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辛気臭い

関東にきてから関西弁を聞くと、非常に懐かしい。でも使う方に出会う機会は本当に稀である。
しかしないことはない。私の居るレジにも、ひと月に二、三度といった程度だが、時々お越し下さる。いつも同じ方というわけではないので、多分仕事の都合などで結構な人数の方々が関東にいらっしゃるんだろうなあ、と勝手に仲間意識を持って心強く思ったりしている。

先日レジに来られたのは、七十代くらいの男性だった。クロックスのサンダルを持ってきて、
「これ、値札取れてんねんけど、なんぼかな?」
と私に向かって仰った。
わああ、関西弁だあ!懐かしい!などと感傷に浸っている場合ではない。
「大変申し訳ございません。すぐにお調べします」
といってレジを出て、同じ商品を探す。幸い在庫があり、値段はすぐにわかったのでお知らせした。ふんふん、と納得のご様子だ。
「ほな、これもらうわ」
「ありがとうございます」
『ありがとうございます』の『り』にアクセントをつけた言い方ではなく、ほぼ平坦なイントネーションで言うのは久しぶりである。関西式で言うとお客様が怪訝な顔をなさることが多いので、普段は似非関東イントネーションで言うことにしているからだ。
ここ関東で、こんなに普通に関西弁の会話が出来ることにちょっと感動する。
ネイティブスピーカー同士の会話は大変スムーズに進み、無事お買い上げとなった。お客様は財布を取りだす。現金でお支払いのようだ。
「お支払いは現金でなさいますか?」
「うん、ちょっと待ってや」
「はい、どうぞごゆっくりなさって下さい」
お客様は少し指が強張っている上に、札を四つに畳んでギュウギュウに財布に押し込んでいるから、なかなかお札を取り出せない。『お年寄りあるある』である。
関東の方だとこういう時は、
「嫌になっちゃうわねえ。年寄りってこうなっちゃうのよ」
と言って、ため息をついたり苦笑したりなさることが多い。
が、この男性はチッと舌打ちすると、
「ええいもう、辛気臭いなあ!」
とご自分にイライラなさっていた。
失礼だけど、やっぱり関西人だな、と心の中で笑ってしまった。

『辛気臭い』は「じれったい」と言ったような意味の関西弁である。京都の綾部地方出身の母方の祖母は、よく『辛気い』と言っていた。意味は同じである。
関東では今まで耳にしたことはない。同じような言い方も知らないし、聞いたことがない。
『苛立った気持ち』が前面に出た言葉である。投げかける相手は他人でも良いし、自分でも良い。実際に『臭い』わけではなく、『そういう雰囲気が漂っている』というニュアンスの『臭い』である。『どん臭い』(鈍くてのろま、というような意味。西日本で主に使われるのか、こちらでは聞かない)の『臭い』と同じ使い方だと思う。

『イライラする』というと言葉に緊張感があるが、『辛気臭い』には一抹の期待と優しさがあるように、私には思われてならない。
あんた、ホンマはもっと早うできるやろ。今日はどないしたんな。待ってたるさかい、モタモタせんと早うしいな。
『辛気臭い』にはそんな気持ちが見え隠れする。ゆるゆるとハッパをかける、そんな感じだろうか。
言われた人間の取り方によっては不快なこともあるだろうけど、私はこの『辛気臭い』という言葉の持つふんわりした感じがなんとなく好きである。

大学生の頃、私はよく学校帰りに祖父母の家に遊びに行っていた。
ある時新しいスカートをはいて行ったのだが、うっかりスリット部分にしつけ糸がかかっているのを取り忘れていた。
「あんた、しつけ糸ついとるで。ちょっとじっとしとき。取ったろ」
そう言って私を後ろ向かせ、祖母は老眼鏡をかけて糸を抜いてくれた。だが糸の切りようが悪かったのか、短い糸がいつまでも抜けなかったようだ。
「ええい、辛気いなあ、もう」
そう言いながら、祖母は少し強めにぐっと糸を引いた。糸は無事取れて、祖母はホッとした顔をした。

この時、祖母が
「イライラするなあ」
と言っていたら、私はちょっと罪悪感に駆られていたかも知れないなあ、と思う。『辛気い』だとそう言う気分にならない。自分の苛立ちがダイレクトに相手に伝わらないように、という無意識の配慮を感じる。
私が関西弁にホッとするのは、こういう言葉があるからかも知れない。
やはり私は根っからの関西人なんだなあ、とあらためて思う。