に癇に障る。眉間の皺は自分を美しく見せないから寄せない方が良いには決まっているのだが、つい
「ンナロ、テメエでなんとかしろや!」
と思ってしまうことが増える。
心の狭いことだ。でも口に出さないだけ、私って偉いと思う。

ウチの台所の蛇口は非常に変わった形をしている。従って市販の浄水器がうまくハマらない。合うものもあるにはあるのだが、レア過ぎてお値段がとてつもなく高い。
借家にそんな投資をする気はさらさらなかったので、簡易式の浄水ポットを使用することにした。ピッチャーのようなもので、水道水を入れれば濾した水を使えるようになっている。我が家はそんなに大量の水を漉す必要はないから、これで十分である。容量は約一リットルだ。
しかしこの浄水器、ろ過するのにちょっと時間がかかるのが難点だ。いざ今すぐに調理に使いたいと思っても、なければ蓋を開けて水道水を注ぎ、手を止めてろ過を待たねばならないので、少々面倒くさい。

夫はこの水を全く補充しない。コーヒーや茶を飲むのに使ったら、空っぽでもそのままにして平気である。腹立たしいことこの上ない。
しかし怒っても態度を硬化させるだけなのは分かっているので、『お願い作戦』に出ることにした。
「なあ、お願いがあんねんけど」
「何?」
「浄水ポット空になったら、補充しておいてくれると嬉しいな。調理する時、足りないと困るから。今度からお願い!」
「お、そうか。ほなそうするわ」
良かった、と胸を撫でおろす。私、上手にお願い出来たやん。
自分を褒めたい。

ところが、敵は一筋縄ではいかなかった。
今日、夕飯の調理をしようと浄水ポットを見た私は唸ってしまった。
水、全然補充してまへんがな。
夫はちょっと前にコーヒーを飲んでいた。犯行は明らかである。過失だろうか。しかし詰問すれば長い『ゴールデン』ウイークの空気は険悪になるに違いない。
最早、伝えるべき言葉の持ち合わせはない。ではどうするか。
ちょっと考えて、私はペンを走らせた。
『使ったら補充すること』
老眼でも見えるように大きめの字で黒々とメモに記し、ポットに貼り付けた。
控えおろう。これが目に入らぬか。

さあ、明日から夫は補充してくれるだろうか。祈るばかりである。
『ゴールデン』ウイークは始まったばかりだ。
ガンバレ、私!!




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