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本音は真心で

京都弁の「○○してはる」という言葉はとても便利で使い易い。標準語に直すと「○○してらっしゃる」という敬語になる。これだとかなりしゃちこばった、気をつけしたような雰囲気になってしまい、使用する対象は限られる。例えば自分より目下の人や職場の同僚などにないしては普通あまり使わないだろう。
私の職場の同僚の中には、随分年下だけど先輩、と言う人が何人かいる。こういう方々に話をする時、この京都弁は凄く便利だ。

私の勤務先では先日来レジ係一名の欠勤が続いており、連日シフトの変更を余儀なくされている。パソコン上も勤怠データの修正をしておかねばならないらしく、その作業は専ら入社六年目のMさんの役目である。
Mさんは普段から、十五年近く年上の私にどこか遠慮しているところがある。言葉遣いなども物凄く気を遣ってくれているのがわかる。自分は「先輩」なのだからもっとぞんざいに扱ってくれても良いのだが、と思っていつも見ている。

この前の霙の降った寒い日、客足は少なかった。こういう日はMさんのパソコン作業の絶好のチャンスデーである。初心者マーク取れたての私をレジに一人にして事務所にこもっても、難儀なお客様が来る確率はかなり低いからだ。所在なさげにこまごまとした個所の掃除をしているMさんに、私はこう声をかけた。
「Mさん、勤怠データの修正まだしてはらへんのと違いますか?事務所行ってきてくれはっても良いですよ。今日だったら『お留守番』出来ますから」
Mさんは手を止めて私を見た。今売り場には私とMさんしかいない。
「良いんですか?有難いですけど…」
「良いですよ、今日はどうせずっとこの調子でしょう」
外は冷たい雨に変わったようだが、客足は相変わらずまばらである。Mさんはしばらく迷っていたが、
「ん、じゃあ甘えちゃいます!何かあればインカムで呼んで下さい!」
と言って小脇にシフト計画表を抱え、
「なんか、在間さんの『くれはる』って言葉、あったかくて良いですね!つい甘えようかなー、って思っちゃいますよ!」
と笑って事務所に走って行った。

標準語なら「してはらへん」は「してらっしゃらない」、「きてくれはる」は「きて下さる」になると思う。こう言おうと思って言葉を厳選して言うのではなく、私の場合は普通に口から出る敬語である。
有難いことに、聞いた相手は「あったかい」と思ってくれるようだ。だとすると「○○してはる」は素晴らしい言葉である。京都だけなのだろうか。少なくとも関東ではあまり聞かない。
楽団の友人と話している時なども、ついこの言葉が出る。
「あの人、最近来てはらへんけど退団しはったん?」
といった具合である。
こちらの友人はちょっと引くような、くすぐったいような顔をして黙り込むことが多かった。反応の仕方に困っている風だった。

「京のぶぶ漬け」という言葉がある。「ぶぶ漬け」は「お茶漬け」のことだ。
「ぶぶ漬けでもどうどす」
というのは、帰ろうと腰を上げる客に向かって言う言葉とされ、
「そんなに急いで帰らなくても、もっとゆっくりしていって下さい」
というのが表向きの意味だ。が、この言葉の裏には
「早く帰れ」
という露骨な本音が隠れている、というのは京都では常識とされる。
京都にはこういった、裏に隠れた本音をあからさまに感じさせるニュアンスの言葉が多い。
「お子さん、ピアノ上手にならはったんやねえ」
と近所の人に言われた時返すべき言葉は、
「ありがとうございます」
ではなく、
「うるさくしてすいません」
である。
「仰山ええもん頂いて、おおきに」
と言われれば、
「いえいえ、どういたしまして」
ではなく、
「つまらないものをお渡ししてすいません」
と返すのが普通、ということになるだろう。

上品で耳に優しいが、実はえぐい。露骨に本音がわかるが、「自分はそんな酷いこと言うつもりはおへん(おへん=ありません)」といつでも悠々と逃げられる、なんとも小狡い言葉である。
だから私は子供の頃から、母の使う京都弁が大嫌いだった。上品ぶりやがって、本音は見え見えやで、と思っていた。
そう思いつつ「○○してはる」に関しては手っ取り早いので、つい口をついて出てしまう。自分でも嫌だと思いつつ、止められない。話す時、嫌でも「毛嫌いしていた京都弁を使っている自分」を意識せざるを得ない。
でも京都風の深読みさえしなければ、「○○してはる」は相手を思いやる気持ちが簡単に出せる良い言葉だと思う。目下とか目上とか関係なく、気軽に使えるのも良い。

関東に来て関西弁を話す時は、見慣れない生き物を見るような相手の反応にちょっと傷つくこともある。でもMさんのように、嬉しい受け取り方をしてくれる人もいる。
どこに行ってどんな言葉を話しても、「真心」のあるやりとりが出来ればそれでいいのだと思う。